好きと嫌いと②

(注意 読みにくいと思うけど書くを優先したいからそのままいくね)

つづき

好きと嫌いは選べる。
昔のカワイイはつくれる!的な
そのくらい自分でどうにでもなる部分があると思う。
いや全自動だし!とは思うだろうけど実のところ…
うんまあそのあたりは前回のところだね。
時間がたつとしっかり忘れていくね。こわっ

はい気を取り直して

"好き"は多いのがいいね。
あー多すぎたらそれはそれで時間が足りなくて問題か。
うん、たまにそういう人居るけど
そんな幸せもあるということでよし。

問題としては"嫌い"
この強烈な言葉、
キライ
決してポジティブな言葉にならないこの圧倒的なひびき!
さあこの言葉と自分はどう付き合おう?ってはなし。

他人の嫌いなことなんて特に知りたくないし、
返事にも困る。
発した方は“出したいから出しただけ“だから
例えたらうん○みたいなもんですごくタチが悪い。
うっかりそれを投げつけられた人にはダメージ。
そしてその辺りの空気は良いわけがない。
ほんとろくなことねぇな。

タフネスあふれる人はたくましく臭えなってガハガハいってればいいね
あんたは幸せだ、ぼくもなるべくそうありたい!

ただセンシティブな人って、たとえそれが自分に宛てたものでなくても
気づけばダメージ受けてる人もいる
センシティブな人はタフガイになれなくても、
日常の努力とか諸々で少しづつでも耐久力がつくといいね、楽になっていくだろうし
(そうそうこのセンシティブさんにも思うところがある。まあまたこんど。)

まあねー
気になったのは気にしいだからだろ!って話なんで、結局は自分と向き合うしかないかーとは思ってる
あ、うん、これぼく自身の話もしっかりと混ざってる

世の中は弱肉強食十人十色
タフなやつが楽しく生きる世界(ぼくにはそう見える)
発言しまくる人はだいたいタフ
変なはなし、図太いアクションをする人=繊細隠しなセンシティブさんも居る面倒さ
でも静か(ただそうしていたい)でセンシティブな人の声は
世界にはほとんど届かない
幼い子が静かに溺れるのに似ててゾッとする
SNSが助長した部分もあるね
あれほんと拡声器だね
でかい声がとにかくどこまでも真実かのように大きくなる

インターネットは平等でもなんでもなく、場合によっては格差を助長するってはなし本当だったね
昔の偉いさんすごいぜ大当たり!
もっと言うと、どうにもならない争いが見える化しすぎ!
なんかこう、例えばXなんかたまに覗くと
"多様性"なんてどこのお話?
ってくらい言葉で自己主張つよつよモンスター同士殴り合ってるところに出会す。
なに、最後は声のデカいもん同士殴り溶け合って均一化でもできるの?

ぼくの思ってた多様性って、そういうのとちがうんですけど?

棲み分けって結構大切では?
ちょっと興奮しちゃってだいぶ脇道それたね。
よくわかんないところだけど
今回はこのあたりで
"嫌い"について、仕切り直すね

つづく

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