好きと嫌いと③

さてこの"嫌い"くん
ぼくの思うところなんだけど
その中になかなか重要な自分がいるってはなし
もう少し言うと自分の一部かな
もちろん全てに、じゃないと思う。

サッといい例が思いつかないけど
食物アレルギーとかで嫌な思いをしたら
そりゃその食べ物も嫌いにもなりますし、
それ以上でもそれ以下でもありません。
もう食べません。

そんな話は除いて

ちょっと物、事、人に思いつくことで仕分けてみようかな
はいまず"物"
物は生理的に受け付けない見た目のものがあるなー気持ち悪く感じてしまうつぶつぶとか
イメージだけでおーこわ
あとはぼくだとグロテスクな表現がダメなんだよね。
スプラッターシーンがあるともう…
マンガの鬼滅のーのシーンですらマジでどうなのこれ!ほんと大丈夫!?
読みたいけど読みたくなさすぎる!
ってなった結果、長男だからだいじょうぶー!ってものすごく素早く読み終えました。
内容よりもそっちの感覚思い出した。

次に"事"は
出来事として考えるとー
さっきのスプラッター的なのも当てはまるけど、
理不尽なことはやっぱりキライになりやすいかな。
現実だともう未然に防ぐ行動をするしかない。
関わらない。物騒なところとか、危ない時間にはなるべく行かない的なね。

そして"人"
今これを読んでる人にとっては
ここがほぼ本題な気がしてる。
生活をしてる限りやっぱり動くし接するし、どうしても情報の交換をしちゃうからね。

結論から言うと
なんだかなーって思ったり、感じたりする他人は
ほとんどの場合が、なにかが自分と似てる人。
たとえば能力、見た目、趣味、…が近い人とか。
他はー…理想とする自分が、したくない振る舞いをしてる人とかかな。
思ってたよりも表現が難しいな
「そんな自分は嫌い、そんな自分だったら嫌」がその正体かなと思ってる。

そしてこのケースは本当にめちゃくちゃ勉強になる
もうね、いい事しかない。
あからさまにイヤなことされたらそりゃムッとしますよ人並みに。
でもまあほとんどの場合は相手も同じような感覚、心情なんだろうなとふと思う。
同族嫌悪のセンサーは本当にすごいね。
父さん妖怪です!(自分)

つづく

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