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自分らしい生き方って?当たり前から外れたら私に合う生き方が見えてきた

自分らしく生きるヒントを見つけるインタビュー連載「クロひつじストーリー」。当たり前に囚われず、自分の道を作ってきた様々な人を紹介します。

第1回は「クロひつじの会」代表のえりこです。
アメリカへ留学、シドニーでデザイナーを経て、現在フランスに住む彼女。
今「自分にしっくりくる生き方が見えてきた」と言う彼女の、当たり前に囚われず「自分らしく生きる」ヒントとは?

「自分は何がしたいんだろう?」→デザインの道へ

海外で働くことに興味を持ったきっかけは大学時代の留学でした。アメリカの学生が強い意志を持って勉強に取り組む姿を見て「自分は将来何がしたいんだろう?」と考えるようになりました。

ある時、たまたま学校の廊下に飾ってあったデザイン科の学生の作品が目に入ったんです。強烈に惹かれ「卒業したら欧米でグラフィックデザイナーになる」と決意しました。アメリカから帰国して、シドニーの専門学校で1年間デザインを学びます。

アメリカの寮の前で友達と勉強

「日本の当たり前」から外れた私

夢を抱きながらシドニーで出会ったパートナーと共に帰国した私を待っていたのは、受け入れてもらえない厳しい現実でした。

12歳年上でレストラン勤めの国籍の違うパートナー、日本以外での就職。家族や友人には「良い選択」に思えなかったようで、反対されました。

「お金持ちと結婚した方が幸せになれる」
「大学まで行かせてもらったんだから、日本で就職すべき」
「親を悲しませるのは良くない」
そんな言葉がストレートに心に刺さりました。

日本には「良い会社に入って相手を見つけて結婚し家庭に入る、それが幸せ」と捉える「当たり前」がいまだに存在しています。そして多くの人はその「当たり前」から外れることに強い抵抗があるとも感じました。

結局周りを振りきってパートナーと地元を飛び出し、京都のシェアハウスに住むことに。そこで出会ったのは同じく交際を反対された経験がある人や、海外で働いたことがある人でした。

「お前はおかしなことをしている」と反対されないって、それだけである意味自分を信頼してくれているってことだと思うんです。彼らは私たちを否定しないどころか「そんなことくらい自分も経験あるよ」みたいな。とても救われましたね。

ずっと分かってもらおうと必死になっていたんです。でも、例え肉親でも全く違う人生を歩んできたんだから分かり合うのは難しい。

両親も娘を心配しているからこそ「未知のものへの不安」を感じて反対したわけですが、「親の安心」と「自分がより良い人生を手にする」ことがイコールにならない場合もあるんです。どうにもならないなら物理的に距離をおいたっていい。現状を変えたのは今でも良い選択だったと思います。

やっと手にした憧れの仕事

京都で1年半の準備期間を経てシドニーに移住しました。

いきなり海外の企業へは難しかったため、まずはシドニーにある日系のデザイン会社に入って経験を積み、地元企業での就活に挑みました。

それでもなかなか就職には至らず…。他の応募者と差をつけるためにポートフォリオの冊子を手作りして企業に郵送してアプローチしたり。そうしてやっと、プレゼン資料のデザインを扱う会社に就職が決まりました。「欧米でデザイナーになる」という夢が叶って本当に嬉しかったです。

ただ、その後「バリバリデザインの仕事がしたい」とさらなる欲が出て、広告代理店に転職。おしゃれなオフィスで大手の広告やTVCなども手がける憧れの会社でした。

夢が叶ったのに、どうしてこんなに辛いの?


新しい職場は、仕事と同じくらいコミュニケーションが求められる環境でした。

朝のコーヒータイムやランチ、木金のアフターアワー、とにかく雑談をする機会ばかり。初めは楽しく勤めていたのですが、だんだん苦痛になって…。この空間に自分だけがハマっていない、なんで彼らみたいにうまくやれないんだろうと辛かったです。

会社のボートパーティーの様子

でもこの経験が自分を知るきっかけになりました。なぜこんなに辛いのかと考えた時に、そもそも私は「内向きで一人が好きな性格だった」と気がついたんです。

夢を追いすぎて、自分も彼らのような外交的な人間になれると思い込んでいたんです。育った文化が違うのだから、彼らの様になれないのは当たり前。日本で育ったシャイな自分を受け入れたときに一気に楽になりました。

そしてコミュニケーションが弱みなら、強みは何かを考えました。私の性格は日本人らしい几帳面さがあって真面目。「誰よりも信頼できる」と思ってもらえることが多いです。これを意識し始めてから会社の人間関係も少し楽になりました。

それまでは「やりたいと思ったら行動すれば良い」と考えていましたが「目指す先が自分に合っているかどうか」が重要だということに気がつけました。

「心から楽しい」を叶えられる場所で暮らしたい

移住当時は憧れの場所だったシドニー。でも4年目辺りから生活の面でも合わない部分があると感じはじめました。

たとえば働き方。デザインの仕事は満足していましたが、常に昇進・昇給を求めて働く必要がありました。というのも、物価が高いシドニーでは必死で稼がなければ家を買ったり、豊かな生活を送るのが難しいんです。高収入でもアパートに住み、真面目に働きながら家庭を支える同僚たちを見て私にはできないと思いました。

プライベートの面でも自分の趣向とのギャップを感じていました。シドニーの人々は外食やショッピングが余暇の楽しみ。でも私はそれが心の底から楽しいとは思えなくなっていて。だんだん現地の水や食べ物が合わなくなっていましたし、心から楽しめるのは公園や海岸沿いの散歩など自然の中で過ごす事と、趣味のギターやアーチェリー。都会で暮らす理由が見いだせなくなっていた時期でした。

シドニー/都心から歩いて10分の所に住んでいた

旅行で見つけた「心地よい生き方のヒント」

そんな頃、休暇でパートナーの実家であるフランスを訪れました。

そこで出会ったのは自然に囲まれて何百年も昔の家に住んでいる人たち。素朴な暮らしに強く惹かれました。

それも家の値段はシドニー郊外の家の5分の1。自営業などで家族を支える彼らを見て「これなら実現できるのでは?」と思いました。

都会ではお金を出せばオーガニック食品が買えます。でもここでは庭で採れた食べ物が食卓に並ぶことがしばしば。自分で育てた食べ物以上に安心なものありません。

そんな生活を体感して、こっちの方が自分に合っているのでは?と思い始めます。

南フランスに住む友人の家からの眺め

より良い生き方を模索しながら思うこと

それから3年後、今は南フランスの人口400人ほどの村に住んでいます。

仕事はシドニーとリモートで週4日。時差があるので朝の打ち合わせ後は一人黙々と作業できる環境がお気に入り。都会と違って不便な場所でもプライスレスな魅力に溢れていると日々感じています。

色々な場所で暮らしてきて、この生活が今までで一番しっくりきています。

とはいえ人は変化していくものですから、これがベストとは言い切れません。今後変化の途中で住む場所や働き方を変えることもあるかもしれません。

壁にぶつかった時、目標ができた時、何かから離れたり環境を変えるのは決して悪いことではありません。

これからもより良い生き方を模索していきたいと思っています。

今住んでいる村の様子

自分らしく生きるヒント

「自分主体で生きてみる」

いろんな国の人と接してみて、日本は「人が自分主体で生きる」のが難しい国だなと感じます。「周りに気を使えるように」「周りに迷惑がかからないように」日本では子供の頃からそう教え込まれています。もちろん、人を思いやるのは素晴らしいこと。

でもその考えが、本来シンプルで自由なはずの人生を複雑にしているとも思うのです。Aさんは「◯◯したい」のに、Bさんが反対するからやらない。Aさんが納得できるはずがないですよね。

私が夢を実現させる過程で一番大変だと感じたのは、周りに否定され続けて自分が「何がしたいのか」が分からなくなった時でした。

もし日常でもやもやする事があったら、「私はどうしたい?」を大切にしてみてはどうでしょうか。

ライター=小野寺美咲 編集=えりこ

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