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神智学を用いたAI時代における人間の神秘性の解説 - 3301文字

神智学とはあまり知られていないかもしれないが、かなり、本質的なことであったため、現在の生成AIと人間性のリスクについて、思索を深めていたため、まず、現段階における私の考えについて書することにする。

構造

神智学とは、次の三つを意識することで体得できると思われる。

体 → 所謂クオリアと呼ばれるものである。その人が感じるものを他の人が全く同じように感じとることはできない。
(中途半端な・行動を伴わない共感、のみなら可能である。所謂行動を伴わない倫理感・これを偽善という)
グロテスクなものを見ると、反射的に、目を伏せるように、行動の選択もここに属する。
意志という力と選択については、後述する。

霊 → 仏教で言われる色即是空や幽玄のことである。
唯識
(世界は、知覚を通さなければならず、知覚がない時世界は存在しないという考え)
による現実否定が無意味であることは、
上の体を読んでもらえれば、火を見るより明らかである。
極端を言えば、夢を思い出すことができれば、簡単に把握可能であるが、
何か行動をする前に、脳が信号を送って体を動かしており、それに後から気付く
→ つまり、現実の認識は、必ず過去となり、現在は認識できないという意味が、霊である。

魂 → これが、最もAIとは違うところであり、記号で表せないものである。
神智学では、霊が魂の基礎となっているとある。
経験を考えてみれば、わかりやすいが、実は、現在の経験をしている方は存在し得ない。
(一般的解釈からは外れてしまい、驚く方が多いかもしれないが…)
記号で表せないため、言語・音楽・メディアでは直接表現は不可能であるが、ソウル(魂)を感じることと、本記事で何かしら感ずるものがあれば幸いである。

経験とは、以下のことである。
経 → 経るというのは、ある過去の一時的な意志が継続した期間のことである。
験 → 験(しるし)というのは、それに基づいて、目の前の霊(過去の現実)に対して、体(てい)が、璽(じ)という印章(イメージ・提示)を受けることである。
これは、一般に感情と言われるが、少し不明確であった。

意志と選択

選択

選択というのは、一般に多から一つを選ぶと思われているようだが、比較というのは、ある閾値に対して、二つを区別することである。
三つの点が一つの線で三つに分けられないことをイメージしてもらえれば、わかるが
→ これを非線形といい、この分割を可能にしているものが、所謂AIである。
AIが、人間のような本物にはなれないことを後の章で、提示(体璽・ていじ)する。

選択というのは、つまり、やめるかやめないかを選択することである。
人は、常に、気づいたときには、何かのタスクの途中である。

これは、先程の神智学の基本的三つの考えからいくと、
タスクという霊である。

おさらい

つまり、人は、この時点で何かを中断するかどうかは、自由であり、それが全て阻止される状況は、呼吸をコントロール可能であることから、有り得ない。
下のケイティ・ホワイトさんも、
You Can Hang It Up, This Time Maybe
(この瞬間に、貴方は、やめられんで〜)
という感じで、言ってますよ😦…

ルビンの壺

もっとわかりやすいのが、上の有名な画である。
顔と壺が同時に見えるだろうか?
つまり、これが選択である…!

意志

意志とは、力という霊(現実には存在しない)である。
どういうことかというと、
意志は、二重否定で生まれると思われる。

ここで、儒教の考え方を持ち出したいと思う。
儒教は、一言で言うと、
この世界をあなたは作れますか?
その前提で、貴方の記憶にある最もお世話をしてくれた方(家族・友人・恩師)に対してどう思いますか?という問いを抱きながら生きていこうということである。

ただ、日本人は、GHQのことを知っている人は、理解できると思われるが、守りと呪いの意識が強い人種である。

つまり、被害妄想(守るものの誤認識)が強い人種である。

先程は、儒教の考え方で、恕(思い遣り)の考え方を述べたが、
人が熊に勝てないこと、極端な話、自然災害に無力であることから、何をすべきかは明確である。

つまり、何かを守る力というのは、
何かに対する不確実なこと(所謂敵)を認識する何かは、
不確実なことが起こった後に認識できるということである。

わかりにくいため、例を挙げる。

以下を読んでもらえば、共産党と人種差別に関する認識が深まると思われるが、
(元は、旧約聖書によると、人類は、ユダヤ人とエジプト人の争いが元なのに、今更…)

人種、ないし、種族は、武器などによるジェノサイド(殺戮)によって、他部族によって、現在においても行われている。

ここで、力というのは、二重否定ということなので、時が進まなければ、力は産めず、それは、先程の選択している
(もしくは、雑念が膨らんでいってしまっているのかもしれない)
だけである。

AIと人間の違い

前提として、不確実な現象が起こり続けている以上(人であれ自然災害であれ)、文明は発展し続けるべきである。

人間の悟性というものは、小さい頃の記憶を思い出してもらえれば、誰しもわかると思うが、誰がこの時代を予測できただろうか?
もし、予測が本当に可能であれば、誰も自殺企図に陥ることはないはずである。

(ボーリング技術があるのに、資産最適化のために、
戦争をする政治家は本当に粛清する方がいいか、それを心配する一般人の無駄な争いによる反社以上の反資本主義に関する思い遣りすらないとは言わさないし、
そこまで欲が強いなら、深呼吸をもっとさせて、脳に酸素を送り込み、過呼吸なればいいのではと思う)

以下は、世界主要国で、日本のみ1979年以降、死者数が、1000人中6人から12人に増えている証拠である。

地震や乾燥による山火事の意味をわからない人は、ここまで読んでる人であればいないはずであるが、
つまり、全ての人間は、魂によって、
導かれているのである。
それぞれ一人一人がである。
家族としての単位ではなく、
1人の人間としてである。

ここで、シュナイダーの神智学から引用する。

彼は認識においても行動においても、正しい思想に導かれているときにのみ、人間としてふさわしい仕方で、課題が達成できることを知っている。


人は、
新陳代謝・ホルモンバランスなどの体が属する秩序よりも、
より高次の秩序・つまり霊的秩序にも属するものである。

霊的秩序というのが、もし固定したものであるならば、
なぜ、人間が意志と選択ができるのか?

それによって、世界に影響を与え、
それが、動的な魂というものが発展し続け、
寧ろ、生成AIのような現実世界を超えるような超リアリティなメディアが完成しているではないか?

人は、自身の行いを反省する。
過度になれば、恥・罪悪感となる。

しかし、排尿行為・排便行為をしない人などいるのだろうか?

恥・罪悪感を感じることは、自身を制御できていることの証である。
寧ろ、周りよりも感じるということは、それだけ大人であるということである。

精神病とは

精神病とは、AIのように、分析しすぎてしまう人のことである。

つまり、魂に導かれることとは、無関係に、
分析をし続けてしまい、
DMN(デフォルトモードネットワーク)と呼ばれる、
非集中の状態・全脳活動でアイデアが浮かんでいる状態
に耽溺してしまい、
人間とは相応しくないあり方で、課題を達成しているかのように勘違いする人のことである。

最も言いたいこと

どういう目的意識でこれを書したかというと、
魂を観測可能な技術は、今後、何億年も開発されないし、宇宙人も開発できないのではないかということである!

まず、確定したこととして、
誰もこのような文明になることを予測できなかったことと、
最新AIは、リアルを超えてしまったことである。
そして、自身(守るべきもの)に対して、脅威となる現象が起こった後、自身の意志=力が増すということ

つまり、人は、もはや普通に今まで通りに生きれば良いということである。

人ですら、AIを予測できないくらいの技術を作らせてしまう魂を
AIが予測することは不可能ではないかと思われるからである。

以上

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