#2.28 パパ活編:リベンジ・アオハル②──東京への憧憬
◆東京SEXリベンジャー
地方都市の大学から奇跡的に新聞社の採用に通って、憧れの東京へ。
僕が入社した新聞社には当時、恵比寿にも社員寮があった。
初めての恵比寿に、僕はすっかり圧倒された。行き交うおしゃれな男女、おしゃれな店、左官町とは全く違う都会的で大人な夜の顔。地方都市の駅前の丸井で買った、BURBERRY BLACK LABELのスーツが、ものすごくダサく思えて恥ずかしかった。
初めて住む東京は、知らないことだらけだった。
同期のほとんどは東京の大学出身で、東京での大学生活を謳歌していて、トレンドやスポットにも詳しかった。僕は、それに引け目を感じ、忙しい仕事の合間を縫っては、東京の人間になろうと努めて、夜遊びを繰り返した。
しかし合コンに行っても、何も知らない僕は、話について行けず、恥ずかしい思いをすることが多かった。そんな引け目をようやく感じなくなったのは、30歳を過ぎたあたりからである。それからは、東京で過ごさなかった時間を取り戻すように、遊びまくった。すでに、数は覚えていない──。
◆コロナ禍とパパ化
32歳で、でき婚してからも、夜遊びは止まらず、元々あったアングラ傾向がさらに強まり、刺激依存症になっていた。ようやく少し落ち着くようになったのは、40歳が目の前に近づいたあたりからである。
もう、東京に特に拘泥することもなく、埼玉県との境に小さな家を建て、それなりに家庭生活やパパを務めながら、いくつかの婚外恋愛と落ち着いた夜遊びをしていた。最初に言った通り、妻とはずっとセックスレスなので、性的活動はもっぱら外だったが、それでもはた目から見れば、普通の家族、普通のパパだろう。
しかし41歳のときに、コロナ禍に見舞われる。すでに婚外恋愛の彼女とも別れていた僕は、新たな出会いを求める術を失った。それでなくても、40歳を過ぎてから、オジサンの階段を一段上ったせいか、新たな出会いは少なくなっていたし、マッチングアプリの成果も乏しくなっていた。そして、リアルでも、積極的にモーションをかける勇気もなくなっていたのである。
すぐに終わると思われたコロナ禍は、1年以上経っても終わりが見えなかった。そして、この物語の冒頭に述べたように、2回目のワクチン接種を終えた2021年の夏に、心の箍が外れ、「何かこれまでなかったような新しい経験がしたい!」「これまでにない非日常感を味わいたい!」「すごく若い子とエッチをしてみたい!」と、パパ活を始めるのである。
それまで、大人な女性が好きだった僕が、なぜ若い子に行ったかについては、生物の原始的な本能から来た渇望のようであり、身体的老化が進むなかで、生き物として「若さ」を求めている、そんな感じだったと説明した。
しかし、もう1つあったのである。
取り戻せていない東京、東京の大学生活、東京の20代の生活、それを取り戻そうとしているのかもしれない。いや、取り戻すという表現はおかしい。求めていたが、手に入れられてなかったものを、今さらながら、こんな汚れたかたちで、手に入れようとしていたのだ。
明後日に会う真由さんは、28歳のOL。
居酒屋のカウンターで、焼酎グラスを片手に映る彼女は、美人ではあるが、それほど都会的ではなさそうだった。シンプルな襟なしの白シャツに、黒髪。無印良品のショップにいそうなタイプに見えた。
しかし、このところ、パパ活に疲れていた僕は、彼女の素朴そうなところに期待した。明後日は、何も考えずにゆっくり飲もう。そう考えて、明後日を待つことにした。
ネットで検索したら「ネット乞食」という言葉に出くわしました。酷いこと言う人、いるなー。でも、歴史とたどれば、あらゆる「芸」は元々「乞食」と同根でした。サーカス、演芸、文芸、画芸しかりです。つまり、クリエイトとは……、あ、字数が! 皆様のお心付け……ください(笑) 活動のさらなる飛