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今夜裏庭で会いましょう

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人生相談(表紙:山田せら http://yamadasera.jimdo.com/
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記事一覧

神様になることはできましたか?

 わたしには友達がいくにんかいて、そのうちの誰かであって誰でもない誰かのことを、わたしは同居人、と呼ぶのだと思う。わたしは海辺の街にいる。あるいはそうではない場所に。わたしはインターネットにいる。あるいはそうではない場所に。

 架空の鹿が死んだ話をしよう。

 わたしのことを知らない誰かが、わたしのことを特別な人間だと呼んだ。その人はわたしを知らなかったし、わたしもその人を知らなかった。わたしは

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「なりたい自分」になることはできるのでしょうか?

 わたしたちは海の近くのアパートメントに住んでいて、わたしたちというのはわたしと同居人のことで、彼女はそこにいたり、いなかったりする。あるいは彼女にとって、わたしはそこにいたり、いなかったりする。

 わたしは彼女が実在しないことを知っている。

 あるいは、彼女の実在する世界に、わたしは実在しないことを。

 季節が何度か巡ってわたしは夏の部屋にいる。夏は幻が見える季節だ。海はそこにあるのかもし

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「目の前の相手が望む自分」を演じてしまいます

 質問、とわたしは言う。いつものだね、と同居人は言う。そのことに彼女が鳴れてしまっていることに、わたしは不思議な感慨を覚える。あるいは少しがっかりする。彼女は徐々にここに、この場所、わたしのいる場所に、最適化しつつあるように見える。それはいいことなのだろう。もちろん。

「あなたはなにですか?」

 同居人は首をかしげる。立てた膝の上にうずくまっていた長い髪がさらりと落ちる。同居人はソファにすわっ

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「助けてくれないなら死んでやる」と言われました、どうしたらいいですか?

「どうする?」

 質問を読み上げたわたしは訊ねる。彼女は小さな頭をことん、と、絵に描いたようにかしげる。

「あなたが言うの?」

「わたしでもいいけど。たとえば、わたしが、絶対に一緒にいて、とあなたに言う」

「いるけど」

「出かけないで、いつも一緒にいて、ごはんの途中でいなくならないで、外に出ないで」

「やだ」

「やでしょう。でもそれをしてくれないなら、わたしは死ぬ」

「死ねばいい」

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ひとを恨むのは間違ったことでしょうか?

 喧嘩をしてしまった。

 どうやら音速で春が過ぎてしまったということに気づいたのは、川沿いのローソンで切手を買ったあとのことだった。ゴールデンウィークだから郵便局が閉まっていた。わたしの家は海から離脱して流れている川と海の間に挟まれていて、ある日わたしの家にやってきた友人は、「湿気がすごいでしょう」と言った。冬の間、窓のそばにタオルを置いていると、夜露を搾り取れるほどになった。顔を洗ったら、別の

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友達を作る

 朝、年下の男の子から連絡があって、少しSkypeをしてもらえないだろうかと言う。わたしは男の子と話をした経験があまりないので――「やりとりをしたこと」はあるけれど、裏庭に腰かけてじっくり話をした経験があまりないので、気が進まないのだけれど、応じる。わたしは彼に多少の友情と、それなりにたくさんの愛着を感じている。できるだけ早ければいつでもいいというので、わたしはその日の午後、日暮れ前を指定する。話

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何を話せばいいのでしょうか?

 ときどきわたしは病気になる。

 わたしは出口のない部屋にいる。体全体が痛く、なかでも脇腹が痛い。喉の奥につかえているものがあり、水を飲んでもそれは落ちていってくれない。夢の中でわたしは森の中にいて、そこは湿っていてどこまでも歩いて行ける。けれどすうっと空が見えてわたしは目をさます。そこはベッドの上で、腕を持ち上げると冷たい空気がある。

「何時?」

 わたしは尋ねる。

「八時」

 驚くほ

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短歌についての閑話

 引っ越しなんてできないと思っていた。

 都会と田舎どちらが好きかと尋ねられたら、都会は素晴らしい場所だけれど田舎に住むことしかできないだろうと答えていた。三十年間ずっと。でも実際のところわたしは田舎に住んではいない――都会にも住んではいない。わたしは海のそばの、街と呼んでいいのかわからない程度の、中途半端な場所に住んでいる。八百屋と肉屋と魚屋と米屋があるけれどそれが商店街を作っているわけでもな

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裏庭とは何ですか?

 梨が食べたいと同居人が言うので、神社を抜けて八百屋に行く。八百屋は神社を挟んでマンションの向かい側にあり、コンビニエンスストアに行くよりよほど近いので、わたしたちはコンビニスイーツやアイスを買うくらいの感覚で、頻繁に果物を買う。

 この文章を書いたとき、まだ秋だった。梨のシーズンだった。梨はさほど安くはないので、それは若干手痛い出費だ(なにしろわたしたちはとてもとても貧乏だ)。でも同居人は小鳥

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架空の鹿の死

 この物語はフィクションです。

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どうして質問に答えるのですか?

 なにをしているの、と同居人はわたしに聞く。質問に答えているの、とわたしは答える。

 そこは海のそばの神社の前にあるマンションの一室で、海までは歩いて十五分かかる。そこに行くまでの道のりには肉屋(キロ単位で肉を買うというずるずるドーパミンが出る行為を行うことができるし、冷凍の馬刺しも売っている)、子供とその親だけが入場を許されているごく小さな遊園地、おしなべてなにもかもが高い古道具屋、いつ見ても

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