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【似非エッセイ】空

Photos by Akira Homma

 鳥になりたかった、らしい。「……らしい」と他人事のように言うのは、憶えがなかったからだ。なんでも幼少時、事あるごとにぼんやりと上を見上げて呟いていたという。それを母親から聞かされるのは、決まって何か悪さをしたり、生意気な態度を取ったりしたときだった。

「あの頃はかわいかったんだけどねぇ」と。

 右も左もわからない、純な気持ちしかなかった子どもの頃を振り返らされるのは、どうにもバツが悪い。古いアルバムをめくり、前髪が真っ直ぐに揃っていた自分を見つけたときのこっぱずかしさが甦るからだ。その反動で、前髪を上げる(立てる)ようになったくらいだから、どの程度のものか、推し量れるだろう。おかげですっかり干上がってしまったのだが。

 なぜ、鳥になりたかったのか。それも母から聞かされた。「『ボクも鳥みたいに飛びたいなぁ』って言ってたわよ」という。これは思い当たる節がある。『スーパーマン』に憧れていたからだ。

 クリストファー・リーブが演じた映画版。それが封切られたのは6歳のとき、1978年のことである。周りの友だちは皆、前年に公開されていた『スターウォーズ』に夢中になっていた。でも、ひとりだけ、スーパーマン。「いじめ」という概念がまだない時代だが、「曲、真似してるじゃん」って馬鹿にされ、軽く除け者にされたのも憶えている。
 似てる。たしかに似てる。だって作曲者が同一人物(ジョン・ウィリアムス)だから。そんなことをわかるはずもない小学1年は、そう言われてぐうの音も出なかった。なんで曲の相似の責めをオレが負わねばならぬのか、いまだったらいくらでも反論できるのだが。

 いま思えば、高い所から飛ばなかったのが奇跡だ。それくらい、“飛ぶ”ことに執着していたからだ。ビルの合間を飛びまくる夢はしょっちゅう見ていた記憶がある。そしてそれはいまも、たまに見る。

 周りの子どもたちと少しずつズレていったのはあの頃からだ。『ガンダム』や『キン肉マン』が大流行していても、ひとり『あしたのジョー』『がんばれ元気』『巨人の星』を追いかけた。生身の人間が戦う姿に“実感”があったからだ。「キン肉マンだってそうでしょ」と言われるかもしれないが、見た目が違うし、おそらく生来の天の邪鬼がすでに発動していたのだろう。機械を使って飛ぶ『スターウォーズ』ではなく、変なスーツとマントを着けてるが、自らが飛ぶ『スーパーマン』。そう考えると辻褄が合う。

 ボクシングと野球好きだった父親の影響、それが大きいことは紛れもないが、本当の原点は『スーパーマン』、そして「鳥」だったのかもしれない。鳥から派生したスーパーマン、「強さ」に対する羨望も、そこで育まれたに違いない。

 周りだけでなく、“時代”とのズレも、当時すでにあった。『ジョー』なんて、ひと世代前の人たちのものだから。でも、それを恥ずかしいと思わなかった。むしろ、「自分だけのもの」という感覚が快感だった。近年こそ、「個性」が尊重される時代になったが、50年近く前の当時、「人から外れること」はあってはならないことだったから、それもまた異例だった。DNAなのか、親が放任だったのか(いや、そんな憶えもないが)、いまとなっては、誰にも強制されることなくズレたままいさせてもらえたことに感謝している。あのズレがなければきっと、ボクシングにこんなにのめり込むことはなかったのだから。

『ジョー』『元気』『飛雄馬』という人間ドラマの流れを汲んでハマったのが『はだしのゲン』だった。どこでどう出合ったのか、まったく記憶はないのだが、たしか小3とか小4の頃だったと思う。そんなガキには重たすぎる話で、当時どこまで理解していたのか定かではないが、あのときから間違いなく「広島」「長崎」は特別なものになった。

先月2日、マツダスタジアムで行われた今季最終戦。澄み渡った青空と、真夏日を思わせる陽射しが天然芝を美しく輝かせる。この“平和”を感じたいからこそ、毎年足を運ぶのだ

 小5のときに広島へ、大学1年のとき長崎へ初めて赴いた。資料館で見た衝撃もさることながら、原爆ドームの真下から、平和記念公園から見上げた光景は、いまだかすかに憶えている。何十年も前とはいえ、この上であの忌まわしき爆弾が炸裂したとは思えない澄み切った青さ──。

 野球観戦にかこつけて、毎年数回、広島を訪れている。例によって“雨男”ぶりを存分に発揮して、ポツポツザーザーとやられることかぎりなく。試合が中止になったことだって何度もある。けれども、晴れ渡った下で行われる特にデーゲームの美しさは、言葉に表し難い。そしていつも、70数年前に起きた出来事を想いながら、上を見上げる──。

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