社会人1年目:地方支店配属時代のお話〜前編〜


本記事の主な対象は就職活動中の学生達になるとは思いますが、企業研究の参考にもなると思いますので、まずは前職時代にどのような仕事をしていたのか紹介したいと思います。
最初のお話は私が一番最初に配属された地方支店時代のお話です。本稿は前編として、配属に至るまでの経緯、どんな支店でどんな人がいたのかなど概要について紹介していきます。
後編の方で、具体的な仕事内容やどのような困難や達成感があったのかについて詳細を紹介したいと思います。

私は前職では、就職活動中の面接時から内定後の人事面談、入社後の配属前面談を通じて、会社には一貫して元々描いていた将来的な中長期キャリアについて伝えてました。詳細はここでは割愛しますが、私自身が当時描いていたキャリアプラン(大筋は現在も変化なし)では、まずはビジネスの現場として、営業、特に会社の主要ビジネスであった法人営業への配属を希望していました。

入社後数ヶ月間のOJT研修を経て、本配属が発表された時のことは今でも鮮明に覚えています。研修センターに同期200名くらいが集まり、順番に別室に呼び出され辞令が出されるのですが、皆「どこに配属されるのか?」とドキドキです。希望が叶わなかったのか、肩を落として戻ってくる同期もチラホラと。。そしていよいよ私の番です。

前職の会社は地方への配属がなく、基本は首都圏配属で9割以上の社員が首都圏で働いていました。私も首都圏を離れることは全く想像しておらず、人事部長に「営業部〇〇支店(超田舎)への配属を命ずる」と言われた時は、思わず「は?」と言い返してしまいました。ですがそこは会社の命令には逆らえず、1割に満たない「地方配属組」として1週間後の引越しを命じられました。
ちなみに余談ですが、地方にも当たり外れがあります。地方拠点の多くは地方大都市が中心でした。大阪、名古屋、福岡や札幌ですね。ここに配属された方は地方配属組の中でも当たりです。私は地方配属組の中でも1割に満たないかなりの田舎県(失礼ですが)に配属され、割と絶望したことを覚えています。赴任初日に電車から駅に降り立った時、あまりの山の近さと迫力に「山近っ!」と思わず叫んだくらいです。(これ本当です。)
また、配属された拠点には、若手は一切おらず平均年齢が50歳超えでした。名誉あることに初の新卒配属です。そして人数も10人に満たない全支店で一番小さな支店でした。
この小さな地方支店で50代のおっちゃん達と始まった私のキャリアですが、ここで私の社会人としてのベース、礎が確かに築かれたのでした。

結果的に私にとって幸運だったことは、①「新卒初の配属者であった」ことと、②「支店の人数が少人数だった」ことでした。①については、支店長をはじめ課長や主任、担当者レベルまで全先輩方が、新卒としてやってくる私を「大切に育てよう」と考え、育成計画まできちんと考えていて下さったのです。ちなみにこの時、私がずっと会社へ伝え続けていた中長期キャリアのイメージが結果的に非常に重要なものとなりました。人事部から支店へも私の希望は伝えられており、配属直後の面談でも支店長や課長に一貫して伝えていたため、そのキャリアイメージの実現に向けて育成計画を考えていただけたのです。

具体的に私が考えていたキャリアイメージについて一部紹介すると、私は将来的に社長を目指していました。その最初の一歩としてまずは現場を知るための法人営業を経験し、その後若くして海外への駐在を希望していました。前職の会社が成長するためには、海外で戦い勝ち抜く必要があると考えており、若いうちから世界でどのように戦うのか最前線を経験しておきたかったためです。

支店では、私の次に若い42歳の男性先輩社員と、2番目に若い(はず)女性先輩社員が私のメンターとして指導を担当することとなりました。鬼教官でした。また課長は清原似の強面の親分でした。ただ課長は中身は非常に心優しい親父でした。
これは後に判明したことですが、支店の先輩方は私が2年目の時には海外駐在に送り出せるよう1年間を通じて、様々な経験をさせようと計画して下さっていたみたいです。両メンターともに言葉遣いも中々に激しく、遠慮なくバンバン言ってくるため、何度か心が折れかけましたが、厳しく指導していただいた結果、今の私があると考えています。

幸運だったことの②についてですが、人数が少ない支店であったことから、会社のビジネスに関するほぼ全ての工程を自分達自身で担う必要がありました。支店メンバー全員が法人営業担当であったのですが、SEでもあり、運用担当でもあったのです。つまり自分自身で顧客を見つけ、提案し、受注したら契約、納品、そして運用・保守まで担うことが求められていました。支店の先輩方はただのおっちゃん(おばちゃん)だと思っていたら、凄い人達だったのです。
私はIT系の会社に入りながら、ド文系だったため技術の勉強から必要となり、これがまた大変でした。先輩方に怒られながら勉強していましたが、夜遅くまで付き合って指導して下さった先輩達には頭が上がりません。

そして、私の1年間の目標・ミッションとして言い渡されたことが、「新規顧客を開拓し、売上XXX千万円」を達成することでした。はっきり言って新人には割と厳しい目標でしたが、恐らく上司・先輩方は若いうちの海外駐在を目指すのであれば、ある程度一連の商流を1人でこなせるようになっておく必要がある、そのためにもまずは、「お客さんを捕まえるところから」と考えたのでしょう。

この「お客さんを捕まえる」ということが、いかに大変か、私は身を持って知ることになります。まずは電話でのアポ取りや、名刺を持っての飛び込み営業から始りました。
しかしながら、この経験を社会人キャリアの最初にできたことは、私にとって非常に大きな財産となっています。当然のことながら全てのビジネスは需要と供給により成り立っています。お客さんがいて初めて成り立っています。ビジネスとしてお金を生むこと、価値を生むことの難しさをいきなり思い知らされることとなります。

続きは後編として、具体的な業務内容や、困難だったこと、達成したことなどを紹介したいと思います。

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