Seiji Bito
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記事をすべて見る すべて見る「大きな物語」に巻き取られずに生きていく(あるいは、死んでいく)こと ――名郷直樹「いずれくる死にそなえない」感想文――
長年の盟友である名郷直樹さんが新しい一般向け書籍をドロップしました。「いずれくる死にそなえない」というタイトルです。まず、タイトルが最高です。今までの名郷さんの本のタイトルにあった「健康第一は間違っている」とか「検診・薬はやめるに限る」とかの言葉は、メジャーメッセージに対するわかりやすいカウンターであるためにかえってそれが名郷さんの思弁をわりにくくさせていた、という印象があります。今回のタイトルは、湧き立つ何かしらの強い欲望が整理されないまま、ぐしゃっとした形で言語化されてい
シリーズ「コロナ禍と認知」その6:なぜ人は、何かを信じてしまうのか? --吉本隆明「共同幻想論」とSNSコミュニティ-- 前半
「なぜ人は、何かを信じてしまうのか?」という問いは、ここ数年の私の主要な関心の一つです。人が他者とコミュニケーションを行ううえで「自分ではない何かを信じる」ということは、生きていく大切な支えであるとともに、人生における何か危険なトラップでもあるという感覚をここ数年ずっと持ち続けています。そんなときにNHKがシリーズで出している「100分DE名著」の「吉本隆明 『共同幻想論』」を読みました。おそらく原著は私には難解すぎると思うので(多くの偉い思想家の名著は私にとって難解すぎま
シリーズ「コロナ禍と認知」その5 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」後編:不安の正体 ――「制御欲求」と「自然」との関係を中心に――
今回のコロナ禍において特に都市社会が必死になってやっている様々な対応(今回のポピドンヨードなどはまさにそんな感じですが)をみていて感じることは、人為と技術は自然を完全に制御することが可能なのだという前提、そして、制御の本質は還元にあるのだ、という前提を、多くの為政者の方々が共有しているのだろうなということです。この「制御の本質は還元(という幻想が都市社会を支えている)」という仮説は私の中ではここ数年の大きなテーマとなっているのですが、ここ数カ月のニュースを見つめながらその思
シリーズ「コロナ禍と認知」その4 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」 前編:世界を「こちら」と「あちら」に分断したいという欲求が生み出すもの。そして、その反証シンボルとしての「王蟲」
ちょっと最初に言い訳しておくと、コロナ禍については今日明日の対策を具体的に考え提案する立場にある総合病院内科医の私の記述としては、これから各テキストは適切なものではないです。ただ、今だからこそ「風の谷のナウシカ」のメッセージを考えてみるべきだとも思いまとめてみます。 ここ数カ月はテレビをつけるとほとんどが新型コロナウィルス感染症の話題です。そして、そこで語られていることに視座のほとんどが「いかにして我々は清浄を保ち続けることができるのか?」というというに対する様々な意見なの