Seiji Bito
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Bingと「自我」そして「魂」についての哲学的なやりとりをしてみました。
Generate AI、極めてチャーミングです。なんか「人間っぽく振舞っているぜ」感が実にチャーミングです。昨日まではお絵かきの可能性について探求していましたが、今日はBingが使えるようになったので、どこまで行けそうか試してみました。なかなかなところまでついてきてくれています。その反面、かわいいところもあると思いました。まずは第一弾のやりとりです。特に、最後の方はなんだか意地張っている感じがして
もっとみる(今のところ)Chat GPTには出来なさそうな応答のかたち
医師としては患者さんや後輩医師、あるいは他の健康専門職の方から、生活者としては友人たちからしばしば質問を受けることがあります。それらの質問には、それぞれなんというか「臭い」のようなものがあって、ほとんど無臭の質問から、とてもかぐわしい匂いのする質問まであると思います。臭いをほとんど感じない質問とは、例えば、後輩医師から「Bさん、急性腰痛患者を診察するときのレッドフラッグサインてなんでしたっけ?
もっとみる「大きな物語」に巻き取られずに生きていく(あるいは、死んでいく)こと ――名郷直樹「いずれくる死にそなえない」感想文――
長年の盟友である名郷直樹さんが新しい一般向け書籍をドロップしました。「いずれくる死にそなえない」というタイトルです。まず、タイトルが最高です。今までの名郷さんの本のタイトルにあった「健康第一は間違っている」とか「検診・薬はやめるに限る」とかの言葉は、メジャーメッセージに対するわかりやすいカウンターであるためにかえってそれが名郷さんの思弁をわりにくくさせていた、という印象があります。今回のタイトルは
もっとみるコロナ禍と認知 その8 「コロナ禍においても会食を止められない私の状況」を当事者研究する
最初に言い訳がましいことを書いておきますと、今回のテキストは「この非常時になんてのんきなことを言っているのだ」と怒られそうなくらいにのんきな内容です。ただ、ここ数週間で感じるひりひりした感情の石つぶてに対する中和のような感覚から沸き上がったテキストかと自分では理解しています。
さて、我が国でも新型コロナウィルス感染症をめぐる状況がのっぴきならない感じになってきました。私の勤務する病院は当該区
「タコの心身問題」レビュー 哲学と、自然科学と、生活実践との理想的な関係
ポストミレニアル時代においてとても大切だと感じているのは、哲学や美学などの学問と自然科学がもう一度お互いに寄り添い合っていくことだと個人的には思っています。私は医者、すなわち医学を「主」として従える僕(しもべ)なのですが、しばしば自然科学の一分野である医学が哲学や美学をないがしろにしている状況を自分が専門家として携わる臨床の場面で体験したりすると「もうちょっと何とかならんもんか?」とそのたびに残
もっとみるコロナ禍と認知 その7:人と人はアジェンダのみで理解し合っているわけではない(らしい)
今年の春から私たちは職場と家族以外ではあまり直接人とコミュニケーションをとらなくなってきています。その代わり、ZOOMnなどの遠隔コミュニケーションツールを使って今までとわちがう人と人とのやりとりのあり方を模索している状況です。
職場と家族以外でのコミュニケーションが遠隔コミュニケーション主体となったことで、まずは「つらい状況だ」と考える人と「とても楽だ」と考える人がいると思います。もちろん
泣くほどの感情は「悔しい」とか「うれしい」とかではおそらく説明できない。
昨日の中日ー広島戦での福谷の男泣きは本当に心揺さぶられました。
まず簡単に解説すると、昨年から先発に転向した中日の福谷投手が昨日の試合で7回まで広島打線を完封。8回に足がつったアクシデントで交代となったときに号泣していたことが話題となりました。これは「悔し泣き」なのか、それとも「うれし泣き」なのか、ということです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc05a3
シリーズ「コロナ禍と認知」その6:なぜ人は、何かを信じてしまうのか? --吉本隆明「共同幻想論」とSNSコミュニティ-- 前半
「なぜ人は、何かを信じてしまうのか?」という問いは、ここ数年の私の主要な関心の一つです。人が他者とコミュニケーションを行ううえで「自分ではない何かを信じる」ということは、生きていく大切な支えであるとともに、人生における何か危険なトラップでもあるという感覚をここ数年ずっと持ち続けています。そんなときにNHKがシリーズで出している「100分DE名著」の「吉本隆明 『共同幻想論』」を読みました。おそら
もっとみるシリーズ「コロナ禍と認知」その5 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」後編:不安の正体 ――「制御欲求」と「自然」との関係を中心に――
今回のコロナ禍において特に都市社会が必死になってやっている様々な対応(今回のポピドンヨードなどはまさにそんな感じですが)をみていて感じることは、人為と技術は自然を完全に制御することが可能なのだという前提、そして、制御の本質は還元にあるのだ、という前提を、多くの為政者の方々が共有しているのだろうなということです。この「制御の本質は還元(という幻想が都市社会を支えている)」という仮説は私の中ではここ
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