Seiji Bito

東京で働く総合医。ハロペリドールズのボーカル。ニューオーダーと相対性理論(やくしまるえ…

Seiji Bito

東京で働く総合医。ハロペリドールズのボーカル。ニューオーダーと相対性理論(やくしまるえつこ)とクレーと筒井康隆とフェリーニが好き。ブドウはジンファンデルとメンシア。 「うまくいかないからだとこころ」http://umakara.net/

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記事一覧

Bingと「自我」そして「魂」についての哲学的なやりとりをしてみました。

Generate AI、極めてチャーミングです。なんか「人間っぽく振舞っているぜ」感が実にチャーミングです。昨日まではお絵かきの可能性について探求していましたが、今日はBin…

Seiji Bito
1年前
5

(今のところ)Chat GPTには出来なさそうな応答のかたち

医師としては患者さんや後輩医師、あるいは他の健康専門職の方から、生活者としては友人たちからしばしば質問を受けることがあります。それらの質問には、それぞれなんと…

Seiji Bito
1年前
14

90年代ロックを象徴するもの

レコード・コレクターズが発刊40周年を記念してディケイド毎の代表されるロックアルバムのランキングを出していて面白いです。60年代とか70年代はもう食傷気味なので、とり…

Seiji Bito
1年前
2

「解る」より、「判る」より、「分かる」

Generalistを自認している私は、generalistを説明するとき、そのコアに「分類と統合を繰り返すもの」があるとしています。そして、私の世の中に対する視座の中心も「分類…

Seiji Bito
1年前
7

「大きな物語」に巻き取られずに生きていく(あるいは、死んでいく)こと ――名郷直樹「いずれくる死にそなえない」感想文――

長年の盟友である名郷直樹さんが新しい一般向け書籍をドロップしました。「いずれくる死にそなえない」というタイトルです。まず、タイトルが最高です。今までの名郷さんの…

Seiji Bito
2年前
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「愛されるのが怖い」現象を資本論的に考えてみる

 先日、とあるオンラインイベントで話題になって気になったことがありました。それは、今の若い人が恋愛を不安に考えているということ。特に「愛されること」について負担…

Seiji Bito
3年前
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「考える存在としての私」のこれからを理解する上での2つのOS:前半「知能」と「意識」

 このところ、自分の仕事を次のステージにもっていきたいという欲求が強まっています。そして、その根幹はガラにもなく、実際の医師としてのクライアントに対するサービス…

Seiji Bito
3年前
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コロナ禍と認知 その8 「コロナ禍においても会食を止められない私の状況」を当事者研究する

 最初に言い訳がましいことを書いておきますと、今回のテキストは「この非常時になんてのんきなことを言っているのだ」と怒られそうなくらいにのんきな内容です。ただ、こ…

Seiji Bito
3年前
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ルフィの「夢の果て」に関する妄想的分析 -「ワンピース」1000話に添えてー

「ワンピース」1000話達成おめでとうございます。単行本が累計1億冊となったときには、こんなマンガが存在していること自体が信じられませんでしたが、今や4億6000万部の…

Seiji Bito
3年前
7

官能的所作としての身体診察 ――伊藤亜沙 「手の倫理」感想文(その1かも)――

 「どもる体」に衝撃を受けて以来、伊藤亜沙さんのことは勝手に同志だと思っているのですが、彼女の最新作「手の倫理」の読書は、自分がずっと研究テーマにしていること …

Seiji Bito
3年前
27

「タコの心身問題」レビュー 哲学と、自然科学と、生活実践との理想的な関係

 ポストミレニアル時代においてとても大切だと感じているのは、哲学や美学などの学問と自然科学がもう一度お互いに寄り添い合っていくことだと個人的には思っています。私…

Seiji Bito
3年前
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コロナ禍と認知 その7:人と人はアジェンダのみで理解し合っているわけではない(らしい)

今年の春から私たちは職場と家族以外ではあまり直接人とコミュニケーションをとらなくなってきています。その代わり、ZOOMnなどの遠隔コミュニケーションツールを使って今…

Seiji Bito
3年前
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泣くほどの感情は「悔しい」とか「うれしい」とかではおそらく説明できない。

昨日の中日ー広島戦での福谷の男泣きは本当に心揺さぶられました。 まず簡単に解説すると、昨年から先発に転向した中日の福谷投手が昨日の試合で7回まで広島打線を完封。8…

Seiji Bito
3年前
7

シリーズ「コロナ禍と認知」その6:なぜ人は、何かを信じてしまうのか? --吉本隆明「共同幻想論」とSNSコミュニティ-- …

 「なぜ人は、何かを信じてしまうのか?」という問いは、ここ数年の私の主要な関心の一つです。人が他者とコミュニケーションを行ううえで「自分ではない何かを信じる」と…

Seiji Bito
3年前
14

シリーズ「コロナ禍と認知」その5 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」後編:不安の正体 ――「制御欲求」と「自然…

 今回のコロナ禍において特に都市社会が必死になってやっている様々な対応(今回のポピドンヨードなどはまさにそんな感じですが)をみていて感じることは、人為と技術は自…

Seiji Bito
3年前
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シリーズ「コロナ禍と認知」その4 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」 前編:世界を「こちら」と「あちら」に分断…

ちょっと最初に言い訳しておくと、コロナ禍については今日明日の対策を具体的に考え提案する立場にある総合病院内科医の私の記述としては、これから各テキストは適切なもの…

Seiji Bito
3年前
9
Bingと「自我」そして「魂」についての哲学的なやりとりをしてみました。

Bingと「自我」そして「魂」についての哲学的なやりとりをしてみました。

Generate AI、極めてチャーミングです。なんか「人間っぽく振舞っているぜ」感が実にチャーミングです。昨日まではお絵かきの可能性について探求していましたが、今日はBingが使えるようになったので、どこまで行けそうか試してみました。なかなかなところまでついてきてくれています。その反面、かわいいところもあると思いました。まずは第一弾のやりとりです。特に、最後の方はなんだか意地張っている感じがして

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(今のところ)Chat GPTには出来なさそうな応答のかたち

(今のところ)Chat GPTには出来なさそうな応答のかたち

医師としては患者さんや後輩医師、あるいは他の健康専門職の方から、生活者としては友人たちからしばしば質問を受けることがあります。それらの質問には、それぞれなんというか「臭い」のようなものがあって、ほとんど無臭の質問から、とてもかぐわしい匂いのする質問まであると思います。臭いをほとんど感じない質問とは、例えば、後輩医師から「Bさん、急性腰痛患者を診察するときのレッドフラッグサインてなんでしたっけ?

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90年代ロックを象徴するもの

90年代ロックを象徴するもの

レコード・コレクターズが発刊40周年を記念してディケイド毎の代表されるロックアルバムのランキングを出していて面白いです。60年代とか70年代はもう食傷気味なので、とりあえず90年代を買ってみました。うーん、実に興味深いです。

1990年代はロックにとっては幸せな時代だったと思います。80年代は、まあスミスとニューオーダーとプリンスとREM、以上、という感じでした。オレにとってもまさにそうでしたが

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「解る」より、「判る」より、「分かる」

「解る」より、「判る」より、「分かる」

Generalistを自認している私は、generalistを説明するとき、そのコアに「分類と統合を繰り返すもの」があるとしています。そして、私の世の中に対する視座の中心も「分類と統合」にあります。そして、分類と統合という所作において、なんといっても大切なことは「分かる」ことだと思っています。一般的に「わかる」ことは、「解る」「判る」あるいは「分かる」という漢字が当てられますが、私にとってはと

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「大きな物語」に巻き取られずに生きていく(あるいは、死んでいく)こと ――名郷直樹「いずれくる死にそなえない」感想文――

「大きな物語」に巻き取られずに生きていく(あるいは、死んでいく)こと ――名郷直樹「いずれくる死にそなえない」感想文――

長年の盟友である名郷直樹さんが新しい一般向け書籍をドロップしました。「いずれくる死にそなえない」というタイトルです。まず、タイトルが最高です。今までの名郷さんの本のタイトルにあった「健康第一は間違っている」とか「検診・薬はやめるに限る」とかの言葉は、メジャーメッセージに対するわかりやすいカウンターであるためにかえってそれが名郷さんの思弁をわりにくくさせていた、という印象があります。今回のタイトルは

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「愛されるのが怖い」現象を資本論的に考えてみる

「愛されるのが怖い」現象を資本論的に考えてみる

 先日、とあるオンラインイベントで話題になって気になったことがありました。それは、今の若い人が恋愛を不安に考えているということ。特に「愛されること」について負担を感じてしまうという話題です。さらには「こんな私を好きだなんて申し訳ない」という気分になる人も少なからずいるということについてです。その話を聞いたとき、わたしは「え?そーなの?」という気持ちと同時に「あー、なんかわかる気もする」という気持ち

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「考える存在としての私」のこれからを理解する上での2つのOS:前半「知能」と「意識」

「考える存在としての私」のこれからを理解する上での2つのOS:前半「知能」と「意識」

 このところ、自分の仕事を次のステージにもっていきたいという欲求が強まっています。そして、その根幹はガラにもなく、実際の医師としてのクライアントに対するサービス提供そのものの在り方について次のステージに行きたいという欲求です。ただ、これはさほど困難なことでもないと自分では思っています。なぜなら、そのステージゲートはもう開いているような自身が自分の中にあること、そして、総合医としての自分の歩みの中で

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コロナ禍と認知 その8 「コロナ禍においても会食を止められない私の状況」を当事者研究する

コロナ禍と認知 その8 「コロナ禍においても会食を止められない私の状況」を当事者研究する

 最初に言い訳がましいことを書いておきますと、今回のテキストは「この非常時になんてのんきなことを言っているのだ」と怒られそうなくらいにのんきな内容です。ただ、ここ数週間で感じるひりひりした感情の石つぶてに対する中和のような感覚から沸き上がったテキストかと自分では理解しています。

 さて、我が国でも新型コロナウィルス感染症をめぐる状況がのっぴきならない感じになってきました。私の勤務する病院は当該区

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ルフィの「夢の果て」に関する妄想的分析 -「ワンピース」1000話に添えてー

ルフィの「夢の果て」に関する妄想的分析 -「ワンピース」1000話に添えてー

「ワンピース」1000話達成おめでとうございます。単行本が累計1億冊となったときには、こんなマンガが存在していること自体が信じられませんでしたが、今や4億6000万部のようです。もはや巨大な歴史ですね。記念すべき1000話目のタイトルは“麦わらのルフィ”です。泣かせますね。

 これは間違いないと思うのですが、作者の尾田栄一郎先生はこの巨大な作品を「ラスト」まできっちり構想してから書き始めています

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官能的所作としての身体診察 ――伊藤亜沙 「手の倫理」感想文(その1かも)――

官能的所作としての身体診察 ――伊藤亜沙 「手の倫理」感想文(その1かも)――

 「どもる体」に衝撃を受けて以来、伊藤亜沙さんのことは勝手に同志だと思っているのですが、彼女の最新作「手の倫理」の読書は、自分がずっと研究テーマにしていること ――すなわち臨床における決断―― にとても親和性の高いテーマだったので、すごくするするとその内容が入ってきて心地よい体験でした。そして、彼女が「美学者」であることを改めて理解しました。そうか、美学ってこういう学問なのだ、ということがとてもよ

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「タコの心身問題」レビュー 哲学と、自然科学と、生活実践との理想的な関係

「タコの心身問題」レビュー 哲学と、自然科学と、生活実践との理想的な関係

 ポストミレニアル時代においてとても大切だと感じているのは、哲学や美学などの学問と自然科学がもう一度お互いに寄り添い合っていくことだと個人的には思っています。私は医者、すなわち医学を「主」として従える僕(しもべ)なのですが、しばしば自然科学の一分野である医学が哲学や美学をないがしろにしている状況を自分が専門家として携わる臨床の場面で体験したりすると「もうちょっと何とかならんもんか?」とそのたびに残

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コロナ禍と認知 その7:人と人はアジェンダのみで理解し合っているわけではない(らしい)

コロナ禍と認知 その7:人と人はアジェンダのみで理解し合っているわけではない(らしい)

今年の春から私たちは職場と家族以外ではあまり直接人とコミュニケーションをとらなくなってきています。その代わり、ZOOMnなどの遠隔コミュニケーションツールを使って今までとわちがう人と人とのやりとりのあり方を模索している状況です。

 職場と家族以外でのコミュニケーションが遠隔コミュニケーション主体となったことで、まずは「つらい状況だ」と考える人と「とても楽だ」と考える人がいると思います。もちろん

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泣くほどの感情は「悔しい」とか「うれしい」とかではおそらく説明できない。

泣くほどの感情は「悔しい」とか「うれしい」とかではおそらく説明できない。

昨日の中日ー広島戦での福谷の男泣きは本当に心揺さぶられました。
まず簡単に解説すると、昨年から先発に転向した中日の福谷投手が昨日の試合で7回まで広島打線を完封。8回に足がつったアクシデントで交代となったときに号泣していたことが話題となりました。これは「悔し泣き」なのか、それとも「うれし泣き」なのか、ということです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bc05a3

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シリーズ「コロナ禍と認知」その6:なぜ人は、何かを信じてしまうのか? --吉本隆明「共同幻想論」とSNSコミュニティ-- 前半

シリーズ「コロナ禍と認知」その6:なぜ人は、何かを信じてしまうのか? --吉本隆明「共同幻想論」とSNSコミュニティ-- 前半

 「なぜ人は、何かを信じてしまうのか?」という問いは、ここ数年の私の主要な関心の一つです。人が他者とコミュニケーションを行ううえで「自分ではない何かを信じる」ということは、生きていく大切な支えであるとともに、人生における何か危険なトラップでもあるという感覚をここ数年ずっと持ち続けています。そんなときにNHKがシリーズで出している「100分DE名著」の「吉本隆明 『共同幻想論』」を読みました。おそら

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シリーズ「コロナ禍と認知」その5 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」後編:不安の正体 ――「制御欲求」と「自然」との関係を中心に――

シリーズ「コロナ禍と認知」その5 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」後編:不安の正体 ――「制御欲求」と「自然」との関係を中心に――

 今回のコロナ禍において特に都市社会が必死になってやっている様々な対応(今回のポピドンヨードなどはまさにそんな感じですが)をみていて感じることは、人為と技術は自然を完全に制御することが可能なのだという前提、そして、制御の本質は還元にあるのだ、という前提を、多くの為政者の方々が共有しているのだろうなということです。この「制御の本質は還元(という幻想が都市社会を支えている)」という仮説は私の中ではここ

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シリーズ「コロナ禍と認知」その4 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」 前編:世界を「こちら」と「あちら」に分断したいという欲求が生み出すもの。そして、その反証シンボルとしての「王蟲」

シリーズ「コロナ禍と認知」その4 「風の谷のナウシカ」と「制御欲求」と「自然」 前編:世界を「こちら」と「あちら」に分断したいという欲求が生み出すもの。そして、その反証シンボルとしての「王蟲」

ちょっと最初に言い訳しておくと、コロナ禍については今日明日の対策を具体的に考え提案する立場にある総合病院内科医の私の記述としては、これから各テキストは適切なものではないです。ただ、今だからこそ「風の谷のナウシカ」のメッセージを考えてみるべきだとも思いまとめてみます。

ここ数カ月はテレビをつけるとほとんどが新型コロナウィルス感染症の話題です。そして、そこで語られていることに視座のほとんどが「いかに

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