「愛されるのが怖い」現象を資本論的に考えてみる
先日、とあるオンラインイベントで話題になって気になったことがありました。それは、今の若い人が恋愛を不安に考えているということ。特に「愛されること」について負担を感じてしまうという話題です。さらには「こんな私を好きだなんて申し訳ない」という気分になる人も少なからずいるということについてです。その話を聞いたとき、わたしは「え?そーなの?」という気持ちと同時に「あー、なんかわかる気もする」という気持ちにもなりました。なぜそういう気持ちになったのか?おそらくそれは、この時代が人にそう思わせる何かを持っているからだと思います。
そんな折に、NHKの「100分で名著」をぼーっと見ていたのですが、なんと「資本論」をやっていました。資本論100分で出来んのか?と思いましたが、実にスマートでしたね。ゲストは資本論語り手のニューヒーロー、斎藤幸平さんです。
言われればすぐに気づくことですが、しばらく言われないと気づかないことがあります。それは「どれだけお金やモノを所有しているかと、豊かさは全然同じことではない」ということです。そんなことあたりまえじゃん!みたいなことって、実はなんか努力しながら理解し続けている感じがあります。なぜなら、この社会は日々の暮らしの中で「いいかお前、豊かさとは、すなわちどれだけモノやお金を持っていることかということと同義なのだ」と後ろからささやき続けられているような社会だからです。そして、社会が「豊かさとは、すなわちどれだけモノやお金を持っていることかということと同義なのだ」とささやき続ける基本となる仕組みを支えるのが、マルクスのいう「物象化」、すなわち、社会を構成しているすべてについて、それらをモノとモノとの関係、さらに言うなら、そのモノを「商品」として認識するような仕組みです。
今は「水」をお金を出して買うというのが当たり前の時代です。さらには公園に遊びに行ったり、あるコミュニティに加わったりするのにもお金が必要になることがスタンダードになってきています。個人に無償で何かが与えられたり、ある資源をみんなで分け合って使ったりするということの方がむしろレアな社会に私たちは住んでいます。私たち一人一人の生活は、ペイして、ペイされることで成り立っている。これは現代人にとってのあたりまえの感覚です。
その意味では、最近よく聞かれる「自己責任」論は、実は責任の話をしているのではなく、実は物象化を極端なまでに進めていく社会の話なのだと思います。「自己責任」の文脈で言われる「責任」の意味は、おそらくある事象に自分がどれほど当事者としての意識をもって関与していくかという態度のこと(私が理解している責任とはこういうことです)を意味していません。そこで語られている「責任」とは「ペイする」ことに他なりません。環境のあらゆるものを「商品」としてとらえるのがスタンダードな社会なのだとしたら、ある不利益事象が生じたとき、その不利益を埋めていくプロセスはまさに「ペイすること」になります。そして、事象において発生する問いは、いったい誰が「ペイする」のか?というにおのずとなるでしょう。これが自己責任論の正体なのだと思います。
メルカリのような「個人と個人の物々交換」のシステムが爆発的な人気を博しているのは、極端に物象化された社会の中で、価値の相対性を「お金」というものがスッキリ解消してくれるように見えるからかもしれません。お金さえ間に挟めば、誰かが誰かから丸めたアルミホイルを高額な値段で買ったとしても、個人と個人との間では健全な価値の交換が成立するのです。それは、損得に関する人の幸福感や負担感をうまく調整してくれています。
さらに興味深いのが、この社会は「物象化」のしくみは、すべてをいったん「お金」という見えやすい価値に変換することから、さらに進化しているかもしれないということです。そのシンボルともいうべきものがSNSです。SNSは基本無料です。しかしながら、SNSを利用する個人個人は、おそらく「ペイしてペイされる」感覚とともにSNSを利用していると私は思っています。SNSを使用している人たちが「ペイ」しているのは、間違いなくプライバシー情報です。これらの情報を基に私たちは広告を見ることになり、そしてその広告に基づいてまた新たに商品を買っています。一方で、受け取っているものは何か?それはきっと「承認」でしょう。おそらく「ビュー」や「いいね」を「商品」として受け取るということこそが現代社会における「物象化」の象徴なのかもしれません。
すなわち、SNSフレンドリーな社会において、「好意」は「商品」として認識されているのかもしれない、ということです。他者に対して「いいね」とすることは、おひねりを投げることであるとともに、自分が発信したテキストに「いいね」が集まることは、利益を得ていることであるという解釈が、SNSフレンドリー社会に生きる人間の新たな認識なのかもしれません。
そのような理解を前提としたとき、今の若い人たちが「愛されること」について負担を感じてしまうという感覚、そして、「こんな私を好きだなんて申し訳ない」という気分になる感覚を私はおぼろげに理解できるような気がしてきました。ある特定の個人から強い好意を受け取ることは、すなわち「何も努力していないのに利潤を得てしまう」ということなのだと認識する心のしくみがそこにあるのだと思います。それは、「この利潤を返還しなければならない」という義務感を同時に生むのではないでしょうか?あらゆるものが物象化する社会の中では、他者からの好意もまた「商品」としてとらえられてしまう。そこで自分が他者から好意を寄せられることによって、その人は努力や代償なしに何かの資産を受け取ってしまったと感じてしまうのではないでしょうか。そして、その結果「申し訳ない」という感情が立ち現れるのだと思いました。
ただ、物象化だけでは、愛されることに対する負担感を説明することは困難です。何かその他にもからくりがありそうです。思いついたのは「感情の分散」と「ゼロサム思考」です。
「感情の分散」を表象する代表もSNSでしょう。人間は基本的に強い承認欲求とともに生きています。そして、その承認欲求を実に巧みに利用している文化がSNSです。私も含めて、SNSを利用する人は、自分の書き込みがたくさんの人に閲覧されたり、たくさんの人から「いいね」をもらったりすることをモチベーションとしてSNSを利用しています。ところが、基本的に「いいね」は1人につきひとつしか得ることができません。これは結構根が深いことです。なぜなら、一人がある一人に対して寄せる好意は平等であり、上限があるということを、このルールは人々に広めているからです。
誰かからの過剰な好意ではなく、一人一票の行為を受け取ることで自分の「資産」を増やしていくことは、むしろ「物象化」された社会の視点からはプライバシーを効率よく投げ売り、承認欲求を満たすための資源を得るという心地よい感覚を人に生んでいるのかもしれません。その物々交換はロジカルなものであり、「いいね」をもらった人間にとってはただ満足感だけがあるのでしょう。しかしながら、そのようなプライバシーの提出を「支払い」とし、それによって得る「対価」としての「ある個人からの好意」という物々交換は、個人にとっては若干重すぎる交換なのかもしれません。はたして、自分がこの人に対して支払ったプライバシーは、この人からこれだけの好意を向けてもらうほどの価値があったのだろうか?という問いを「物象化」社会に生きる個人はしてしまうのかもしれないです。
もうひとつの仮説である「ゼロサム思考」については、正直自分自身はほとんどぼんやりとしてしか理解できない思考ですが、それでもゲーム理論が社会に大きな影響を与えている現代においてはあながち間違ったものではない気がします。Wikiによれば、ゼロサム思考とは以下のことを意味します。
認知バイアスの1種で、状況がゼロサム・ゲームと同じ、すなわち1人の得がもう1人の損を意味するという判断を指す。名称はゲーム理論に由来するが、ゲーム理論における「ゼロサム」の概念と違い、ゼロサム思考は個人の状況に対する主観的判断という、心理学の構成概念である [1]。
ゼロサム思考によれば、二人の恋愛関係が成立したとすると、そこで恋人が自分に対して与えた行為は、自分にとってはブラスバランスとなる一方で、自分の恋人はそこに「感情の負債」をしょい込むことになると理解してもおかしくありません。だとすれば、好意を得続けることは恋愛関係の中で一方の貯蓄ともう一方の借金を加速させていく関係であるともいえます。もしこんな感じに相手からの好意を受け取っているとすれば、これはかなりきついのではないでしょうか?
人が他人に抱く感情の「物象化」、さらには「感情の分散」「ゼロサム思考」が蔓延する社会ということを仮説に置いた場合、恋愛以外の現象についても何か説明がつきそうな気がしてきました。好意とか、愛情とか、空とか、天気とか、心配とか、もし私たち人間が世界に対して投げかけるすべてのものが物象化せずにはいられないような社会が現代なのであれば、確かにものすごく大きな構造的変化をしていった方がよいのかもしれません。そして、斎藤さんが指摘するように、そのキーとなるコンセプトには必ず「コモンズ」という概念はありそうです。ただ、それだけでもない気もします。例えば、他者から受け取った大切なものを大切にする、というようなあたりまえを取り戻していくために、何か社会構造が変わるタイミングになっているのかもしれません。それは一体何かということについては、まだ私もよくわかりません。
参考文献
[1] Wikipedia “ゼロサム思考” https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%A0%E6%80%9D%E8%80%83