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責任を取るということ


今日は雨の中の「今週の一枚」


Googleって本当にすごいね。撮った写真をすぐに画像検索が出来て、この花はセイヨウタンポポと分かった。

セイヨウタンポポの花言葉は、


「真実の愛」


言葉だけを見ると、美しい言葉だと思ってしまうけど、よく意味を考えてみると「んっ?」となってしまう…

なぜなら、「愛」という言葉は常に真実だからこそ「愛」ではないのか?


「真実」という言葉がさらに付いてるということは、真実じゃない「愛」があるということだ。


僕は口から出る言葉に対しては、かなり敏感だ。


それはなぜかと言うと、ある借金のある女性を金銭的に助けようとして、それに対して渋る女性に僕は最初にこう言った。


「大丈夫!俺が必ず助けるから!」


もちろん、この時は本当にこう思ったし、助けるだけのお金は十分にあったから自信満々だった。どう考えても、女性を必ず助けることが出来る状況だったからこそ、そこまで深く考えずに発した言葉だった。


しかし……


この時は彼女の本当の姿を見誤ってしまってた。


彼女の姿をなんと表現したらいいか正解は分からないが、超ドSなのに自虐的でもあり、なので簡単に僕の気持ちを平気で踏みにじり執拗に攻撃的な言葉を連日僕に浴びせる女性だった。これを昼間だけじゃなく夜中の3時まで僕を責め立てる。自分が怒ったことで家に帰るのが遅くなったのに、それを僕のせいにして、次の日も朝から僕を責め立てる人だった。

こんな日々が短時間なら良かったが、この女性と一緒にいた年数は10年以上だ。心休まる日は本当に数えるぐらいしかなかった。僕はほとんどの日を怒られながら過ごした。

その結果、僕はこの女性の生活を助けるためにお金を使い続け、この女性のあまりにも激しいモラハラでお金を稼ぐことも出来なくなり、ついには家も無くなり、無一文となってしまった。


なぜ、僕はこの女性と離れず、ここまで耐えたのか?


それは「俺が必ず助けるから!」


こう、女性に宣言してしまったからだ。


だから、この女性と一緒にいたのは「愛」があったからじゃない。自分の発した言葉の約束を守るためだ。だから必死に耐えた。

それに、もしかしたら彼女は僕の言葉を本気で信じて、全体重をかけて僕を頼ってるのかも知れない、もしかしたら小さな子供が親に甘えるように精一杯のワガママを言ってるだけかも知れない、そんなことも思った。


自分の言葉を信じた人を裏切ってはならないという思いが僕の心を支えた。


しかし、何を言っても言い訳にしかならない。ただただ僕の力が足りなかったのが原因だ。

力がない人間が「必ず助ける」という言葉を安易に口に出して発してはいけない。


だから、今の僕は口から発する言葉に敏感なのだ。


自分がそれによって苦しんだ過去があるからだ。


僕はこの女性に対して「好き」は言えたが、最後まで「愛してる」は言えなかった。

付き合って一ヶ月も経たない内に、この女性の本当の姿は見えてたし、安易な言葉は言ってはならないと身に沁みて分ってたから「愛してる」を言えなかった。


しかし、このセイヨウタンポポの花言葉のような「真実の愛」という言葉があるという事は、偽りの「愛」を発する人が世の中には多いんだろうな。


本当は「真実」はいらなくて「愛」だけでいいはずだ。


「愛」は、その言葉単体で真実の愛のはずだからだ。


自分が発する言葉は相手に伝わった時点で命が宿る。


そう思って「愛」を伝えよう。


良い言葉だけを言えばいいわけじゃない。


自分が言った「愛」の責任を取ってこそ「真実の愛」なのだ。


そんなことを思った、今週の一枚でした。

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