5月の風に吹かれながら
今週の一枚は実家から150キロ離れた場所の景色。
山奥から150キロ移動して、別の山奥に移動しただけのアホな移動だ。
でも、それでも空の景色が実家とは違う。
昔は空をまったく見なかったから、
「空なんてどこも一緒っしょ!だって地球は丸いんだもん」
そんな、頭の中がわた菓子のような情緒も何もない人間だった。
しかし、今は分かる。ちょっと実家から離れると空の景色が変わり、川や森の息遣いが地域によって違うんだ。
今日来た場所は、頭をリーゼントにしたロカビリー集団が駐車場に集まってる道の駅での写真。なんだか、森や川の息遣いがソワソワしてる……ような気がした。
ではなぜ、俺が実家から離れて旅をしているのか?
それは、親類が今日から2日間実家に戻って来るからである。
親類なんでしょ?そのまま家に居ればいいじゃん?普通はそう思うのは当たり前だが、僕はビタミン家のはみ出し者であり傾奇者。
兄や親類の結婚式をブッチし、さらには親類の葬式さえ行ってない。というか、数年ぶりに実家に戻ったら、知らぬ間に何人もの親類が亡くなっていた。
さらに、これだけ不義理をカマした挙げ句に自分が絶体絶命のピンチとなったら親を頼りに無一文のスッカラカンで実家に逃げ帰った人間だ。
どの面下げて親類に会えようか……
さすがの常識知らずの俺でも、どんな顔して会えばいいか分からず、16才の恋に悩む女子高生のように無計画で今日の朝に実家を飛び出したのだ。
でも、こんな恥ずかしさも段々と無くなりつつある。
3年半前の実家に戻ったばかりの時は、ちょっと買い物に行っても、家に戻るのは暗くなってからだった。なぜなら、数少ないご近所の目を気にしてたからだ。
「久しぶりやね、今はなんの仕事してるの?」
「今は一人なの?」
「今まで何をしてたの?」
昔から俺を知ってる人に会ったなら、こんな質問がくることが想定される。というか、俺を知ってる人もこれぐらいしか会話の糸口はないだろう。
だから、気まずい…
俺には胸を張って言えることが何もないからだ。
借金を抱えた人を助けたことは胸を張って言えるかも知れないが、その後がダメだ。日常的に激しいモラハラを受けて、全財産を全て失うまで振り回され続けた。
相手の気持ちを落ち着かせるためだけにお金を渡し続けてしまったし、ビルの屋上に立って死ぬ寸前まで行ったこともあった。これも相手の気持ちを落ち着かせるためだ。謝り続けた結果「なんでもする」と言ってしまい、その回答が、
「なら死んで」
この言葉を言われてしまった。しかし、怖くて死ねなかった。今思えば当たり前である。死ぬ原因が彼女の気分を害しただけだったからだ。「時間を返せ!」と長時間責められ、時間を戻すなんて出来るわけないから、俺は追い詰められた末、時間を戻せないことの対価としての「それ以外でなんでもする」と言ってしまった。
その俺の答えを聞いての「なら死んで」である。
もう、むちゃくちゃや……
今でも夢で思い出すほどの地獄の日々だった。
俺はこんな要求を真正面から受け止めようとしてしまい、精神的にも経済的にも潰れてしまったのだ。
こんな過去を地元の人に言えるわけない……
嘘を言っても矛盾だらけになってしまうから、だから近所の人の目から逃げまくっていたのだが、最近俺の心が変わってきた。
「まいっか」
そんな気持ちになってるのだ。別に地元の人に見つかっても、過去の事を聞かれても、
「まいっか」
という気持ちになった。
多分、俺のことなんて、みんな何も思ってない。どんな人生を歩んで実家に逃げ帰ったのかを知ったとしても、すぐに心から消え去る出来事でしかない。
もしかしたら、俺の人生は俺自身がダメにして来たのかも知れない。自分が1人で勝手に転んで、それを自分で勝手に一生の恥だと思い込み、そして俺自身が人を遠ざけてるだけだ。
自分自身が自分を孤独と不幸にしてる。
親類だって多分、何も思ってない。俺が何も気にせずに普通に接すればいいだけだと思う。そんな気持ちがどんどん広げれば、俺はあっという間に孤独から解放されるかも知れない。
自分を幸せにするのも不幸にするのも、自分の気持ち次第かもな。
そんなことを思った5月の今日この頃です。
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