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自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (10) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease

【吹奏楽の思い出】

 本日2024年6月23日は、私が所属しているアマチュア吹奏楽団の定期演奏会本番である。今回の入院で演奏会への出演を直前に泣く泣く諦めたことが非常に心残りではあるが、日曜日は治療も検査もなく病室でのんびり過ごしているので、心は会場に飛んで、本番の時間は集中し、これまで一緒に練習してきた仲間との同じ時間を楽しもうと思う。
 この機会に、昔話になるが、自分らしさを作る大切な要素の一つである吹奏楽の思い出を紹介したい。

 私が今も趣味で続けているクラリネットは、中学校1年生のときに吹奏楽部へ入部して始めた。小学校の鼓笛隊ではトランペットを吹いていたので、中学校の吹奏楽部でも経験者としてトランペットを希望したが、その学年はたまたま男子の入部希望者が多く、皆トランペットなどの金管楽器を希望していた。顧問のK先生からなぜか私が目をつけられ、「君はクラリネットが似合いそうだな、どうかな?」と声をかけられたのが、クラリネットを始めたきっかけだった。まったく考えていなかった新しい楽器に、最初は戸惑いながら始めたが、始めてみればすぐに楽しくなり、自分の楽器も買ってもらい、そのままのめりこんでもうすぐ40年近くになる。あのとき、私にはクラリネットが似合いそうだと見抜いてくれたK先生に感謝したい。
 それから、本当にたくさんの素敵な思い出がある。

 中学校時代のアンサンブルコンテストで、クラリネット4重奏で県大会に出場した際、私たちの演奏の写真が静岡新聞に大きく掲載され、両親が喜んで新聞社から写真を取り寄せてくれた。そのときの4人組は、今でも仲良く、私が地元に帰ると集まって、当時と同じようにおしゃべりに花が咲く。

 高校時代、私が通った静岡県立清水東高校は、プロサッカー選手を多数輩出する高校サッカーの強豪校で、吹奏楽部はサッカー部付属の応援団のような存在であった。高校2年生の正月は、全国高等学校サッカー選手権大会の静岡県代表となり、念願の全国大会出場、年明け早々の遠征、負けるまで地元に帰れないという、青春の思い出である。我らがサッカー部のテーマ曲は「炎のファイター・アントニオ猪木のテーマ」で、今でもこの曲を聴くと心が熱く燃え上がり、一瞬にして、サッカースタジアムの熱狂に包まれる。

 高校3年生のときの吹奏楽コンクールでは、課題曲のクラリネット・ソロを担当し、部としての成績はあまり満足いくものではなかったものの、審査員のお一人から「クラリネット・ソロ最高!」のコメントをいただき、舞い上がった。奇しくも、それから約30年後、大人になってから所属したアマチュア吹奏楽団の演奏会で同じ曲を取り上げたときにも、同じクラリネット・ソロを担当した。演奏会当日、本番のステージでソロを吹いた瞬間、一気に30年前にタイムスリップ、高校時代の思い出が鮮やかに蘇り、涙が出てきた。

 社会人になってからしばらくはクラリネットを吹く機会がなかったが、30代になったころから、やっぱり楽器は一生続けていきたいという思いが強くなり、アマチュア吹奏楽団での活動を再開し、現在も続けている。今回の病気で、私の今の肺の状態に少々不安もあるが、細々とでも、今後も一生続けていけることを願っている。

(つづく)

(カバー画像:所属しているアマチュア吹奏楽団の仲間たち)


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