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連載小説「超獣ギガ(仮)」#14



第十四話「空洞」

 同日、昭和九十九年、十二月二十八日。
 東京都千代田区。帝国ホテル跡地から、国会議事堂、その周辺地域の地下に建造されていた大質量空間。通称、大空洞。

「なんだこれは」
 見上げる。その視線は天井に到達しなかった。しかし初春を思わせる程度に、照明が行き届いてもいた。どこを見ても、ぼんやりと白く霞む。何でできているのか、ぼんやりと光を放つ壁。視程可能な距離は全て白い。地下空間を想像するときに思いつきがちな、土肌ではない。白く、どの面も直線的に加工されているようだった。温度や湿度もコントロールされているらしく、不快はない。明るすぎない程度の調光で、手元や足元はよく見えた。
 しかし、進む先は霧がすむように、儚く白い光景だけが続いていた。
 小日向が視線を下ろすと、左手にレールが敷かれていた。すでに、東西の方向感覚が失われていた。先頭の背中に続いて歩くと、トンネルが見えた。その様子は地下鉄を思い起こさせた。
「たまげたなぁ。なんだこれは」
 かすれた声で小日向が唸った。
「発言がいちいちジジイ」
 隣の雪平が茶々を入れる。小日向はしかめ面で雪平を睨むと、雪平もそれに倣って、顔をしかめた。顔を近づけて、睨み合う、親子ほどの年齢差の、二人。
 再び、光景に目をやる。小日向は眉をしかめた。眉間に寄る皺は渓谷がごとく深い。そして、口を広げた。ぱくぱくと何度か開閉させて、視界のすべてに驚く。小日向の隣を歩いていた雪平は、
「餌を欲しがる鯉に似てる」
 と、からかった。
 そして、小日向は、再び、霞む天井を見上げ、おーい、と呼びかけた。もちろん、それに対する応答はない。やまびこのように、その問いかけが空間内に反響することもなかった。
「そうか。小日向さんは初めてなんだっけ」
 先頭を進む文月玄也が振り返る。初陣を終えたからか、あるいは、戦闘中ではないからか、横顔に浮かべる微笑みがいつもより柔和に見えた。その横顔へちらりと視線を送っていたのは、小日向に並んでいる、雪平ユキだった。
「初めても何も、俺はこんな施設があったことさえ知らなかった」
 施設、という表現が正解なのかどうか、よくわからなかった。地下道というべきか。いや、これは道なのだろうか。逡巡する。人工であることはわかる。その、ただただ広く、薄明かりで白かすみする空間に、ぽつんと、小さな人々が歩いてゆく。
 自然の孔ではない。あの、超獣ギガと呼んでいる、モンスターでも、直立できるかもしれない。姿勢を落とせば歩行もできるだろう。
 地下にこんな大空間があるなんて、地上をゆく人々には知らされない。
「東京の地下に鉄道を通す予定だった空間があると聞いたことはあるが」
 文月、お前はこれを知っていたのか。微笑みを浮かべているであろう背中は、いつもと変わらない歩調で先をゆく。前方にトンネル。声が、足音が、その暗がりに吸い込まれてゆく。
「この孔は、それより古いんだ。そして、その地下と違って、建造者がわからない」
 ことにされている、そのことは話さずに締めくくった。
 東京の地下は、地下鉄という名目で建設された。鉄道は鉄道だが、あれは、旧の軍が兵器や物資の輸送を目的に掘り進めたという。それから、政府要人や諸国からの要人の移動や、避難路として使われた。戦後、用途を失くして、放置された、らしい。それは史実上のウソだな、雪平はそれを声にしなかった。
 事実、放置されたというわりには、現在でも、使用できる程度にはオーバーホールされているように見えた。公安か、旧軍部か。俺たちの所属する冥府だって、上層部のことは知らない。末端で実働にあたる人間は知る必要がないのか、知らせないほうが得策なのか。
 文月はどこまで知っているのだろう。しかし、小日向はそれを問わなかった。
「蓬莱総理は、このことを?」
 背後に続いていた、蓬莱ハルコを振り返った。薄暗がりに揺れる白いヘルメット。履き替えたスニーカーの踵がアスファルトを擦る足音。
「地下空間があるということは、資料で見たことはある」
 文月。そして、小日向。隣に雪平。それから、蓬莱ハルコ。四人は、その空間を進んでゆく。ルートは直線らしいが、しかし、文月の足取りに迷いはない。以前にも、歩いたことがあるのだろう。
「やっぱ、それって」
 雪平の高い声を、
「機密事項ってやつか」
 小日向のかすれた声が補填する。
「就任後、すぐに官邸に務めている人から資料室の存在と、そのなかの機密事項についての説明を受けたことがあるの」
 おそらく、歴代の首相も、存在そのものは知っていたはず。用途がないから、調べなかった。だけだと思う。
 しかし、違うのかもしれない。歴代の首相のなかには、この地下空洞の建造者について、その建造理由について、知らされた人もいるのかもしれない。そう思うと、ハルコは自らのポジションの危うさに不安を抱く。
「私が知るのは、それくらい、かな」
 私たちはほとんど何も知らずに生きている。そのことを痛感した。
「知る必要がなかったのさ」
 間もなく、トンネルの暗がりへと一行は進む。頭上注意、の黄色い文字を照明が照らしていた。大柄な小日向は、やや、背を丸めて慎重にその孔へ進入した。一八八センチの彼でも、通れなくはない。古い建設は当時の人間の身長の中央値に合わせて作られていることが多く、現代の身長に合わせてはくれていない。だとすると、その孔は、人が大型化することを予想していたのかもしれなかった。それとも、建造者たちは、いまの人間より大きかったのか。まさか、とは思えなかった。
 思い浮かんでは、消えてゆく疑問。小日向が、雪平が、蓬莱ハルコが、それぞれに数多の疑問を抱き、そして、それを口にはしなかった。呼吸音だけがそれぞれの耳に届いて、消えた。
 歩みの先、トンネルの向こうに光が灯る。間もなく、先頭の文月はそのなかへ足を踏み込む。
「この空洞は地下鉄とは建造の目的が違う」
 一人ずつ、高みと明るみを持つ、大空間へと進んだ。地下鉄とは違う。少なくとも、地上で見ることはない光景だった。何に似ているのだろう。何を想起させるのだろう。小日向と雪平は顔を見合わせた。ハルコはどことなく疲れて見えた。大型モンスターの襲来とその前後のトラブル。壊滅させられた特殊部隊や自衛隊のこと。それについての報道規制。謎の部隊とその活躍。その部隊長に連れられてやってきたのは、機密事項の大空洞。混乱だけが続く。しかし、個人の疲労とは無関係に、現実は終わってくれない。
「なんだこれ……」
 小日向と雪平の声が重なる。
 頭上に、進路に、左右にも広がる大空間。無目的に巨大で、広大な空洞。ただただ白い。それ以外に特筆すべき事柄が見つからないが、とにかく広く見えた。屋内野球場をすっぽりと飲み込めるかもしれないほどの空洞が、小さな人々を飲み込んでいた。四人は立っていた。言葉が見つからなかった。
「もうすぐ、ここに、超獣ギガが運び込まれてくる」
 文月の視線の先には、行く先を案内するように並走してきた、レールが横たわっていた。
「ここに、ヤツが?」
「そうだ。この人造地下空間は、超獣ギガを捕縛した冥匣の一時保管施設として使われている」
 本来はそうではなかった。しかし、我々はそう使うしかなかった。文月は左腕に目をやる。秒針が刻む時間。早く鳴っている気がした。
「いつか、君たちも知る日がくる」
 文月が見上げた直上。大空洞の天井にぽつんと光が浮かぶ。その眩しさに、一行は思わず、手のひらでそれを遮り、しかし、起きていることに、その天に目を凝らす。切れ目から射し込む光。そこに青。スライドして開く天井の遥か上にあるのは、
「空……空じゃないか、あれ?」
「いったい何が始まるの……」
「文月隊長。ここって、ひょっとして……」
 聞いたことがある。私が生まれるより少し前のことのはずだ。
 ここは、ひょっとして。雪平は空と繋がった地に降りた、冬の空気を吸い込む。そして息を飲む。冷たい気配。透徹の青。それは冬の空気。
「ここは明治神宮野球場。その跡地で、現在は大空洞と繋がっている。いや、球場建設の前から、この大空洞は、すでにあったんだ」
 君たちも聞いたことがあるはずだ。
 振り返って、三人に視線を送っていた、文月の表情が明るみになる。
「もうすぐ開く。空に繋がる。ここから、僕たちが捕縛したモンスター、超獣ギガを、月の裏側へ、奈落地区へ送るんだ」
 月の裏側にある人造の大質量空間、奈落。地球の空間では八百年以上、生存を続ける、超獣ギガを捕縛し、冥匣に封じ、そして、奈落地区へと輸送する。
 それが、内閣府直属、国家治安維持機関・冥府、その実働部隊、隠密機動部隊、通称ケルベロス。冥界の犬と名付けられた、僕たちの、私たちの使命、任務だった。
 二十五年前。
 振り返る。まるで閃光のようだった。閉ざした瞼に描いた残光の眩さ、その記憶。忘れ得ない。友よ。見ているか。僕たちを。
 あの日、あの時。
「二十五年前。東京を襲来したモンスターを月の裏側へ送り込み、僕たちを救った男がいたんだ」
 僕たちは友人だった。同期だった。ケルベロスと名乗る前の前身組織の頃から、僕たちはこの危機を予期もしていた。この厄災は予期されていたんだ。見ているか、天上から。見守ってやっていてくれ、遥か高い、月の向こうから。
「東京を、僕たちを、救ったのは、花岡しゅりの父親だ」

つづく。
artwork and words by billy.


#創作大賞2023


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