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連載小説「超獣ギガ(仮)」#19


第十九話「進化」

 十二月二十八日、午後二十時五分。
 東京都千代田区。国会議事堂八階。機密ホール。

 それは議論や会議と呼ぶべきではなかった。内閣総理大臣である蓬莱ハルコと、政府関係者、例えば、内閣総理大臣補佐官や内閣官房長官も出席していたが、しかし、その内実について、ほとんど誰にも知らされていなかった。同様に、空自、海自、陸自の各自衛隊幹部、警察庁の責任者や研究者たちにしても、壇上の文月の発言に驚愕し、その眉根を深く刻んで沈黙するか、あるいは唸ってから沈黙する、その程度の反応に終始していた。
 そうするよりなかったのだ。
 超獣ギガ(仮)と呼ばれる未知の生命、その侵略者としての実態。既に敗戦を期した特殊急襲部隊と、戦車部隊。死した人員。被害総額。しかし、そこに並ぶ人々にとって、問題は、死者数や金額にあらわされる、数字ではなかった。
「彼らは兵器だ」
 壇上の文月は言い放った。
 兵器、と、表現した文月のその発言に、野太い声が漏れた。それはため息ではなく呻き声だった。唾を飲み込む音も聞こえた。
 この国に住まう人々は、兵器という言葉に不慣れで、同時に過敏だ。それが、警察や自衛隊であれば尚のことかもしれない。軍事や軍備、その延長線上の兵器というのは、自分たちではない者が所有すべきではなく、それを禁じることで、彼らの優位性が保持されてきた側面もあるからだ。戦後もずいぶん長い。世界的に見れば紛争は絶えず、都市型のテロも多々あった。しかし、この国に生きた、現在、生きている人々は、如何なるときも、その傍観者でしかなかった。
「兵器……」
 やはり、その物々しい表現に、顔を伏せ、耳をそばだて聞いていた、ハルコも思わず声を漏らした。そのことはわかっていた。間近にそれを目撃した、数少ない一人なのだ。しかし、それでも、あの光景は、悪夢か、あるいは夢想にしか思えない。そう思いたいだけかもしれない。いっそ、夢なら、悪夢なら良かった。それが偽ることのない本音だった。
 そこにいる人々が文月を眺め、見上げる、視線。眼差し。その色。場に忍び寄せる、緊張。その背後のプロジェクタには、恐怖が映し出されていた。戦闘時の撮影画像は、いよいよ、そこに死して骸になった人々が映されて、やがて、消えた。その儚い命のように。束の間の、気体や流体のように。抗戦に至らぬままの暴殺。徒労。無為なる抗い。
「僕たちは、彼らの侵略を予期していた。遠からぬ未来、その日が訪れるだろうと、部隊を組織し、対策を、攻略を考えてきました」
 文月は続けた。
「僕たちは、あのモンスターを超獣ギガ(仮)と呼んでいます。もちろん、我が国の国宝である鳥獣戯画から、この仮名をつけさせていただいた。漫画作品のような現実と、そして、巨人を意味するギガントから、とりあえずそう名付けられたと聞きます」
 文月が冥府の前身部隊に入隊したそのとき、すでに、一部でその存在は知られていた。おそらく、ここに座っている人々も、国防に関する案件、情報から、その噂くらいは聞いていただろう。それを単なる噂としたか、あるいは、一つの秘匿情報と考えたか。
「僕たちはまだ知らない。知らされないことばかりと生きてきた」
 人類は、まだまだ何も知らない。知らないことすら、いまだ知らないのだ。
「超獣ギガ(仮)は、僕たち人類と同じ始祖。枝分かれした、もう一つの進化の可能性だったらしい。彼らを遺伝学的に、あるいは生物学的に、遺伝子の塩基配列を変更して、別の生物に、あのモンスターに作り替えた。そのテクノロジーを持っていた、もう一つの存在がある。おそらく我々人類よりも高い知能とテクノロジーを有しているはずです。僕もまだ会ったことはない。見たこともない。しかし、それはいる。いるはずだ。僕たちは彼らをハイアーマンとしています」
 沈黙していた場内に、ざわめきが訪れた。誰かの驚嘆が、他の恐怖を、ため息を誘い、それはさざめいて、うねる。ようやくの発声に、非常時の緊張がわずかに解けた。
「お静かに」
 ざわつく場内を、伊尾たおりが制する。
「ハイアー……マン?」
 なぞるように反応したのは、蓬莱ハルコだった。やつれた。頬がこけ、影をつくっていた。彼女は、その責務から、受け入れ難い現実を飲み込もうと、文月を見つめた。壇上にいる男が、かつての夫だと思えなかった。寝食を共にした、あの頃から、彼はすでに、影の政府に内通していたのだ。この世界を襲うモンスターの存在を予見し、その牙を、爪を磨いていたのだ。文月の、静かで、かすかに笑んでいるような、あたたかい眼差し。春の潮風のように、懐かしくも思える。彼は変わらない。ずっと、彼は、あのモンスターとの対戦を願って、生きていた。
 死した友のために。
 ハルコは思わず自らの指を、爪を眺めた。短くして、コーティングだけ。その子供のような爪を見ると、一人の女の、無邪気にさえ見えた、横顔が思い浮かぶ。そのあたりの女の子のように華奢なのに、彼女は軍同然の組織で訓練を受けた、兵だった。
 そう。あの子は、花岡しゅり。とても可愛い人だった。よく憶えている。
「行ってきます。鬼退治に」
 立ち去りながら、ふいに振り返った横顔。その微笑み。ピースサインを浮かべて、ふと、消えた。次に見かけたとき、彼女は、空を駆けて、モンスターに機関銃を放っていた。
 すべてが現実。現実と真実は噛み合わない歯車のように、それぞれに軋んで廻っているもの。ここに生きる、私たちは、どうなるのだろう。いや違う。私は誰に、何を祈ればいいのだろう。思わず、両の手を握り合わせて、思った。
 こんなことだから、辞職や退任を要求する声ばかりが届くのだろうな、と。そのとき、一人が口を開いた。若くはない、男の声だった。
「蓬莱総理。それから、文月玄也……ええと、隠密機動部隊隊長、でしたか」
 その声に人々は振り返る。ハルコはその目を開け、文月は何度か、うなづいた。
「まだよくわからない。いや、ほとんど何もわからないに等しい。しかし」
 立ち上がり、居住まいを正した、その男は陸自の制服を着ていた。傍らに誰かのタブレットを携えている。忍ぶように途中参加していたのかもしれない。
「失礼。君は?」
 その存在を咎めるでもなく、口調はそのままに、文月が返答した。
「私は、佐々木と言います。一等陸佐で、平時は千葉に所属しています」
 三十代の終わりだろうか。大柄で、制服を着ていても屈強さが伝わる上半身。しかし、一佐だと名乗った。その階級が正しいのなら、一等陸佐クラスは駐屯地にはいないはずだ。情報部からの差し金か、偵察要員だろう。あるいは、作戦指揮官かもしれない。文月はそう考えた。わずかに細めた目で、佐々木一佐の一挙手一投足をつかまえておく。
「では、佐々木一佐。続きを聞こう」
 文月は続きを促すと、佐々木一佐は、姿勢を正し、襟を直して、拳に小さく咳払いを。首は動かさず、眼球だけで左右を確認した。
「先日の戦闘で、唯一、生き残った者がいます。現在も存命中ですが、しかし、いまは精神状態が不安定で、聴取は行えません。しかし、錯乱状態に陥る前に、彼は話していました」
 文月はその生存者に思い当たる。花岡しゅりが救出した、あの自衛隊員のことだろう。
「彼のことは僕も覚えている。たった一人でも、生存者がいて良かった」
「彼は全身を震わせていました。いまもその痙攣は止まっていないそうです」
 佐々木はその時、頬に一滴を滑らせた。精神を崩壊してしまった部下は、もう、我々の側に帰ってきてくれない。その報告を受けたばかりだった。
「我々も早期の回復を願っている」
「彼は錯乱状態に陥る前に話していたのです。自分を救出してくれたのは女性で、しかし、自衛隊でも特殊急襲部隊でもない。そう、訓練されていない、民間人の若い女性のようにしか見えなかった」
「わかるよ。彼女は……」
「一体、あんたたちは何者なんだ?」
 突然、佐々木は激昂した。
「彼女は我々のチームの隊員で、エースだ。残念ながら、少なくとも君や僕よりは進化を果たした人間だ」
 文月は続けた。
「僕たちは、内閣総理大臣直属の国家公安維持機関。表向きは国際テロ対策と、その鎮圧のための特殊部隊。しかし、実際はそうではない。僕たちは、対超獣ギガ(仮)のために組織された、冥府、つまり、影の政府と、その実働部隊、ケルベロス。地獄の番犬。超獣ギガ(仮)を捕縛したのは、その実働部隊である、僕たちだ。
 この国の平和は、僕たちのこの世界は、僕たちが取り返す」

つづく。
artwork and words by billy.

#創作大賞2023


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