見出し画像

連作短編「おとなりさん 〜海の見える食堂から」#2

第二話「看板娘」

〈今回の語り手〉沢渡たまき、十七歳。高校生、居酒屋「花鳥風月」看板娘。

 茹だる夏の夕、と、季節と気温以上に真夏感を感じさせてくれる歌が小さなスピーカーから届けられたのは、ある、土曜の午前十一時半。うだるって、どんな漢字だっけ。
 茹だるとまでは言わないけれど、窓から射し込む陽射しはすでに夏。床に揺れる陽だまり。
 まだ五月。まだ午前。夏でも夕でもないけれど、空調が入る前の店内清掃は充分に夏の暑さで、作務衣を着ていた私はしっかりと汗をかいていた。作務衣とか浴衣とか、昔の日本の気候には合っていたのかもしれないけれど、いまの日本の、いまの労働環境には適していないと思う。Tシャツと半ズボンで働けたら気楽でいいのに、と、意見してみたが、それはまずいと父は了承してくれなかった。
「俺たちが出すのは足ではない。酒だ」
 割烹着の父は、そんな、わかるようなわからないような、それらしい文言をつぶやいて、そして、そのことに満足したのか、一人で、うんうんと、頷いた。下がる口角。口の端に寄るしわ。
 厨房のなかでは今夜の仕込みが続いていた。開店前に作っておく、釜揚げしらすとアスパラとブロッコリーのアヒージョ、それとトマトをあげさんに載せてオーブンで焼いたピザ風味。手羽先の唐揚げ、根菜と鶏もものカレー煮込み。まるで魔法のように、次々と大皿が埋まってゆく。いなりそばとタケノコ入り豚キムチ炒め。和風の出汁カレーと、窪川牛のすじ煮込み。永遠に食べられる十七才の私は、流れてくる美味しい匂いに、いちいちお腹が鳴ってしまう。そろそろ、父が、今夜のおすすめを黒板に書くでしょう。
「暑いんやもん」
 ついこの前まで暮らしていた、関西弁で、私は、とりあえずの反抗を試みては、みる。
「まだ五月だぞ」
 そう言う父も白い和帽子の下の額に汗の粒を光らせていた。
「なあ、父ちゃん」
「ん?」
「味見してもいい?」
 まかないの時間にしてもいい? とは、言わない。味見の時間とまかないの時間をそれぞれにして、二度、食べてしまう。私は健啖家なのです。
「少しだけだぞ」
 ため息混じりの鼻息ひとつ。仕方ないな、とでも言いたげに、口角の片方を少しだけ上げて父は笑った。眉根のしわがほどける。
 食べてもオーケー、味見タイムだと理解して、私はマイ箸とマイ取皿をそれぞれの手につかんで、カウンターに並んだ大皿のご馳走たちの匂いを吸い寄せられた。湯気に汗ばむ額。思わずほころぶ頬。どれくらいが、少しだけ、なのか、迷うお箸。思いの外、たくさんつかんでしまう箸先に、おい、と、父は笑った。けれど、厨房カウンターの角に置いたテレビの野球中継に視線を戻してくれた。
 たしなめはするが、父は怒らない。
 なので、食べ盛りの私は、いつも多く食べてしまう。土鍋のごはんもお茶碗に大盛りにしてしまうのだ。
 それから。私は。
 この店、花鳥風月に来るまでに、数日の旅をしてきたときに食べたご飯のことを思い出す。みんな、元気かな、なんて考える。
「今朝、黄色い列車を見たよ」
 頬張るごはん。息が臭くなるかな。でもまあいいか、なんて思いながらアヒージョも口にする。たっぷりのにんにく。オリーブオイルがかすかに乗り移った、くらいのさっぱりした味つけ。辛みがごはんに合う。美味しい。
「そうか。じゃあ、今日は良い日になる」
 うん。そうだよね。私は答えた。私たちがくらす街は、黄色い列車が走っている。お隣の市には、大きなスタジアム(野球場にしてはささやかな設備らしいけど)と、その練習施設があって、プロ野球チームが秋のキャンプに来るから、らしい。だから、列車も、そのチームのイメージカラーで、そのチームのマークが誇らしげにつけられてもいる。
「輝く我が名ぞ。だっけ」
「そうだ。輝く我が名ぞ」
 阪神タイガース、父と私の声が重なった。カウンターと厨房から、それぞれ勝利のガッツポーズ。
 そう、幸せの黄色いハンカチにちなんでいるのかいないのか、私がこの街に引っ越してきたとき、「あの黄色い列車を見かけたら、その日はいい日になる」と教えられた。真偽のほどは、言った父すら、「よくわからん」らしい。けれど、その噂はこの土地にまことしやかに囁かれているらしく、黄色い列車を見上げて(モノレールのように高架上を走っているのだ)、写真を撮る観光客や、乗客に手を振る人たちを見かけたりもする。
 駅から十五分ほどのところにこの店はあって、父と私はその二階に暮らしている。なので、実際のところは、そのラッキー号を毎日のように見かける。
 毎日見かけるのだから、毎日、良いことがあってもいいはずだけど、やっぱり、そんなことはない。生きているんだから、毎日、小さな落胆があったり、ささやかなよろこびがあったりはする。悲しいことや不安だって、毎日、繰り返されている。
「これ、美味しい」
 鶏もも肉のカレー煮を頬張って、厨房に向けてグッドの親指を立てた。父はちらりと目だけをこちらに寄越して、
「しっかり肉まで食べやがって」
 味見どころか、それはもう昼飯だろう。なんて言いながら、しかし、素直な父は顔をほころばせていた。カレー煮だから当然のように白いごはんとの相性もばっちり。
 生きることは食べること。お米や野菜を作る人、魚を捕らえる人、牛や鶏や豚を育てる人。そして、それを調理する人は、生きるための仕事に就いた人なんだ。ときに父は自分に確認するように呟いていたりもする(そして、そのときは常連さんと飲んだあとだったりもする)。
「美味しいってさ、ほら、なんだっけ」
「小さいけれど、確かな幸せ」
 厨房の父は手短な解答をして、親指を立てていた。小確幸。昔、そんなこと言ってたっけ。
 よく憶えている。
 私が小さかったころ、父はいつもスーツを着て、朝早くから会社へ行き、帰宅は私が眠ったあとだった。どんな仕事をしていたのかは知らない。父にそのことを訊ねてもまともな解答は返ってこない。憶えていないわけじゃない。忘れているとしたら、別の理由で心配になってしまう(早いけど認知症とか……)。
 ちょうど一年前。私は、父の住むこの四国の海沿いの田舎町にやってきた。それまでは、本州の関西圏に暮らしていたのだ。
 よく憶えているけれど、あんまり、そのことを思い出そうとは思わなかった。
 開け放した窓から波の音。夏に凪ぐ海。
 父と母は、仲の良くない夫婦だった。だと、気づいていた。笑顔で寄り添う二人のことを憶えていない。きっと、私の記憶に残らないくらい、幼かったころは、寄り添えていたのだろうと思う。小さな私を抱く母と、隣で照れた笑顔を浮かべている父を、色褪せた写真で見たことがある。
 私の高校進学を機に二人は別れることが決まって、父は生まれた土地へ帰ると言った。それが、この、海沿いの田舎町だった。
「タイガース。勝ってるの?」
 テレビを睨んでいる父に問う。打ったー、とか、ランナー帰った、のアナウンスを耳が拾っていた。それが何を意味する言葉なのか、私はぼんやりとしか知らない。
「知らん」
 と、父は、腕組みをしたまま。
「知らんって。いま、野球観てるんでしょ」
「これはメジャー。アメリカの野球。阪神じゃない」
 ふうん、とだけ返して、それから、私は、食事と思い出の続きへ戻る。姿勢を正すついでに、首を伸ばして、窓の向こうを。海。光る波飛沫。
 離婚が決まり、父は早期退職して、生まれ育った海の近くに帰るのだと、淋しげな表情で話してくれた。でも、淋しそうなだけでもなかった。つくため息にはどこか安堵も混じらせていたから。仕事をやめること。母と離れること。生まれた土地へ帰ること。どれに安堵したのだろう。きっと、それぞれに少しずつ安らぐ材料があったのだと思う。
「ねえ、父ちゃん。おかわりしていい?」
 考え事は考え事として、お腹はしっかり減る。しっかり食べることもできる。その気になれば永遠にだって食べられるかもしれない。
「少しだって言っただろう」
 そうは言いつつ、父の声は嬉しそうだった。嬉しそうな声は、やっぱり嬉しい。テレビの音声は、ホームラーンと騒いでいた。父ちゃんの作る私のまかないは今日も特大ホームランだ。そのことは話さず、頬張り続けた。
 それから。暮らしていたマンションは母と私がそのまま生活をすることになった。私は姓を変えず、そのまま高校に行き、母は旧姓に戻った。父のいなくなったマンションは、空洞がひとつできてしまったように思えたけれど、母はその空洞を欲しがったのだろう。衣類が増え、観葉植物が増え、からからに乾いたドライフラワーが飾られて、おそらく生活には必要ない、あれやこれやがその空洞を満たしていった。
「今日ってさ」
「ん」
「予約あったっけ?」
「一件。八人。善寿丸さんとこのご一行」
「そっか。なら、テーブル寄せておかなきゃね。善寿丸さんとこってことは、宴会だよね」
 看板娘にすっかり慣れた、気ではいる。まだ未成年、高校生アルバイトというポジションなので、遅くまで働けないけど、この小さなお店の看板娘になりたいと思った。なれるかもしれないと思った。それくらいの役割が欲しかった。役割はきっと、私に居場所をもたらしてくれる。
 父だって、まさか、こんな田舎に娘がやってくるとは思っていなかっただろう。
「父ちゃん、そっち行ったらだめかな?」の問いに、
「二泊? 三泊? いいよ、いつでも来いよ」と、父の返答はどこか、夏のキャンプのように、のんきで気楽だった。
 そして、いつの間にやら、母は、風船みたいにふくらんだおじさんと再婚することになっていた。あの人の何がいいんだろう。よくわからない。わかりたいと思わなかった。
 あの時、きっと、私は、行く場所を失った。
「たまきはどうする? 私は……さんのお家に行こうと思ってるんだけど」
 母はそう問いた。その、……さんのところに行くと、私もその新しい姓になるのだろうか。思ってるという言い方だったけど、それはすでに決定項なのだろう。行く前提で話が進んでいるのだろう。ずいぶん大きくなったつもりでいたけれど、私はまだ子供だった。
「私は……」
 あのとき。なんて答えたかったんだろう。ふと思い出すときがある。父のところに行こうとは、思っていなかった。でも、未成年の私を無条件に迎えてくれるのは、父しかいなかった。
「父ちゃんのいる四国に行く」
 思わず、ほとんど何も考えず、父のいる四国へ行くと私は口走ってしまった。
 憶えてる。父ちゃんのところに行く、と、宣言した瞬間、風が吹いた気がした。揃えた前髪が、ずいぶん伸びて二つに括った髪が、その強い風に持ち上げられて、さらわれたような錯覚さえした。
 窓の外。太平洋。あの潮風。私はそれに気づいていたのだ。
「父ちゃんって。四国に?」
 怪訝そうな表情を浮かべていた母の顔は、まぶたに焼き付いてしまったかのように鮮明なままだ。
「来年は大学受験もあるのに、何を言っているの」
「そんなのどこからだって受けられる」
 私たちは、行く場所を選べるようで、まだその立場にはない。卒業や入学という、定期的なリセットイベントのときに選択肢がいくつか見つかるだけで、通常の生活のなかには選択できる余地はない。
「父ちゃんが来てもいいって言ったら、私、四国行くから」
 ふふふ、と、かつての自分に思わず微笑む。強情で、強気で、何も考えていないようで、しっかりと考えていた、一年前の私。厨房の父は、私の思いを知ってか知らずか、何かを指折り数えていた。宴会用に何本、ビールを注文しようか考えているのだろう。
 私は、選択を間違えてなんていなかった。ここには、あの海と、不器用で心優しい父と、愛すべき人たちがいるのだから。
 選択のことを考えていると、店の外に置いたままの洗濯機が終わりを告げるメロディを鳴らしていた。お店で使う布巾だとか、雑巾、タオルを洗っていたのを忘れていた。夕焼けの赤い空。帰路を急ぐ漁船たち。カラスたちも山へと急いでいる。
 父は今夜のおすすめを書いた黒板を玄関に立てかけ、私はのれんを、そして、提灯に火を灯した。勇ましき、花鳥風月。始まる光。肩を並べて食事を楽しむお隣さんたち。
 さあ。
 もうすぐ、乾杯の時間です。

つづく。

#創作大賞2023
#ほろ酔い文学

to be next…


この記事が参加している募集

サポートしてみようかな、なんて、思ってくださった方は是非。 これからも面白いものを作りますっ!