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【備忘録】故郷を遠く離れて。

#この街がすき



 香南市にたどり着いたのは、一昨年の年末のことでした。ここに住む人々は、誰もが「あなたみたいな都会の人が、なんでこんな、何もない田舎に?」と声を揃えて(それほど都会に生活していたわけではありませんが)。
 あいさつや立ち話をするくらいの間柄から、あるいは、用事があって向かった銀行や市役所や、コンビニやスーパーやドラッグストアにおつとめの方まで、見事に不思議そうな表情を浮かべて、なんでこんな田舎に、と不思議そうな顔を浮かべるのです。

 ここではないどこかへ。
 子供のころから、そんな思いを抱いていた。だからだろうか、どこにいても、「居場所なんていらない」と発言してきた。居場所をつくると、そこに居続けなければならないような気がしたから。
 思えば、海を探す半生でした。居場所のない少年期は自転車で瀬戸内海、播磨灘にまで走ったし、運転するようになっても、旅をすることになっても、海のある場所を選んだ。美しい海が視界に広がるだけで胸を躍らせるし、何をするでもなく、ただ、そこで波音を聴いているだけで無上のよろこびを感じることもできた。
 なぜなのだろうか。
 僕は、人という生き物は皆がそうなんだと思っていた。

 高知県に旅をしたのは、五年前のこと。ある、お寺の住職と話す機会があり、その方のお話のなかに、「人は魂が還る場所を探しているもの。あなたの場合はそれが海なのでしょう」と、高知県へ旅してみることを薦められた。
 そのとき、海岸沿いに車を走らせていれば、あなたの居場所、還りたい海が見つかるでしょう、と。そのお話の三ヶ月後、僕は高知へやってきた。高知市の桂浜を見学して、それから土佐清水市、仁淀ブルーで有名な高知西エリアを海に沿って、ただただ走った。美しい海だし、静かで、暮らしやすい場所だろうとは思った。
 けれど、ここだ、と、感じる場所はなかった。ホテルで一枚の地図を広げて缶ビールを。
 香南市という地名が目に留まった。翌朝、香南市の夜須にあるビーチへ。そこから少し進んだ、塩谷海岸。その灯台の下、八大竜王宮に挨拶をして(僕は個人的に龍神を信仰していふこともあり)、階段を降りたときの風景。
 僕は、この海が自分の海なのだと直感した。

 龍神信仰について。
 これはこれで、不思議なことが続いたんです。ある神社を詣ると、宮司さんのお話に「龍の姿が見える」というお話が、そして、当時の仕事先では知り合った看護師さんに「ビリーさんって龍神様のお好きなインテリアってご存知ですか?」、そして、龍神を信仰されている人と知り合い、やがて、また、別の人に、「龍神様を祀られているお寺に行きません?」と声をかけられたんです。
 そのお寺さんは、龍神を信仰の対象として、お堂なども持たれている、とても人気のあるお寺さんでした。僕の龍神信仰はここから始まったんです。



 それから数年。

 いろいろあったけれど、やっと、たどり着いた香南市。南に歩けば十五分で太平洋。毎日のように足を運んでいるのに、見慣れることはなく、ワクワク、ドキドキしながら、その日の海の表情を見つめに行く。砂浜に降りる。広大な無人の砂浜を歩いていると、別の惑星に迷い込んでしまったような覚束なさを感じる。なのに、風も波音も心地よい。永遠に迷い続けてもいいと思うことだってある。この海の主なんだろう、巨大なとんびが周遊している。堤防へ上がって、海を見ながら歩道を歩く。
 地元の方々とあいさつをする。そして帰宅する。それから、海とは反対方向にある、市街地へ車を走らせる。
 のいち駅。その高架の向こうにある四国銀行や焼鳥屋。なにげない風景なのに、いつも安堵する自分がいる。
 ここはあたたかい町だと目を閉じる。なぜかはわからないけれど、この町の景観は、僕の精神安定剤のように、柔らかな光をもって迎えてくれる。そんなふうに感じてしまう。
 海を探す旅は終わった。この地にたどり着き、海岸へ足を踏み入れたとき、僕は僕の海を、魂の還る場所を見つけた。これからは、この土地に居場所をつくればいいのだと。
 香南市は確かに田舎だとは思う。観光するところもないに等しい(なくはないけれど、わざわざ観光に来るほどではない)
 けれど。広大な太平洋がある。山に行けば、美しい大日寺がある。あたたかくて、ときにおせっかいな、土地に生きる人々がいる。それ以上、なにが必要だろう。
 居場所をつくろう。
 居場所にしよう。
 そんなふうに思ったのは、生まれて初めてのことでした。故郷を捨てるように離れた僕には、ここが新しい故郷になる。ここを起点にして、生まれ変わらなければならない。
 ここで生きよう。
 日本で一番、雨の多い地域だという。陽射しは強く、冬でも日陰を探してしまう。夏は長く、冬らしい冬はない。四季を通じて、四国山脈から吹き下ろしてくる、強い風にさらされる。
 なんて、屈強な土地だろう。そのぶん、そこで育まれた命は、健やかで、伸びやかで、力強い。

 例えば。
 これから先、どこに行っても、この土地からなるべく住所は変えずにいよう。何度も何度も帰って来よう。

 毎朝のように、海岸に一基たたずむ、どなたかわからないお墓に手を合わせて祈るのです。
「おはようございます。おかげさまで、僕は今日も元気です」と。
 生まれ変わった、この、香南市の海辺で。

photograph and words by billy.

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