人生の先輩に教えられた事 #1安井かずみさんの忘れられない一言
32歳の時に会社を辞めた。
辞めた理由や経緯はとりあえず置いておこう。
○○放送株式会社社員という肩書がなくなり、
僕は何にも属さない、ただのヒトになった。
とにかくひとまず、
テレビの仕事から遠ざかりたかった。
整地前の国道の敷地は適度に草が生え、
タンポポやホトケノザやハコベの花が咲き、
一歳の息子と一緒にチョウやバッタを追った。
幼い子がいるのに職を放棄する無謀な父親。
でもまずは人間関係で壊れた傷を癒すことしか、
その時の僕にはできなかった。
幸い、私の友人が、各界の著名人に取材し、
これからの生き方のヒントを女性たちに伝える、
全く新しい環境での仕事を世話してくれた。
90年代の時代を颯爽と生きる一流の方たちに、
じっくり時間をかけてお話を聞くことができた。
それは、私にとっても心のリハビリになった。
多くのヒット曲を世に送り出した作詞家、
安井かずみさんには、素敵なご自宅で、
ご自身の生活の美学についてうかがった。
お湯は毎回、必ずヤカンで沸かすとか、
暮らし方のディティールのこだわりを、
笑顔交じりで楽しく教えていただいた。
途中、ご主人の加藤和彦さんが帰宅し、
玄関ドアから僕らに向けたやさしい笑顔が
今もはっきりと脳裏に残っている。
加藤さんも安井さんも、なんて素敵で、
おだやかな笑顔なのだろうと思った。
ご主人は、挨拶後すぐに二階へ行かれたが、
これを機に、恋多き女性の安井かずみさんに
恋愛観、結婚観についてのお話をうかがった。
その答えは僕にとって忘れられない一言だった。
「結婚は覚悟よ。」
飯倉片町のキャンティで加賀まりこらと
当時のかっこいいレディーの最先端を行き、
数多くの浮名を流した、恋多き女性の一言。
それは、肺がんで余命一年の宣告を受け、
わずか55歳で亡くなるまで、
常に自分らしく、自分を見失わず、
加藤和彦さんと18年間添い遂げた、
最期まで「かっこいい女性」の言葉だった。
僕はすでに結婚していたが、
そんな覚悟はあっただろうか。
なんとあやふやな人生を送ってきたことか。
凡人の僕は、結婚どころか、
恋愛にも、仕事にも、遊びにも、生にすら、
覚悟がないまま、歳をとり続けている。
映像作家 増田達彦 2024.02.09.
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