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復興と防災

人にとって住みやすい復興であれば良いのだろうか。
この12年の間に高い防潮堤が建設され、海が見えなくなった。
観光資源活用のため山林は開拓され、道路が整備された。
命を守ることが大切さは理解しているけど、“共存の意味”には疑問を抱いてる。


こんにちは。
一昨日は震災時の経験を記事にしてみました。
私より辛い経験をされた方が沢山居るので、自分の体験を話すことはありませんでしたが、この機会に言葉にして記憶を整理してみました。
記事を消す可能性もあるので、興味のある方だけご覧くださいね。

さて。重いタイトルが連続してますね。
今回も気難しい話をするつもりはないですが、考える機会になれば幸いです。

足元に楽しい落とし物


震災後、海へバードウォッチングへ行けるようになったのは、海へ続く道路が整備されて、防潮堤の建設が始まった頃だと思います。
防潮堤工事が終わると護岸整備が始まり、震災から12年経っても未だに工事は続いています。
当たり前ですが、工事で大きな音が出ていた頃は漁港に訪れる渡り鳥を見つけられませんでした。(沖には居たのかもしれません。)
海底の状態や餌場の消滅も心配でしたし、環境の変化に戸惑いながら巡っていました。

新聞で海水浴場整備完了が話題になった年だったと思います。通っていた海沿いにこれまで見たことがない数の冬鳥が砂浜に居ました。
高い防潮堤が建設されたことで、人が気にならず安心感を得たのでしょうか。あの光景には驚きました。

大きな災害が起きると話題になりますが、同じ種の野鳥が一極集中化して大群を成すニュースを時々耳にします。
東日本大震災でも生態系の変化が大なり小なりあったと思います。仮説ですが、その時も様々な環境要因が重なって一時的な群れの滞在が起きたものと考えます。
震災後、干潟や藻場が復活した良い話も聞けば、逆に磯焼けが進行した問題もありました。
海の恵みに支えられているからこそ、海の環境にも目を向けていきたいものです。


海からちょっと離れて、少し山の話をします。
復興に向けて観光資源の活用も増えました。
山に続く悪路が舗装されて安全に行けるようになったものの、川がコンクリートの中を抜けるようになり、森林が思った以上に伐採されていたことにはショックを受けました。
山に親しむ人が増えたことは良いことです。ただこれまで豊かだった植物や動物が見られなくなったことには首を傾げています。
山の栄養は小さな沢を辿り、海に繋がっていくことを忘れていないだろうか。
自然や動物にとって人の侵略が災害なのかもしれない。

人の生活を豊かにするとは、なんでしょう。

心を豊かにするとは、どういうことなんでしょう。

共生する意味を、間違って捉えていないだろうか。

この先も自問自答し続けると思います。

自然や命の世界(計り知れない世界)と向き合いながらも、日常的なリスクを避けようとする、安全・安心の世界を追い求め続ける意識が、このシグナルに気づく(受け止める)芽を積んできてしまったからではないでしょうか。

矢野智徳・大内正伸著「大地の再生」実践マニュアル より



有明海の水門問題にも関心を持っていますが、異なる意見を尊重しながら未来のためにできることを考えたいです。


余談ですが、引用した本「大地の再生」実践マニュアルは、畑づくりの参考書として購入しました。開拓で疲弊した大地の蘇生とか自然災害に興味がある方は興味深い内容だと思います。
まだ読み終わっていない本がいっぱいあるのでnoteも程々にしないと。笑
ではまた。


いただいたご支援は活動に活かします。良い双眼鏡を買えるように頑張って記事を書きます。