1日は少しずつ長くなっている--地球の変化と公転速度を解説
1日は24時間であることは誰でも知っている真実ですが、実は地球の公転が減速するにつれ、日の長さの平均時間も長くなっていることをご存知でしょうか。それには月の引力や氷河期などいくつかの要因が複合的に影響しあっています。
1日は長くなっている?
これまでに「あれ、今日はいままででいちばん長い1日だったな」と感じたことはありますか? その感覚、正しかったかもしれませんよ。実際に!
地球の公転が減速するにつれ、日の長さの平均時間も長くなっているのです。
今週、『Proceedings of the Royal Society A』(英王立協会発行の科学誌)上で発表された論文では、どのくらい日が延びてきているのかについて、イギリスの研究者チームがこれまででもっとも正確な長さを明らかにしています。
科学者らは、何千年という記録を辿り、なんと紀元前720年の記録まで調べました。
もちろん、2,700年前には望遠鏡を使っている人などいなかったわけですが、日食や月食時に太陽や月が隠れ、暗くなることには気づいていました。そして、多くの記録を書き残していたのです。
そうした記録の情報量は、何千年も前の日の長さをかなり正確に割り出すのに十分な量でした。
それから、1620年以降、天文学者が望遠鏡で空の観察を始めると、星が月の裏に隠れる現象(星食・惑星食)のタイミングが日々記録されていきます。
こうした星食・惑星食の方法では、現在の知識と照らし合わせ、日食・月食による方法に比べて、さらに正確に日の長さを計算することができます。
1962年以降は、原子時計による計測が行われてきたため、過去50年の日の長さの変化については、ほぼ完ぺきな記録があります。
これらすべてのデータを集めた後、イギリスの研究者チームは、それらをグラフに落とし込み、紀元前720年以降の日の長さの移り変わりを図式化し、傾向を分析しました。
その結果、日の長さは、100年ごとに平均して1.8ミリ秒(1,000分の1秒)長くなってきていることが明らかになりました。
1995年に発表された過去の記事では、100年ごとに1.7ミリ秒長くなっていると計算されていました。たしかに、ごくわずかな差ではありますが、実はとっても重要なことなんです!
日が長くなる理由はすでにわかっています。月の重力による引力の作用によって、地球内部(固体部分)周囲に変位が起こり、隆起が生じます。潮汐が引き起こされる現象と同じメカニズムです。
そして、地球が公転するにつれ、隆起群は月から遠ざかりますが、月がそれらを再び引き戻します。このことによって、地球の公転が遅くなります。
しかし、問題は次のことです。数学的に言うと、地球にかかる月の引力が作用するなら、実際には地球の公転はさらに遅くなるはずで、すなわち100年ごとの日の長さの延長は2.3ミリ秒になる計算なのです。
でも、ちょうど先ほど、日の遅延はたったの1.8ミリ秒だとお話ししたばかりですよね! つまり、これらの違いを相殺するような、地球の公転を速めている要因が他にあるはずだということです。
そのうちの1つの要因は、最後の氷河期と関係しているはずです。
その時期の氷の重みは地球の両極をわずかに押し下げましたが、その後、現在のように氷がほぼなくなり、両極がまた押し上がってきています。これによって、地球の多くの質量が両極付近に移動し、地球の公転を速めているのです。
メカニズムとしては、フィギュアスケート選手が回転する際に、腕を身体に近づけて回転を速めるのと似ています。しかし、これだけではミリ秒数の違いを説明するのに十分ではありません。
地球の公転を速めているもう1つの要因として、おそらくは地球の核とマントルという内部層との関わり方が関係していると考えられます。その相互作用が実際どのようなものなのかについては、地質学者が詳細を調べています。
こうした研究によって、科学者らは、長期間にわたって地球を形作ってきた数多くのプロセスについて、さらに多くを知ることになるでしょう。
ですが、そう、いまのところは、「今日がこれまでで一番日が長かった」と愚痴をこぼせるわけで、誰もそれが間違いだとは言えません!
天然痘の歴史も変わる?
さて、歴史的な記録を紐解くと、ほかにも再考せざるを得ないタイムラインの問題があります。例えば、天然痘はどのくらい存在していたのか、といったことです。
かつては、天然痘の罹患は3~4,000年間にわたっていたものと考えられていました。なぜなら、天然痘の症状に似たあばたの残ったミイラが発見されたからです。
しかし、昨日、『Current Biology』誌に掲載された研究によれば、天然痘は実際には数百年しか存在していなかった可能性があるというのです。
研究チームは、もっとも古い天然痘ウイルスの標本として知られているリトアニアで発見された17世紀半ばの子どものミイラを見つけ、その標本を利用して、ウイルス株の遺伝子配列を調べました。
そして、より古いウイルス株の遺伝子配列とより新しい株の配列とを比べたところ、不思議なことを発見しました。双方の株から、共通の祖先として、1500年代後半から1600年代半ば頃に存在したであろう株が浮かび上がったのです。
つまり、このDNA解析によれば、その頃、すなわちもっとも早い段階で1,580年頃に、世界中の天然痘の流行が始まったのではないか、ということです。
もしそれが正しければ、天然痘の罹患があったものと考えられていた昔のミイラが実際に罹っていたものは、水疱瘡や麻疹など、別の病気だった可能性があります。
唯一、こうした何千年も前のミイラに天然痘があった可能性を示すことができるとしたら、天然痘は天然痘でも別の種類が存在していた場合です。つまり、ウイルスが根絶された1970年代までに完全になくなっていた種類があった場合です。
したがって、ウイルス学者は、天然痘ウイルスの進化過程、流行過程の時系列について再検討しなければなりません。これはすべて、数百年前に亡くなったひとりの子どもから発見されたものに端緒をなしているというわけです。
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