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織田信長は地味でコツコツ泥臭かった!?

拙著「ビジネスマン兵法」より

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大事を為すにはコツコツと ≪積小為大≫(二宮尊徳 ✕ 織田信長)

「積小為大」は、大きな成果を得るには「地味な行動をコツコツ積み上げること」が大切であるという二宮尊徳の教えです。

ここでは、積小為大を実践した意外な人物の「天下取りへの道」の例でその効果を紹介します。

その人物とは織田信長です。

経営トップをはじめビジネスマンにとって最も人気のある人物の一人ですね。決断力・行動力・判断力・革新力・人材登用術・合理化などがその理由でしょう。

しかし、信長を眺めていると、実は信長の行動は「地味で、コツコツ、泥臭い」ことに気付きます。

信長といえば、天下取りに一番近かった今川義元を桶狭間で倒すという電撃的勝利、南蛮のマントに鎧、豪華絢爛な安土城。最期は天下統一目前で家来の明智光秀に討たれるという派手なイメージです。

しかし当時、彼ほど「地味で、コツコツ、泥臭く」思考し行動した武将は、信長亡き後の徳川家康ぐらいではないでしょうか。

そんな信長の天下取りを中小企業のオーナー風にすると・・・

中小企業のオーナー織田信長は、大企業・今川グループの驚異にさらされていました。しかし、今川グループよりも優れた「情報部」を持っていました。信長は情報を駆使し、桶狭間で奇襲によりグループ総裁の今川義元を討ち果たしました。これで、東の脅威が薄れます。

次の狙いは北の隣国・美濃でした。当時の美濃のシェアを握っていたのは斉藤道三が創業者で大企業の斉藤株式会社です。この会社は重役から営業マンにいたるまで人材が豊富でした。信長は「まともに争えば自分の会社が負ける」と分かっていました。

信長の作戦は「小勢にてちょっかいをかける」ことでした。戦いをすぐに挑むようなことはせず、情報部を駆使し、斉藤株式会社の「あの支店は強い」「あの支店は弱い」「あの支店長は借金がある」「あの部長は部下から信頼がない」「営業マンたちのボーナスが減ったらしい」といった情報を入手しました。同時に内部工作を行い会社に不満を持つ人材をひそかにヘッドハンティングしました。

織田株式会社は内部工作に7年もかけた後、当時織田の営業課長クラスであった木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に命じて、墨俣(すのまた)に織田株式会社の美濃営業所・第一号店を築きます。ここで初めて大量の営業マンを送り込み斎藤株式会社に戦いを挑みました。

ここでは広告宣伝も行い、現地のパートさんも大量に募集します。ヘッドハンティングされた人材たちも織田株式会社の名刺を持って活動を開始したため、斎藤道三側の弱い営業所はすぐにシェアを奪われました。さらに「織田株式会社の就業条件が良い」と分かった斎藤側の営業マンたちは再就職を希望した結果、強い支店も弱体化しました。

最後に本社を集中攻撃し斉藤株式会社は倒産します。信長は斉藤株式会社の本社であった稲葉山城に登り、ここを「岐阜」と命名。有名な「天下布武」のスローガンを掲げたと言われています。

信長は若い頃から慎重でした。17歳で経営者となって以来、地盤である尾張を平定するのに費やしたのは約10年です。

26歳でようやく織田株式会社を正式に東海の市場に上場させています。

一か八かの勝負をしたのも「桶狭間」の1回きりでした。この桶狭間すら情報を駆使し「勝算有り」と判断した戦いだったと考えられています。

一方で、辛抱強いと言われる家康などは30過ぎの頃に常勝軍団・武田信玄に一か八かの勝負を挑み大敗しています。ここからも信長は徹底した忍耐力の持ち主・慎重な人物だったのではないかと推測できます。

信長は生涯にわたって「地味で、コツコツ、泥臭い」姿勢を貫きました。

大坂の石山本願寺との戦いでは約11年の歳月を費やしました。

当時、戦国最強と言われた武田信玄・上杉謙信に対しては貢ぎ物を送り「私どもはあなたに勝負は挑みません」とメッセージを送っています。

その行動の裏で信長はこう考えていました。「情報部によると謙信は酒ばかり飲んでいる。信玄はどうも身体の具合が悪そうだ。彼らはカリスマ経営者だ。部下も優れた者が多いが、カリスマが倒れれば組織も弱体化するだろう。何と言っても彼らは俺より年上だ。彼らが倒れるのを待ってからシェアを奪えばいい。」やがて、信玄・謙信は病に倒れ、この機に乗じて信長は一気に天下布武へ向けて加速していきました。

いきなり事を成すことはできません。信長に学ぶことは、事を成すには「地味で、コツコツ、泥臭く」忍耐強く努力することです。これが迂遠にみえて成功への本当の近道なのです。

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拙著「ビジネスマン兵法」より抜粋(鎌倉敏之介のペンネームで執筆した本)

著書ビジネスマン兵法

ヘッダー写真はJR岐阜駅前の織田信長像です。福井の越前、滋賀の安土ほか、いろんなところで信長像を見てきましたが、岐阜駅前は金ぴかです。派手なイメージです。そして今は時節柄、マスクを着けておられます。

かまたびん

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