流れにのる
人間の脳というのは、流れにのることが得意。
先日読んだ本に、そんなことが書いてあった。それを読んで以来、その言葉がちょっと気になっている。
そういえば、そうだよな……と思うことが、今年の私にはいろいろあったからである。
1月には、うまくいっていると思っていた仕事にトラブルが起きた。それをきっかけに、私は仕事のことを深く深く考え直さなければならなくなり、そのストレスからか、身体を壊した。
その落ち込みは春まで続いた。暖かくなったのと、仕事が再びうまくいきはじめたのと、心と身体の調子が上向いてきたのは、ほぼ同時期だったような気がする。
しかし、ピンチは再びやってきた。今年は夏が来るのが早く、6月にはすでに真夏日や猛暑日があったと記憶している。しかも、暑すぎる夏は長く続いた。そのせいか、私は再び身体を壊した。このときは、精神的にはとても元気だったにもかかわらず、身体がついてこなかった。だから、ものすごく悔しい思いをした。
秋になってヒガンバナが咲くころ、ようやく私の身体は調子を取り戻した。仕事も、1月にトラブルがあったことを忘れるくらい、順調に進んだ。
そして今、こうしてものすごく大ざっぱに今年を振り返ってみると、たしかに私は流れにのっていたのかもしれないと思う。年の初めにつまずき、春に起き上がったものの、夏には倒れ込んで、秋にはゆるやかに回復し、冬の今はそれを穏やかにキープしている。
季節の移り変わりと、体調と、仕事が、見事に連動した年だった。これまでの私は、うまくいかないことも意地で乗り切ってきたし、季節ごとに体調が変化することもなかったから、こんなことは初めてだったかもしれない。
「流れにのった」と同時に、実は「流れを変える」努力もやってみた1年だった。
1月に仕事のトラブルを抱えたとき、本気で「このままではいかん!」と思った。今までの仕事のやり方を見直し、考え方を変えた。考え方を変えた、というよりも、少しずつ変わっていった。
私の考え方が変わっていったのは、この「note」があったからだと思う。
本気で何かを変えようと思って私がやったことは、毎日noteを書くことだった。noteだけではなく、自分のホームページのブログなど3本を、毎日書いた。書き続けた。それは約3か月間続いた。
今、振り返れば、その3か月間は、私の心と身体が落ち込んでいた時期にあたる。心と身体の調子が上向き、仕事が再びうまくいきはじめると、毎日更新はしなくなった。
そして今、振り返れば、その3か月間で、私は仕事に対する向き合い方を大きく変えたのであった。
それまでの私は、書くことやしゃべることという、自分が好きなことを仕事にしたために、なんというか、意地をはっていたように思う。「好きなことを仕事にしたんだから、がんばらなきゃ」「好きなことを仕事にしたんだし、長くやってるんだから、私が間違っているわけがない」という感じで、何かにつけて意地をはっていた。譲歩するということがなかった。
しかし、noteを書き続けた時期の記事を読み返してみると、そうした考え方を大きく転換したのが、今年であった。意地をはらなくなり、いい意味で相手の言うとおりに仕事をこなすことができるようになった。
そうやって、力を抜いて仕事ができるようになった分、時間と労力に余裕ができて、美術館に行ったり、庭園に行ったりするようになった。美術館で作品を鑑賞したり、庭園で季節ごとの花や木々を眺めたりすると、さらに心に余裕ができた。
そういえば、焦ったり走ったりしなくなったのも、今年からかもしれない。
これまでの私は、いつも時間に余裕がなかった。何をするにも時間ギリギリで、焦ったり走ったりしながら「間に合った~!」と言っていた気がする。
ところが今年は「間に合った~!」という場面があまりなかった。電車はホームでぼんやりしながら待つことが多かったし、新幹線でも飛行機でも、待合スペースでコーヒーを飲むくらいに余裕があった。北は北海道から南は沖縄まで、これまで以上に遠方への出張取材が多かったにもかかわらず、である。
仕事に対する向き合い方だけではなく、時間に対する考え方も変わった、としか言いようがない。
こうして振り返ってみると、流れにのり、そして流れを変えた1年であった。
川の流れは、真っ直ぐだけではない。カーブにさしかかると、一旦は淀んで、流れを変え、再び真っ直ぐになる。
私にとって今年は、そういう1年だったのかもしれない。
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