ゴーストライターの悲しい月末 第2話
入ってるはずのお金がない理由
問い合わせれば凍りつく指
「え?なんで??さすがに今日、振り込まれてないのはおかしいよね?」
その日は、2月3日。2月最初の月曜日であった。
私は、とある女性Aさんのゴーストライターとして、本の原稿を書いた。その本は無事に刊行され、Aさんからお礼の電話を受けた。それが1月31日であった。
そして、まさにその1月31日に、私の銀行口座には原稿料が振り込まれているはずであったが、その日には振り込まれていなかった。
私は「今日こそは振り込まれているだろう」と、2月3日にATMへやってきた。1月31日は月末の金曜日だったから、きっと経理担当者が振り込みに間に合わなかったのだろうと思っていた。だから2月3日月曜日も、午前中ではなく、あえて午後1時すぎにATMに来た。
通帳に記帳しようと、機械を操作したが、またも、機械から流れた女性の声は、私にこう告げた。
「ただいま、通帳に記入するお手続きはございません」
月末に振り込まれるはずの原稿料が、月初にも振り込まれていない。さすがに私も「おかしい…」と思うようになった。これは、単に振り込み手続きが間に合わなかっただけではないらしい。
私はATMを出てすぐに、原稿料を振り込んでくれるはずのG出版社へ電話をすることにした。
バッグからスマホを取り出し、G出版社の電話番号を探して、受話器のイラストのボタンを押す。そういえば、もう電話機なんて使ったことがない若者たちも多いんだろうな…。
トゥルルルル…トゥルルルル…。呼び出し音が鳴る間、私の心臓の鼓動がどんどん大きくなっていく。ドキドキドキ…。
「はい、G出版社でございます」
若い男性が電話に出た。
「あの、編集ご担当のKさんはいらっしゃいますか?」
「Kですね。ええっと…、少々お待ちください」
ほどなくして、中年と思しき別の男性が電話に出た。
「え~、Kの代わりに私が承ります。どのようなご用件でしょうか?」
「あの、Aさんのご著書の件で。Aさんからは、本が出来上がったって、とっても喜んで丁寧なお電話をいただいたんですけど、原稿料が振り込まれていないんです。1月末に振り込まれるはずなんですけど…」
「あ、そうですか。ちょっと確認しますので、Aさんのフルネームとご著書のタイトルを教えていただけますか?」
私は、Aさんのフルネームと彼女の著書のタイトルをスラスラと先方に伝えた。約2年間も携わった本だから、スラスラ言えて当たり前だった。電話口の男性は、電話をしながらパソコンを操作しているらしく、カチャカチャとキーボードをたたく音がした。
「ちょっとお待ちくださいね。あ~、その本は、確かに無事に刊行されていますね」
「そうですよね。著者さんから電話をいただいたので、間違いはないと思うんですが…」
原稿料が、と私がもう一度言う前に、電話の男性はこう言った。
「あ~、この件は別の者がKから引き継ぎましたので、確認して折り返しますね。今、お電話いただいている電話番号でよろしいですか?」
Kさんから引き継いだ?なんで?ちょっと疑問に思ったが、G社はそこそこ大きな出版社だから、いろいろあるのだろうと、その時は特に気にも留めなかった。
「あ、はい。この電話番号に電話してください。お手数ですが、原稿料が入らないとこちらも困るので、よろしくお願いいたします」
「はい、わかりました。では、折り返しますね」
電話の向こうの男性はそう言うと、電話を切った。「折り返す」というのだから、そんなに長くはかからないだろう。念のため、Kさんにもメールを送っておこう。
Kさま Aさまの件では、大変お世話になりました。
1月31日(金)に、Aさまから「とても素晴らしい本にしていただいて、感激しました!」と、とても丁寧なお電話をいただきました。ありがとうございました。この件の原稿料ついては、昨年12月にご請求書をお送りしており、「1月31日」にお振込みいただけることになっておりました。
本日、2月3日13時現在、お振込みがございません。御社へお電話差し上げて、ご確認いただいておりますが、念のため、Kさまへもメールを差し上げました。以前、お話しましたように、この案件は先方の都合でかなり刊行が遅れ、私は約2年間、原稿料を1円もいただいておらず、大変困っております。
できるだけ速やかに、請求書に記載の指定口座へご入金いただけますよう、ご対応をよろしくお願いいたします。
「さ、これでKさんも気づいてくれるでしょ」
そう思った私がバカだった。
G社への電話は、午後1時過ぎにかけたはずなのに、午後3時になっても、4時になっても折り返しの電話はなかった。もちろん、Kさんからメールの返信もない。
青かった空がオレンジ色になり、さらに薄紫色になっていく。
私の不安はどんどん大きくなり、心臓はますますドキドキした。
「このまま、原稿料が振り込まれなかったら、どうしよう…」
ついに、日が暮れた。商店街には明かりが灯っている。
あんなに明るいうちにかけた電話で「折り返します」と言われたのに、こんなに時間がかかることってあるんだろうか。こんなに時間がかかるってことは、なにかあったんじゃないだろうか…。
午後6時を過ぎても、私のスマホはうんともすんとも言わなかった。
「折り返してこないんだけど…。どうなってんの?」
しびれを切らして、私は再度、G社に電話をした。
「はい、G出版社でございます」
今度は、若い女性が電話に出た。私は自分の名前を名乗り、事情を説明した。
「編集ご担当のKさんがいらっしゃらないみたいで、折り返します、って言われたんですけど、まだご連絡いただけないので…」
「あ、そうですか。それは失礼いたしました。Kは1月31日付で退職いたしましたもので…」
「えっ??」
私は、耳を疑った。今、電話の向こうの女性は「ケーハ、イチガツサンジュウイチニチヅケデ、タイショクイタシマシタ」って言った?タイショク?しかも、1月31日付で?どういうこと?
「あ、あの…。どういうことでしょうか?だから、私の原稿料が振り込まれていないんですか?」
「さぁ…。この件については、私ではわかりかねますので、別の者に確認して、折り返しますね。この電話番号でよろしいですか?」
電話の向こうの女性の言葉に、私は「はぁ??」とあきれてしまった。「折り返します」と言われて、折り返しがないからこちらから電話しているのに、また折り返すと言う。たらい回しか?
「あのですね、5時間前も折り返すって言われたんです!折り返すって、何時間待てばいいんですか?本当に折り返してくれるんですか!!」
私がキレて大きな声を出したせいだろう。電話の向こうの女性は、さっきの事務的な声とは違い、本当に申し訳なさそうな声になって、あわててこう言った。
「この度は、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。別の者に確認して、間違いなく本日中に、折り返しお電話させていただきます」
「本当に、本日中なんですね??」
「はい、間違いなく本日中にお電話いたします」
「わかりました。よろしくお願いします」
私は、憮然とした声でそう言って、電話を切った。こういう時、電話機なら受話器があるから、物理的に「ガチャン!」と切れるが、スマホではそうはいかない。受話器のイラストのボタンを押すだけだ。
しかし、そのボタンを押す私の指先は、ブルブルと震えていた。むろん、G社に対する怒りで震えていたのである。
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