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あん肝入りの鍋と、ムンクの叫び

「ニューヨークでは、フォアグラが禁止になるらしいよ」

その日、なじみの居酒屋で日本酒を飲んでいると、隣席の常連さんが声をかけてきた。

「え?フォアグラですか?なんで?」

「フォアグラってさ、カモとかガチョウの肝臓なんだけど、フォアグラ取るために太らせるから、ムリヤリ餌を食べさせたりするらしくて。それが動物虐待っていわれちゃうらしいんだ」

「へぇ~。フォアグラ、おいしいのに」

そう言う私が、その日食べていたのは、あん肝であった。あん肝といえば、蒸したあん肝をポン酢でいただく「あん肝ポン酢」がおなじみだ。しかしその日、この店には生のあん肝が入荷していたのである。

「ポン酢でもおいしいけど、鍋に入れてもうまいよ」

という店主のすすめもあって、私は豆腐がたっぷり入った「あん肝鍋」を頼んだのであった。

通常は鍋料理というと「2人前から承ります」という店が多いが、ひとり客が多いこの店では、1人前用の鍋がある。というか、むしろ1人用の小さな鍋しかない。その小さな鍋に合わせて、カセットコンロも小型なのである。

今、私の目の前では、小型カセットコンロにかけられた1人前用の鍋の中で、あん肝がお出汁で煮こまれ、「ちょうど食べごろ」という感じになっている。

「あん肝といえば、海のフォアグラだからねぇ」

常連さんも、ついさっきまであん肝を食べていたらしい。

「そうなんですよね。なんだか、この見た目も似てるじゃないですか。フォアグラに」

食べやすく切られたあん肝に熱が通り、薄いピンク色から、ちょっと肌色に近い色に変化していた。それを箸でつまみ上げ、小皿に入ったポン酢に浸して、口の中へ。

フーフー、ハフハフ、アチチ…。

「ん~、まさに海のフォアグラ!」

あん肝ならではのコクを楽しみつつ、日本酒をちびり。ああ、なんたるシアワセ。

「そういえば、あん肝って、ホントに英語で『海のフォアグラ』っていうんですか?」

隣席の常連さんは、外資系の会社に勤めている。仕事では英語を使っているはずだ。

「まさか~。あん肝は、日本の食べ物だよ。あえて英語にするなら…

あんこうの肝 モンクフィッシュ レバー(monkfish liver)だね」

「モンクフィッシュ!モンクって、あの『叫び』で有名な?」

私はそう言うと、口をタテに開いて、両手でほっぺたを押さえ、あの絵のマネをした。常連さんは、しばらくの間キョトンとしていたが、「あ」と小さくつぶやいた後、クククッと笑いだした。

「違う違う。その絵の作者は『ムンク』だよ。ボクが言ってるのは『モンク』で、あんこうのことを英語でモンクフィッシュっていうんだ」

「え~!でも、似てるじゃないですか~。モンクとムンク」

私は再び、口をタテに開いて、両手でほっぺたを押さえ、「叫び」の絵のマネをした。常連さんはゲラゲラ笑っている。

「まぁ、あんこうの顔はあんまりかわいくはないから、共通しているといえば、いえなくもないかなぁ」

「顔がかわいくなくたって、いいんですよ。あん肝はおいしいんですから」

鍋の中には、肌色になったあん肝が、まだ残っている。私は、口の中でフォアグラのようなコクを思い出し、店主に向かってこう言った。

「お燗酒、お願いしま~す!」


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