マガジン

  • 平成元年のバックパッカー

最近の記事

アムステルダムの一夜 1989年11月(その3)

階段を昇り、家の中に案内された時、更に僕を当惑させることが起きた。 「やあ」 そこには、別の男がもう1人いたのだ。 20代か30代で、顎髭をたっぷりと蓄えた男、どうやらアルジェリア人と言うことだった。 「彼は私の友人でね。今夜は3人で楽しく過ごそうじゃないか」 家のオーナーである彼は、困惑して立ったままの僕に、優しい口調でそう言った。 誰かいるなんて聞いていなかった。 別にそれはそれでいいんだが、僕はなんと言ってもバックパッカーとしての長い旅を始めたばかりであり

    • アムステルダムの一夜 1989年11月(その2)

      彼の自宅はすぐに見つけることができなかった。 午後7時を過ぎ、日が少しずつ西の空に沈みかけている。 アムステルダムの運河も、観光客に見せていた華やかな雰囲気は脱ぎ去り、普段着の姿に戻ろうとしているようだ。 その運河沿いの細い道を行ったりきたりしながら、僕は彼の家を探した。 「多分この辺りなんだけど」 地球の歩き方の地図だけでは流石に心細く、僕は昼間、街のツーリストインフォメーションで別の地図を手に入れていた。 彼が教えてくれた通りの名前、そして番地。 僕は勝手に

      • アムステルダムの一夜 1989年11月(その1)

        1989年11月2日。正午前。 その時僕は、アムステルダム駅の前で小さなカメラを抱えて歩いていた。 前の晩、ロンドンからの夜行バスで初めてヨーロッパ大陸に足を踏み入れた僕は、もうすぐ22歳になろうとしていた。 まだ猿岩石もいない時代だ。 深夜特急も読んだことはなかった。 だがバックパッカーという言葉は存在していたと思う。 大学を1年間休学し、その年僕はある国で半年働き、お金をため、残り半年をバックパッカーとして放浪することに決めていた。 その出発の地がアムステル

        • 秘話 ロングアンドワインディングロード

          「もうやめだ! もうやめてやる! 脱退してやるぜ!」 帰宅するなり、荒れまくる夫、ポールマッカートニーに、新妻リンダは不安げな表情で声をかけた。 「どうしたの、ポール? またジョンと一悶着あったのね」 「まあそういうことさ。リンダ、いいからこれを聴けよ」 ポールが差し出したのは、一つのカセットテープだった。 「まあ、またビートルズで新曲作り始めたの?」 「違うよ。なかなか世間に出せない呪われたプロジェクト、レットイットビーセッションで録ったザロングアンドワインディ

        アムステルダムの一夜 1989年11月(その3)

        マガジン

        • 平成元年のバックパッカー
          3本

        記事

          嬉しくない昼寝時間

          僕が通った保育園は、大きなお寺の中にあった。 昭和40年代が終わろうとしている頃だ。 2年間通ったのだが、年中クラスのとき、毎日お昼寝の時間があった。 給食が終わった午後、1時間程度、みんな揃って眠るのだ。 この時間が、5歳の僕にはとにかく苦痛だった。 昼間にいきなり寝ろと言われても、そんなすぐに眠れるわけないだろう。当時の僕はそう思っていた。 しかも教室で椅子に座ったまま、机に突っ伏して寝るのだ。 そんなの無理に決まってる。当時の僕は、何度も何度もそう思ってい

          嬉しくない昼寝時間

          おばあちゃんの手

          子供の頃、僕は喘息持ちだった。 3ヶ月に1回くらい、朝起きると突然胸に痰がつまり、呼吸が苦しくなるという発作に見舞われた。 「またひゅうひゅうか」 母はいつもそんな表現を使って、またそれがやってきたことを僕に教えた。 横になっているのも苦しい。ズボンのポケットに両手親指を突っ込み、猫背になり、胸をひゅうひゅう言わせて苦しむ。 それが僕の喘息ポーズだった。 発作が起きると、歩いて20分くらいの距離にある小さな医者に母と行く。 歩けない僕を、母は背負って行くこともあ

          おばあちゃんの手

          酔った名古屋人

          ほら、あそこの奥のテーブルで一人でビール飲んでるおっさんいるじゃない。 そう、さっきから生ビールばっか飲んでるあの会社員風のおっさん。 あれさ、さっきから一人でうるさいんだけど、どうやら名古屋人らしいよ。 いや、おれさ、分かるのよ、名古屋出身のやつ。 味が薄いとか、コーミソースくれとか文句ばっか言ってるじゃない。 そのうちさ、もっとすごいこと言い出すよ。 ほら始まった。今度はおでんに味噌出せなんておばちゃんに絡んでる。 ここはねえ、東京の中野だよ。サンモール横の

          酔った名古屋人

          消えたカエルたち

          僕が小学校3年生くらいだったと思うので、あれは昭和51年頃のことだろうか。 ある日曜日、近所の戸田川に家族4人で魚釣りに行った。釣りと言っても、粗末な竹竿でフナを数匹釣るくらいである。 川に行くまでは草が生茂る沼地が広がり、そこでは青大将が這っているのをみた。 「蛇なんか、わたし、いかん!」 当時35歳くらいの母親は、父、兄、僕の後から恐々と歩いてきた。 いかん!というのは、名古屋弁で「駄目! 苦手! 勘弁して!」というような意味だ。 はっきりした記憶はないけど、

          消えたカエルたち