おばあちゃんの手
子供の頃、僕は喘息持ちだった。
3ヶ月に1回くらい、朝起きると突然胸に痰がつまり、呼吸が苦しくなるという発作に見舞われた。
「またひゅうひゅうか」
母はいつもそんな表現を使って、またそれがやってきたことを僕に教えた。
横になっているのも苦しい。ズボンのポケットに両手親指を突っ込み、猫背になり、胸をひゅうひゅう言わせて苦しむ。
それが僕の喘息ポーズだった。
発作が起きると、歩いて20分くらいの距離にある小さな医者に母と行く。
歩けない僕を、母は背負って行くこともあった。
なぜか冬の記憶が多い。
医院の狭い待合室には、粗末なソファセット、そして座布団が床に何枚か敷いてある。
火鉢もいくつかあり、その周囲には必ず何人かのおじいちゃん、おばあちゃんが背を丸めて座っていた。
「お待たせしました。一番の方どうぞ」
夕方、準備ができるとスピーカーから中にいる先生の声が響く。僕は、母が握りしめる番号札を見ては、自分の順番が永遠に来なければいいが、といつも思っていた。
その時もまた、冬の寒い夕方だった。おそらく僕は5歳くらい、昭和40年代後半だったと思う。
僕と母は長椅子に座り、母の隣にはかなり高齢の女性がいた。そのまた向こうには孫と思われる僕よりも幼い女の子が座っていた。
「あれ、どうしたの。風邪かね?」
もろ名古屋弁のイントネーションで、母はその女の子に声をかけた。そして、ふと隣にいる高齢の女性の手を見つめた。
「これ、見てみやあ。このおばあちゃんの手を」
おもむろに母は隣に座っている高齢の女性の手をとり、孫娘に見せた。
その女性の手は、数え切れないほどのしわで包まれている。
小さな、小さなしわくちゃな手。
冬だからか、その肌はひびかあかぎれか霜焼けかわからないが、辛そうな雰囲気を濃厚に漂わせていた。
「おばあちゃん、あんたのためにこんな頑張っとるよ」
母に手を差し出したまま、そのおばあちゃんはただニコニコと笑って座っている。
「こおんなに頑張ってござるよ。これ見てみやあ、ねえ、この手」
母は自分に聞かせるようなつぶやきと共に何度もその手を見つめ、愛おしそうにギュッと握り締めた。
「こんな苦労されとるに。あんたも頑張りゃあよ」
黙って座っている女の子に、母はもう一度そう言った。
僕は、胸をひゅうひゅう言わせながら、母の言葉をじっと聞いていた。
今でも僕は、たまにあの高齢の女性の手を思い出す。
そして、当時まだ30代前半だった母のことも。
あの時、母は泣いていた。
母は、あの高齢の女性の手に、一体何を見たのだろう。