bijou blanc

自分の気持ちをアウトプットする、自分のための雑多な記録です。 子どもの頃の夢中になった…

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自分の気持ちをアウトプットする、自分のための雑多な記録です。 子どもの頃の夢中になったあの感覚を思い出したい。 突き動かされるように物を作った、あの感覚を思い出したい。 湧き上がる感情から生まれるものを作りたい。

マガジン

  • 光州への旅の記録

    2024年5月に訪れた光州の旅の記録。

  • 絵画や遺跡、アートを追う記録

    アートとは何かを探求しながら、出会ったものや訪れた場所の記録。

  • 洋服、ミシン、縫うことの記録

    洋服、ミシン、縫うことの記録をファイルしています。

  • 韓国に繋がる糸 家族の記録

    韓国との縁を言葉で記録したファイルです。

  • 徒然なる記録

最近の記事

終わってからも続く ~光州への旅の記録 光州ビエンナーレ・シンポジウム@福岡

福岡アジア美術館企画展「水のアジア」で出会った山内光枝さんの作品「信号波」に心を動かされ、送った1通の手紙。 その手紙をきっかけに光枝さんと交流をし、家族のことや、作品のことを話した。 光枝さんに実際にお会いして感じる人柄や、制作への信念のようなものは、私が「信号波」から感じ取ったそれと、同じだったと思う。 光枝さんが光州に行くことになったと聞いた。 そして、韓国語を勉強中の長女に、通訳者として光州に行くチャンスを与えてくれた。 若い長女に、未来の価値を見出すための投資と

    • 変わりゆくものと変わらないもの、釜山にて ~光州への旅の記録10

      光州から福岡へ帰る途中の、トランジットとなる釜山。 釜山で再び訪れたい場所があり、その地を訪れる時間をKeepできるように、釜山発→博多行の船便のスケジュールを組んでいた。 私たちは、義祖父の生まれた、その場所を再び訪れた。 長女は、2023年釜山の大学を卒業し、いったん福岡へ戻った。 その時訪れた福岡アジア美術館で山内光枝さんの作品に出会う。 その作品中の日韓併合時の釜山の住宅地図に見つけた、私たちの苗字。 長女はこの2024年の春から、再び進学のために釜山へ渡った

      • 土地の記憶 ~光州への旅の記録9

        光州への旅の記録1~8の続きです。 ☆☆☆ 2024年5月18日。 光州民主化抗争記念式典が行われるこの日を光州で過ごし、 明日は釜山を経由して福岡への帰路につく予定だ。 1日の活動を終えて、帰り着いたゲストハウスの夜の風景。 ゲストハウスのだれでも集えるダイニングテーブルで、ソウルから光州へ来た若い女性と出会い、おしゃべりに花が咲く。 とても流暢な日本語で、話をしてくれる。 韓国に来て思うのは、日本語が上手な若い人がとても多いということだ。そして、もちろん日本がと

        • 自由や新しい何かを求める風土を感じる ~光州への旅の記録8

          光州への旅の記録1~7の続きです。 ☆☆☆ 2024年5月18日。 昨日の光州民主化抗争記念式典の前夜祭から一夜が明けた。 青い空から差す光が眩しい。 目覚めたその時、昨日の前夜祭が、現実だったのか、夢だったのかわからなくなる。 光州に初めて宣教師が来た時に暮らしていた洋館をリノベーションした、趣のあるゲストハウス。 民主化運動の起こったこの地には、自由や新しい何かを求める風土が根差しているのかもしれないと、直感的に思う。 ゲストハウスの周辺を散策しながら、ランチ

        終わってからも続く ~光州への旅の記録 光州ビエンナーレ・シンポジウム@福岡

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        • 光州への旅の記録
          11本
        • 絵画や遺跡、アートを追う記録
          13本
        • 洋服、ミシン、縫うことの記録
          50本
        • 韓国に繋がる糸 家族の記録
          14本
        • 徒然なる記録
          43本
        • 家族の思い出の記録
          19本

        記事

          舞い上がる噴水と、昇華されない痛み ~光州への旅の記録7

          光州への旅の記録1~6の続きです。 ☆☆☆ 5月の空に向かう噴水の白い水しぶきと、澄み渡る空を見上げた時の眩しい光、それを受けて青々と輝く新緑。 44年前のこの日も、こんな心地よい天候に恵まれた、5月のある日だったかもしれない。 感情を開放させるかのように、勢いよく噴き出す水しぶきの向こうに見えるのは、5.18民主化運動の10日間を記録する「全日ビル245」 ビルには、ヘリコプターから打ち込まれた245発の弾丸の跡が残されていた。 事件当時の一般市民の日常に入り込

          舞い上がる噴水と、昇華されない痛み ~光州への旅の記録7

          白と青の記憶 ~光州への旅の記録6

          光州への旅の記録1~5の続きです。 ☆☆☆ 光枝さんと長女が、光州民主化抗争記念式典・前夜祭で参加する合唱のリハーサルの場所へ向かった。 到着したその場所は、光州YMCA建物内の体育館だった。 光州に来る前、「光州5.18」で観たYMCAの看板が、なぜか記憶に焼き付いていた。 私は図らずしも、その場所へ来ることになった。 デジャブを見ているような不思議な感覚だった。 そして、合唱曲の制作者の指揮のもと、リハーサルは進んだ。 今回の合唱のためのオリジナル曲を、参加者で歌

          白と青の記憶 ~光州への旅の記録6

          分かち合う心~光州への旅の記録5

          光州への旅の記録1~4の続きです。 ☆☆☆ 光州に来る前、聞いた話があった。 ここ光州では、だれもが、だれに対しても「お腹すいてない?」とチュモッパや食べ物を分かち合う精神が根付いているらしい。 光州に来る前に見た映画「タクシー運転手」にも、オモニが、そこにいる人の空腹を心配し、チュモッパを分け与える描写があった。 光州に降り立ってから、触れ合う人々がとても優しいと感じた。 乗車したタクシーの運転手さん、お店の店員さん、ゲストハウスで出会う人々。 光枝さんと長女が光

          分かち合う心~光州への旅の記録5

          未来の末裔にどんな世界を生きてほしいのか~光州への旅の記録4

          光州への旅の記録1~3の続きです。 ☆☆☆ 今回の旅のきっかけをくれた美術家の山内光枝さんと、美しいゲストハウスで合流した後、光枝さんの作品制作のための活動に同行する。 この日5月17日は、光州民主化運動から44年の、光州民主化抗争記念式典を翌日5月18日に控え、旧全羅南道庁前広場とその周辺で、前夜祭が開催される。 旧全羅南道庁前広場に続く通りに到着した。 光州に来る前に、見た映画があった 「タクシー運転手」と「光州518」。 映像の中に見たあの風景が目の前で3D

          未来の末裔にどんな世界を生きてほしいのか~光州への旅の記録4

          同じルーツ、どこかから来た他者 ~光州への旅の記録3

          光州への旅の記録1~2の続きです。 ☆☆☆ 2024年5月17日。 釜山から光州へ向かう。 夜が明け、ホテルを後にし、釜山地下鉄1号線の始発に乗り込み、終着駅老圃駅へ。 老圃駅改札を出て、すぐに接続する高速バス乗り場。 無人のコンビニでドリンクを購入し、3時間のバスの旅に備える。 朝の7時に発車した高速バスはすぐに高速道路に乗り、目に入る風景は、釜山の街並みから、のどかな田園風景に移り変わった。 昨日のオレンジ色の夕焼けが予感させたとおり、青い空が広がる。 田植え

          同じルーツ、どこかから来た他者 ~光州への旅の記録3

          海と母の記憶 ~光州への旅の記録2

          光州への旅の記録1の続きです。 ☆☆☆ 博多港を12時に出発し、 光と水が化学反応を起こした虹の海路に揺られ、約6時間。 海という文字には、母という文字が含まれる。 海水の塩分濃度は、胎内の羊水のそれと同じらしい。 人の遠い祖先が、海から陸に上がって暮らしを始めた時の塩分濃度が、今も私たちに保持されている。 私たちの細胞には、太古の記憶が今でも残されているにちがいない。 前日の嵐が残した風は、母の胎内にいるような心地よい揺らぎを与えてくれた。 そして、つかの間の眠りに

          海と母の記憶 ~光州への旅の記録2

          水と光が交わるとき ~光州への旅の記録1

          2024年5月16日。 前日から未明にかけて、大陸から移動してきた嵐が、日本海〜九州を通過した。 嵐が過ぎ去った後の空気は、澄み渡る。 日差しが眩しい。 強い風だけが残された、早朝の博多港国際ターミナルへ向かった。 昨年の7月、偶然訪れた福岡アジア美術館での出会いから繋がれた糸。 美術家の山内光枝さんが韓国光州で作品を制作するにあたり、長女に通訳のチャンスを授けてくださることになり、私もそれに同行する。 偶然が積み重なったこの糸の先に、初めて知った光州事件のこと。 光

          水と光が交わるとき ~光州への旅の記録1

          覚書

          福岡アジア美術館で聞いたお話の記録と、自分の中の探し物の言語化の記録。 アジア美術館の使命がアジア美術の先見的な価値の見出しであることや、 美術館が学校現場の学びをリードしていく方針であることを理解した。 美術館が学びの場をリードする。 美術館では、小学生から中学、高校と年代があがるにつれ来場数が減るという。 それは、現在の日本のほとんどの受験科目に、美術、芸術がないからだというのは推測にたやすい。 現状の日本に一般受験科目を重視する社会風潮があること。 目の前の受験

          「ジレンマ」と「ネガティブケイパビリティ」

          福岡アジア美術館で聞いたお話の内容の記録と、自分中の探し物を言語化する。 学芸員の方のお話では、福岡アジア美術館の使命は、「アジア美術の先見的な価値の見出し」だという。 テレビで知れわたっている展示や既に知名度のある展示は、集客がつくけれど、それは「先見的な価値」ではない。 自分にとって未知の展示や企画展に目を向けてみると、今はまだ表面に出ていない潜在的なメッセージが受け取れると気付いた。 私は昨夏、テレビで知った企画展を観にアジア美術館を訪れた。 そのチケットについて

          「ジレンマ」と「ネガティブケイパビリティ」

          アートとは、美術とは

          福岡アジア美術館で、あるお話を聞く機会を得て、これまで自分が探してきたこととリンクした。 お話の内容の記録と、自分の中の探し物の言語化の試み。 今回のお話の中に、美術館で集客のある展示が、必ずしもアジアの近代美術ではないことにジレンマを抱えているというのがあった。 これまでの展示会の集客数が数値化されたデータで紹介されたが、主にテレビを通して人に認知されているものや、テレビ局が広告を打ち出す展示に集客が多いということが示されていた。 (今後はそのテレビという媒体がSNS

          アートとは、美術とは

          永い歴史の中のわずかな点だと気付く~「ミシンと洋服」展

          今年の早春に見つけたフライヤー。 見た瞬間、心が躍り、ワクワクが止まらなくなった。 「ミシンと洋服展」 自宅から車で1時間ほど走った場所にある 芦屋歴史の里 芦屋歴史民俗資料館へ向かった。 展示会場は、ノスタルジックな雰囲気に包まれ、展示された服や道具からは、作り手の強いエネルギーを感じずにはいられなかった。 参加したギャラリートークでは、神話への布からのアプローチがあり、 日本の裁縫の発祥の地でもある縫殿神社の紹介もあった。 私は縫うことやミシンが大好きな一方で、

          永い歴史の中のわずかな点だと気付く~「ミシンと洋服」展

          無意識の連鎖

          この春、再び韓国の釜山に渡る長女と、その地を訪れた。 三寒四温の、寒さと温かさが入り混じる時期に訪れた韓国。 降り立った美しい釜山港。 利用した港近くのホテルでも、レストランでも、多くの若い人が流暢な日本語でフレンドリーに話しかけてくれる。 日本でもおなじみのアイドルのポスターや、おしゃれなカフェ、平和な街並み。 この地で、わずか30年くらい前まで、まだ暴力による弾圧が残っていたことは、私にとって想像しがたいことだった。 長女が韓国に興味を持ち、その地と繋がっていく

          無意識の連鎖