私の半世紀・運命編

私の仕事は、一言で言えばミュージシャン。オーボエ、サックス、ピアノ、作曲をし、演奏し、教える。

半世紀と半年前、そこはヤマハやカワイピアノなど楽器の街と知られる、静岡県浜松市にに生まれた。父は地元の銀行員、母も同じくの別の地元銀行に勤めていたが、祖父の勧めで寿退社後、私が生まれた。この二人が出会った運命から私が生まれた。

「親バカ」の名の通り、自分の娘の否を認めない、過保護な親だった。2歳のころ、新築の家の床に大工の真似をしてドライバーで突いて穴だらけにしても、4歳の頃、父親のギターの上に間違って乗って割ってしまった時も怒られなかった。幼稚園で話をしないで泣いてばかりいる私を気にして、「神経質な私の表情のせいだ」と自分を責める母親。感情表現を良いことだとして、どんなに泣き叫んでも、どんなにはしゃいでうるさくても、子供たちを肯定する。さすがにこの点は、大きくなるにつれて周りに迷惑をかけない程度に、幼稚園や学校で矯正されるが、未だに私は心がすぐ顔に出る性格。

どんなことをしても泣き止まない私は、音楽を聴いた時は静かになったらしい。車の中で音楽を聞いて、何度も童謡のテープ(4曲ぐらいしか入っていなかったもの何本かを)を繰り返し聞いて、そんな私を見て両親は一緒に歌ってくれた。

「楽譜が読めるようになってくれれば嬉しい」という親の願いと私の音楽好きがビンゴ。6歳の6月を待ってピアノを習い始めた。ピアノのを買ってもらえるまでは知人から譲り受けた電気オルガンに、油性ペンでドレミファソラシドを鍵盤の上に書いて覚えた。それを見ても親は微笑んでいた。そんな親たちのおかげで、「その根拠のない自信はどこから来るの?」と言われながら大人になり、そして今も多分周りからそう思われている。

10歳で学校の音楽のレコード鑑賞の時間に、ある音色の正体がオーボエという名の楽器だったということを知ってしまう。オーボエとの出会いは「私はこの楽器のことを知っている」という不思議な感覚と、「この楽器のことを知らなければならない」という電撃のようなものを受け取った。以来数年待つことになるが、結果いいタイミングで先生と出会い、いいタイミングで地元の音楽高校でオーボエ科を作ってもらい、絶対大丈夫と言われていた音楽大学受験で失敗。後、縁あってウイーンの大学に進むことになる。これらの出来事は、私の意思だけではどうにもならない、本当に全て不思議な人と出来事の巡りあわせ。

6年住んでいた音楽の都ウイーンから、なぜニューヨークへ移りたかったのか。それは「アメリカはもっと自由に音楽ができるのでは」と思ったから。実際アメリカは法律、法律で、そんなに自由ではなかった。ウイーンが、保守的だったのは、それは全て彼らの伝統的文化資産を守る為。でも仕事のオーケストラのオーディションを受けて不合格をもらっても、なぜか仕事はあった。それはコネで合格通知をもらった人が、役不足で私に回って来たり、お金が安くて誰もやりたくないことや、ドタキャンのピンチヒッターなどもよく回ってきた。そのうち、いつも決まったレパートリーの音楽漬けの毎日が、ちょっと苦痛になってきた為。

ニューヨークに行くことを猛反対したのは、それまで何でも賛成してきてくれた両親。理由は大学院の学位をあと一年で取れるというところまで来ていたし、日本に帰ってくることを心待ちにしていたのだと思う。私は学位よりも、自由に音楽を楽しむということの方が大切だった。でも国際電話でそれを伝えるのは困難で、お互いに感情的になって、話し合いは成立せず、半年以上口を聞かなかった。

誰も知らないニューヨークで、初めて住んだアパートは、マドンナの住んでいたビルと同じ並びにあったが、高過ぎて3週間で引き払った。仕送りも止まり、ビザも無い私がその3週間で得たものは、ニューヨークで初めて知り合った友人=親切な日本人ピアニストMMさん。私の道は何もない所から開かれた。メトロポリタンオペラ座のオーボエの先生、ビザを取得するための学校も仕事も、彼女のお陰で繋がった。

忙しすぎて記憶がないほどの4年間も経ったころ、出会ったのが夫の小澤(オタフクソースの駐在員)。『ニューヨークメンズグリークラブ』そこの定期演奏会でオーボエを吹いたのが出会いの始まり。彼がコーラスに所属するようになったきっかけも、仕事の間違い電話からというから凄いご縁。彼の転勤でLAに住んで早20年。結局私の運は、演奏の仕事も生徒さんも全て人と音楽が運んで来てくれた。

そして今ここで、ハリウッド御用達、着物のマジシャン「大川敏子さん」との出会いも然り。写真を撮ってもらったり、着物合わせをしていただきながらの『Sweet Orange』という月刊紙のコラムインタビューを受けている。

「着物を着ること」この「高揚感」は、実際ステージに上がった時より凄い!

ご縁を大切に、これからも多くの方々が音楽で繋がれますように。そして音楽をもっと自由に楽しめる社会になりますように!

添付写真は次回の撮影本番の着物合わせ練習用、、、髪もメイク(マスクしているから分からないね)も決まってませんが。


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