見出し画像

備えなければ憂いのみ

『花も人も与えなければ育たない。求めるよりも与える育成を大切に。』が信条の柴マサヒトです。

私は常日頃から新人さんには成功して欲しいと考えており、新人さんと成功とチャンスについて語らうようにしているお節介なオジサンである。


ただ漠然と成功したいと思ってないか?

あの頃の私も常に上手く生きたい、成功したいと心の底で思っていた。でも、その為の手段や目的も見えず、ただただ息苦しい日々を懸命に生きていただけでした。
果ては、生きる意味を自問自答する自分に追い詰められていました。

まずは、私の考えを聞いてほしい

成功したい
 ⇒成功したいのは、幸せを感じたい
  ⇒幸せとは心の状態である
   ⇒幸せな時、心は充実している

結論、“この社会で充実した生活を営む事”が幸せになる手段である。

つまり、自分が充実している状態をどうしたら継続できるか分析する事が重要だ。正直、充実する為の方法は人それぞれで、趣味に没頭してる時、仕事で目標を達成した時、私生活が順風満帆な時、お給料がいっぱい貰えた時、接客業のあ姉さんにチヤホヤされている時等と十人十色だと思う。

ちなみに今の私が充実を感じるのは、仕事が順調な時と、困難な案件を無事に終えた瞬間である。つまり、常に仕事を順調に回しながら、困難な案件をこなしていなければ幸せな状態を維持することが出来ない仕事中毒者である。決して、オススメはできないがそんに悪いものではない。

成功を原始時代で考えてみよう。

あの時代、獲物を捕まえ、腹が満たされる事は充実しており、幸せな状態であっただろう。つまり、狩りの成功なくして幸せにはなれない。

成功する為には何が必要か。
まずは体力だ。怠けていては、獲物を捕まえる事は出来ない。

次にお目当ての獲物の想定だ。どこに生息して、どんな大きさで、どんな動きをする獲物なのか。これは様々な獲物を想定する事が望ましい。

最後に狩りの訓練だ。お目当ての獲物に出会えるとは限らないが、もしかしたら期待以上の獲物と遭遇できるチャンスもある。

ちなみに行動しないという選択はない。行動しなけければ獲物と遭遇するチャンスすらなく、食事抜きは決定である。



ところで、「こんなはずじゃなかった」と思うような経験はあるだろうか?

では、一体どんなはずだったのか?
大切な事は、●●になりたいといった成功のイメージ(目標)をしっかりと捉える事が重要だ。しっかりとイメージを持っていなければ、軌道修正すらできずに「こんなはずじゃなかった」となる。

これは受験でも同様のことが言える。

ただやみくもに自分の偏差値に適した学校へ進学という漠然な目標は好ましくない。
結果的に合格という成功を手にしても、いざ入学したら自分の想像していた学校生活には程遠い「こんなはずじゃなかった」が待っている可能性がある。

志望校に合格して、どんな生活を送りたいのか。家から近くて趣味やバイトの時間を作りたいや、興味のある分野の勉学に励みたい等である。
イメージがあれば、想像が変わったときに志望校の幅を拡げたり、距離を見直したりする軌道修正の条件が見えてくる。

そして、合格するためには何をすべきか。
目標だけ掲げ、一切の勉強をしないまま不合格となった時に「こんなはずじゃなかった」と言うなら、それこそ「一体どんなはずだったのか?」お話をお聞きしたい。

やはり、合格するためには適切な努力が欠かせない。
ただ、試験科目以外を勉強しても意味がないし、試験科目でも試験範囲外ばかり勉強しても意味がない。
適切な科目の適切な範囲を勉強して受験に備える必要がある。

つまり、幸せになる為には常日頃から成功という獲物を想定し、遭遇というチャンスを見逃さぬように意識し、チャンスから成功を獲得するためには常に備えるのだ。
これが成功の大原則である。

もしも、成功のイメージがなければ、目の前のチャンスに気づくことすらできずに見過ごしてしまうだろう。

という話をダラダラしてしまうので、新人さんには伝わりにくい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?