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「強い」と感じる人達に当てはまること。

いろんな人と直接関わってきたり、メディアを通じて見たりする中で、「強いなと感じる人達に当てはまる条件ってなんだろう?」と思った。

そもそも、強い人ほど我欲が溶けて無くなっているような気がしている。

ここで思う強い人とは、何かの実績がある人やSNSのフォロワー数が多い人ではなく、人間として強い人(もちろん、前者はすごいと思います)。要は、出会ったときにオーラがあったり、「自分」の純度が高かったりする人。

これまでに接してきた人の中で、要素として挙げるとすれば以下の3つになる。

死を体験している

生きていく中で、大きさは問わず、何かしらの挫折を味わって乗り越えた経験は誰でもあるだろう。
しかし、自然災害や不遇の出来事によって、身近な人が死んでしまったり、自分が死にかけたりした人の方が生命として強いと感じる。
その傾向として起業家が多い。何かしらの死を味わって自分なりに昇華し、ビジョンという言葉で体現しているからだと思う。

幸運にも身内にそのような災いは無い。あるとすれば、18歳と20歳のときに突如起きてしまった肺気胸。肺が萎み、「場合によっては死んでたかもしれませんね」と言われたことがあるが、そのときは自分が死ぬとは全くもって感じられなかったね。

葛藤や迷いと折り合いをつけている

生きてく中で、日常の些細な出来事から生じる葛藤や迷い。思考停止になって規範に従うか、頭を使って自分なりに決着を着け、行動に移せているか。くわえ、その行動に覚悟があるか。

あんまり気安く「覚悟」なんて言葉使ってはいけないと思うけど、やっぱり成功するかどうかの大きなポイント。

人生を他人に捧げている

何かしらの行為に対し、①嫌々やっている人、②自分が好きでやっている人、③一人でも多くの人に貢献しようと思っている人 の3区分で分けた場合、やはり③が圧倒的に人間として強い。

昨今、②の風潮が流行っているものの、如何に②→③に昇華できるか。そのためには、先ほど挙げた「死の体験」と「折り合い」が済んでいるかどうかがカギ(もしかすると、鶏と卵の関係かもしれないけどね)。

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【余談】

書いているうちに、上記とは別に2つ浮かんだ。「」と「弱さを知っているか」。

前者に関しては、目は口ほどに物を言う を自分としては結構信じている。また、信頼している編入予備校のチューターに会うたびに、自分の目の状態から物事が上手くいっているかどうか把握されているから、強ち間違っていないと思う。


後者に関しては、一見すると矛盾しているかもしれないが、強い人ほどいろんな人の文脈を理解(ないしは把握)している。それを経験するのは、直接的でも間接的でも構わない。

例えば、間接的に味わいたいのなら本とか映画。特に最近、「死」に関する本が書店に並んでいる気がするのは自分だけかな?

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これら3つの要素以外に何かあればコメントしていただけると嬉しいです。

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