歌詞考察や歌詞解釈が大好きな人は「クロスワードパズルを解くおじいちゃん」に似ている

歌詞考察や歌詞解釈が大好きな人はクロスワードパズルを解くおじいちゃんと似ている。言葉が埋まりそうな空白を用意してもらい「言葉や答えを見つけた快感」を疑似体験させてくれるゲームという点で同じではないだろうか

「私は人より頭が良い」「何か特別だ」ということを示すためにTwitterやYoutubeコメント上で歌詞を考察するが、適度に答えられそうな問題を他者に用意してもらい達成感をもらうだけ

自発的で特別な行為にみえて実際は受動的に問題を解かせてもらってるに過ぎない。小学生には高校生の問題を出さないように、レベルに合った問題集を用意してもらい学年何位という順位をもらって喜ぶことを義務教育が終わってからも続けているようなものだ


特に最悪なのが答えを用意していない作詞家が作った曲を解釈する場合には迷路に踏み込み悪戯に再生回数を重ねることになってしまう。「そういう解釈もある...作った本人にも思いつきませんでした」「歌詞の解釈に答えはない」とか優越感を逆撫でられ迷宮入り

きつい言い方になってしまうが何かを生み出したり、芸術的な行為にならない上アーティストの掌で転がされるだけである。断片的な言葉を意味ありげに組み上げて歌詞にすると行間を妄想し考察したい人がいることを自覚しながら作品に組み込むアーティストを悪魔的だなとも思ってしまう

人生は時期によって退屈でうまくいかない時があるだろう。その隙間や停滞感をクロスワードパズルや陰謀論にハマり答えを出すことで何かが進んだ気持ちなることは可能だ。しかし実際には自らが何かを生み出したり、前進しているわけではない。娯楽として割り切って楽しむ分には問題ない

ただ歌詞考察をすることで人生を進めた気になれるけど得るものは無いと思う。


歌詞について考察・分析するのも素晴らしいことだと思うが、音楽なのだからぜひ音についても考察してもらいたい

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