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原因を知りたいと思うのは②

前回は「こころの問題を脳の問題にすり替えないでほしい」と考えていた私が、長い間、精神医療の現場で働くうちに、その考えが変わっていったということについて書きました。

たくさんの患者さんやそのご家族と出会って、その数だけたくさんの人生や生活があることに気づかされました。家族の中でも、とりわけ患者さんの母親は「私の育て方のせいで」と強く感じられている方が多いように思います。中には、配偶者や親類から「お前の育て方のせいだ」という心無い言葉をぶつけられて、自責の念を強くされている方も多く見受けられます。

現場で家族支援にも長くたずさわってきて感じるのは、発症のメインとなる要因は「育て方のせいではない」ということです。
※これについては様々な見解があるかと思いますが、ここでは心身の虐待のような、育て方の範ちゅうとは呼べない例を除いて、書かせていただいています。

「育て方ではないとすると、じゃあ、本人の問題か?」となるのですが、こころの問題を“根性論“とか“性格論”とか、そういう風にとらえている人にもたくさん出会いました。
けれど、統合失調症もうつ病も“根性”でどうにかなるものではありません。
それは「気のせいだ」と言っているのと同じなんですね。
この考え方では、ご本人の自責の念が強くなるだけです。

これらは「花粉症になったのは、お前の育て方が悪かったからだ」とか、「花粉症なんて気にしなかったら治る」とか、そんな風に言っているようなものだ。
そう例えると、そのおかしさ(変な感じ)が伝わるでしょうか。

そこで私が考えたのは、花粉症と同じような理屈で説明できないかということです。
※私が考えたといっても発案者ではありません。さまざまな知見と患者さんのお話から学んだことをミックスして、分かりやすく伝える術を考えた産物としてお聞きください。

花粉症の原因や対処の説明にも様々な工夫がなされていますが、有名なものの一つにバケツを用いたものがあります。どこかで一度は聞かれたことがあるのではないでしょうか。

自分の身体の中に花粉を溜められるバケツがあって、そのバケツの容量を超えると、症状が出るというような、アレです。
で、(厳密に言うと違うのですが)花粉症の薬はそのバケツの容量をちょっと大きくしてくれるというようなイメージです。

ここでいうバケツというのは何でしょうか。

いわゆる免疫のバケツですね。免疫が正常に作用する範ちゅうに花粉の量が収まっていれば、免疫機能は暴走しないというわけです。

ただこのバケツ、身体のコンディションによって大きくなったり小さくなったりします。しかも、いったんあふれることを覚えると、あふれやすくなるんですよね。まるで一部が欠けてしまったバケツみたいに。

で、これを精神疾患に置き換えて例えるとどうか、ということです(精神疾患にもさまざまなものがあるので、ひとくくりにして説明することが無理なことは承知の上で)。

花粉=ストレスとした場合、自分の中にストレスを溜めるバケツがあるとします。そのバケツの容量を超えるストレスがやって来ると、精神症状が出てくるという具合です。

で、ここで気になるのは、症状が出る人/出ない人の差です。

生きている限り、花粉も浴びるし、ストレスもある。
なのに、花粉症になる人/精神疾患になる人と、そうならない人がいるのはなぜ?ということですね。

問題はバケツの大きさという話でしたね。
じゃあ、バケツの大きさは個人差があるのか?というと「あります」ということなんですよね。
これは個人差でもあり、個体差でもあるというのが、私の考えです。

個体差というのは、生まれつきその人が持っているバケツの大きさです。
一方、個人差というのは、その人の成長過程や生活環境によって影響を受けるバケツの大きさです。たとえば、睡眠時間が短いとか、疲労が溜まっているとか、そういう場合、本来、その人が持っている容量よりもバケツは小さくなります。わりと有名なのは、お酒を飲むと花粉症の症状がひどくなる、というやつですね。あふれやすくなります。

ここでいう個人差(その人の成長過程や生活環境によって影響を受ける部分)というのは比較的理解しやすいかと思いますが、じゃあ個体差(生まれつきその人が持っている部分)をどう理解したらいいのかというと、そこには体質(遺伝的傾向やなりやすさ)みたいなものが関わっているのだろう、と。
この“体質”みたいなものが、脳科学の話とつながった時、私の中で腑に落ちるものがあったんですね。

別の例を挙げると、私はお酒が飲めません。飲むと気分が悪くなります。
昔はこれも根性論だったわけです。「慣れたら飲めるようになる」、「みんなそういう(気分悪くなる)のを通り過ぎて、飲めるようになった」的なことを言われ、無理に飲まされました。
でも「無理なもんはムリ」というのが、最近はずいぶん浸透してきて、無理にお酒に付き合わされることも減りました。

これは私の体内にあるアルコール分解酵素の問題です。根性の話や経験不足の話ではありません。で、アルコール分解酵素の問題とは何か?というと、個体差であり、体質(遺伝的傾向やなりやすさ)なんですね。

精神疾患もそのように理解するほうがしっくりくる、という感じに私の中で徐々にシフトしていきました。

この「個体差×個人差」は、「体質×環境」とざっくり言い換えることができるかもしれません。

精神疾患が個体差、つまり体質がベースだとすると、「それってどうしようもないと言われている気がする」と、この表現に傷つく方もいらっしゃるかもしれません。もし、そんな風な印象を与えてしまったら、すみません。

ここで私が言いたかったのは、親の育て方の問題とか、個人の根性(気合や努力)の問題ではないということです。

そして、もう一つ大切なことは、薬や環境を調整することによって、バケツの容量を増やすことができるという点です。この点においては「どうしようもないことはない」とお伝えしたいです。

欧米人に比べると、日本人の半数近くがアルコールの分解酵素が少ないということが世の中に周知されたことで、無理にお酒を飲まされる人が減ったように、科学的な要因が世の中に周知されることで、他者からの無理解や暴言、良かれと思ってするお節介に傷つく人が少しでも減ることを願って、このような記事を書いています。

(つづく)

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