記録する時は「良い/悪い」の判断を横に置く
自分を記録する時に大切なのは
「良い/悪い」の判断を横に置いておくことです。
これが言うは易し、行うは難しなのではないか、と思います。
自分のトリセツ帖も含め、さまざまな記録のスタイルがあります。
自分に合うもの、合わないもの…いろいろあるかと思いますが
それらを「良い/悪い」を手放さないまま活用しようとすると
結局は同じところでつまづくのではないか、という気がします。
たとえば、日本人には多いんじゃないかと勝手に思っているのですが
(偏見だったらすみません)、
記録と言いつつ反省文のようなことばかり綴っているとか。
「〇〇できなかった。こうすればいいと分かっているのにできない」とか
「今日も△△してしまった」とか。
あるいは逆に
ネガティブなことを言葉にすると良くないという想いが強すぎて
ポジティブワードばかり綴ってしまうということもあるような気がします。
これはどちらも同じコインの裏表みたいなもので
いずれ疲れて続かなくなってしまうのではないかと思います。
こころは常に振り子なので
ネガティブな時にはポジティブノートが開けないし
ポジティブな時にはネガティブノートに書くことが思い浮かばない。
そうなってくると
要は記録の仕様の問題ではない?
という一つの疑問がここで浮かび上がります。
私の話で恐縮ですが、今週の前半、思いがけない訃報があり
ここ数日、すべての予定をキャンセルして、泊りがけで法要に行っていました。
今朝、自宅に帰ってきて、仕事をしようとパソコンを開くのですが、
しなきゃいけないことが泡のように浮かんでは消え
その度にその消えそうな泡を掴まんとして、手を伸ばすので
結局、ひとつの作業が続かずにふわふわと漂っています。
まあ、ひと言でいえば仕事にならない(笑)。
そしてnoteに来ているという。
で、この状態を「良い/悪い」で記録しないという風なことが思い浮かんだんですね。
私は、突然のスケジュール変更で疲れている。
おそらく自分が思っている以上に。
しかも遠距離を移動した疲れだけでなく
身内の不幸というメンタルの疲労もあるわけです。
これまた、自分が思っている以上に。
それでも、まだ平日だし、
休んだ分、やらないといけないことも溜まっている(はず)。
そう思って、デスクの前に座っているわけです。
ここで、記録することは
「私は心身が疲れていると、ふわふわと漂うように仕事をするんだな」
という自分の一つの特徴です。
そして、次に来るのが
「ふわふわと漂うようであっても仕事を続ける」か
「今日は思い切って休む」かの選択になるわけですが
これについても、良い/悪いといった正解があるわけではありません。
選んだ結果がどうだったか。
仕事を続けたら、どうなったか。
思い切って休んだらどうなったか。
それが自分を知る、一つの指標になるわけです。
そうすると今後、もし
「なんだか今日は集中できないし、ふわふわ漂うような仕事になってるな」
そう感じることが出てきた時にどうすればいいか参考にできる。
「良い/悪い」を手放すというのは、たぶんそういうことです。
リハビリ出勤という言葉がありますが
その期間をもしそんな風に使えたとしたら…なんだか良いなと思うのですが
一方で、職場というものは
それがそんなに容易でない場であることも理解できる部分があり
…いやはや難しいですね。
話をもとに戻すと
自分の記録をつける時は「良い/悪い」の判断をちょっと横に置いて
ありのままを書いてみる。
原因が分からなかったら、別に深掘りする必要もありません。
「分からない」とだけ書いておけばいい。
「分からない」の記録もたくさん集まれば、いずれぼんやりとでも
共通する何かが見えてくるかもしれません。
「分からない」のが不安だから、何かと結び付けたい時もあります。
そんな時は
「私自身、今日の状態と何かと結び付けたがっているので、とりあえず今日は◇◇と結びつけておく(仮)」とそのまま書いちゃっていいんじゃないかなと思います。
そのまま書けばいいということが分かって、そうできるようになってくると
きっと自分の記録は続きやすくなるし
いずれは続くか続かないかということに対する「良い/悪い」みたいなものさえ薄らいでいくような気がします。
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