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読書『死ぬまで生きる日記』土門蘭

土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』を読みました。
読み終えるのがもったいなくて「今日はここまで」と自分にブレーキをかける読書体験は久しぶりでした。

「死にたい気持ち」は極めて個人的なもので
けっして他者と分かち合うことができないものだろうと思うのです。
むしろ「分かち合える」ほうが、どことなくコワいと思えてしまうくらい。
「孤独」を他者と分かち合えないのと、どこか似ている気もします。

若かりし頃、「死にたいと思ったことがない人など、世の中にいるのだろうか」と真剣に思っていました。
いや、私の場合は「死にたい」というよりも「消えたい」に近かった気がするのですが。
まあ、この三次元的な世界から消えるということは、死ぬということとほぼ同義な気もするのですけれど。
でも、やっぱり「消えたい」だったので、見た目も名前もすっかり変えて、見知らぬ街で別人として暮らすことをわりと真剣に夢想している時期もありましたね。

わりとリアルに考えた末、
この三次元の世界でどこまで行っても「自分」から逃れることは無理なのだ
と達観(絶望?)してからは
生きている限り(死ぬまで)は生きていくしかないのだ
と訳の分からない開き直りの境地に達しました。

今日、ご紹介する本『死ぬまで生きる日記』は
死にたい気持ちに向き合うという非常に個人的な物語であるにもかかわらず、読み進めていくうちに
あの頃の「自分」がほのかに温められる一冊でした。

「死にたい気持ち」に限らず、
自分の中で持て余してしまう気持ちや感情がある人に
ぜひお勧めしたい一冊です。
他者と対話することや書くことで、自分自身と深くつながる道程がていねいに描写されています。

土門さん、この本を世に送り出してくださって、ありがとうございます。
なんかうまく紹介出来なくて、すみません。

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