まずは興味を持つことが大切だという話
こんばんは。つちいじりです。
明日は、小学校1年生の長女が田植え実習とのことだ。
1年生から実際に田植えの体験ができるというのはうらやましい限りだ。
都会を飛び出して泥んこになるという体験だけでも貴重だ。
その上、米作りまでできるなんて贅沢な食育だ。
しかし、プロからしたら手植えの米作りはちょっと違うんだよな~と思うところもあるだろう。
その通りだ。
米の取引価格は長期トレンドで右肩下がりだ。専業農家からすれば死活問題でる。
主な原因は若い世代の食の西洋化だと言われている。
わたしも朝はパン食が多い。手軽で時間がかからない。
典型的な共働き家庭である。
収量が減っているわけではなく、消費量が減っているのだ。
供給>需要になると必然的に価格が下がる。
そのために政府は減反政策を打ち出し、主食用の米の生産調整をして価格を維持しようとしている。
非常に難しい問題だ。
消費者の目線:パン食はやめられない、米もほどほどに食べたい。でもお米が高すぎるのも困る。
生産者の目線:減反政策のためたくさんつくることができず、収入が下がる。たくさん作れるようになると今度は単価が下がる。
一方を立てれば、もう一方が立たず。
この状況に対して大人は無力である。
Producer(生産者) + Consumer(消費者)を掛け合わせたProsumer(生産消費者)という言葉が生まれてから40年以上経っている。
この言葉は今もマーケティングトレンドとして確からしさを持っているが、米作りにおいては成り立ちにくい。
日本人の米消費量は50年前に比べて半減しているが、それでも一人当たり年間50キログラムほど食べている。
これを自分たちで作るというのは場所も含めて一苦労だ。
ほとんどの人にとって米は相変わらず程よい価格で買うものなのである。
簡単に解決できない問題だからこそ、目をつぶってはいけない。
娘にはせめて米作りがどういうものなのかその大変さだけでも知ってもらいたい。あわよくば、楽しい思い出として心に刻んでもらいたい。
そして、明日の夕食で白米を食べて何かを感じてもらえれば父はうれしい。
いつかこの思い出が、この問題の根本解決を可能にするかもしれない。
未来ある子どもたちに託そうじゃないか。
ではまた。
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