愛着障害回復の決め手_1/230923
人生で一番大きな課題だった愛着障害を、2年かけて集中的にどうにか、かなり回復できた話
私もかなり悩んで調べまくったのでどなたかの参考になればと残します
今言えるのは懇切丁寧に導いてくれる、教えてくれる誰かに出会えると少しずつ良くなるということ
それがハードモードだし、他人に親の代わりはさせてはいけないのだけど
頼れなくなる育ち方の我々
愛着障害は頼ることを知らない
親に教えてもらってないから、
親が頼りにならないから、
幼い頃から身も心も自分で面倒見なければならない
そんな人も多いはずだ
親に面倒を見てもらわなければならない大切な子供時代に、それを知らない子供の負担は悪い種となり、大人になって毒々しく花開いてしまう。
そういうわけで頼れない、頼り方がわからない、そんな人間だった
性格上、そういう生い立ち上、そういう人は沢山いる
それを治す方法は懇切丁寧にそれを教えてくれる人と出会うしかない、というのが我々からしたらハードモードだ
それが友達だったり、仲間だったりとそれぞれだけど、私は男性だった
私が頼ることを知り、愛着障害の大きな回復になったエピソードをひとつ残そうと思う
▼懇切丁寧にしてくれた方々の話▼
具合が悪い=悪、で育つ
子供の頃、どんなに体調が悪くても「なんで具合悪いんだ」となぜか責められ、看病もなく、尚且つ病院にも連れて行ってもらえなかった
連れて行ってもらえる時は数日寝込んだ後か、免許を持っている父親の気が向いた時のみ
それ以外は「夜中に起こすな!」とブチ切れる声が聴こえ、そしてなぜか母は「パパああ言ってるから寝とき〜」で終わる
なので一人暮らしをして保険証が手に入って「これでいつでも病院に行ける!」とすごく嬉しくなり、以降病院にはすぐかかるようになった。
家を出るまでは風邪を引いたりすると市販薬しかなく、しかも扁桃腺肥大なので市販薬では効かない。
毎回一週間は寝込んだので時間が無駄だと気づいたのだ。
しかし母は今でも「この子はすぐ病院行く!」となんでか機嫌が悪い。
理由は単純、母親が病院嫌いだからだ
自分で治したいから行かない=娘(私)も可哀想だから行かなくて良い
「お、おう…笑」と今は笑えるけれど、昔は本当に辛かった。
いじめで体調を崩して不登校になった6歳の私に「お前は社会のお荷物だ!」と怒鳴って殴って蹴る母は、自分の不安をそうして本人にぶつけてしまうらしい。
それがわかったのは最近のこと。
▼それを愛猫にしてしまう母タン▼
※ 少し動物虐待要素あるので読んで具合悪くなる人はやめといてね💜
家と学校しか居場所が無い子供に、それらを奪ったらいけない
これ以外の「どうしても忘れられないショックな出来事」のおかげで「誰も信じられないし、自分で全てやらなくてはいけない」と決意したのもこの頃だった。
なので体調を崩したら嫌われる、が刷り込まれている。
懇切丁寧
それまでの男性にも懇切丁寧にずっと「体調を崩すことは悪いことではない」と説得されていた
ある人は「そうなった時、人を拒絶するんだな、保留は」と言われて「私が拒絶していたのか」とわかった。
さすが精神科医である。
最初は「そんなわけない」と言っていたけど、何回かそういう体調不良を目の前で起こしてしまって、その度に新世界を体験したのだ。
ふつーにみんな看病してくれるし、怒らないし責めないし、話も聞いてくれる
それが重なり、言葉でも説得されると段々「あれ?私の認識が間違ってたっぽい?」となってくる。
他にもそういうことが何度も重なり、あんまり大切にされる(多分相手としては当たり前なのでそんな特別ではないのだろうが)ので「あれ?大丈夫そうかも」と思い始める。
その成功体験が重なって「具合悪いの大丈夫なら他なんて簡単に頼れるじゃん」と実感し始め、それから人に簡単なことは頼れるようになってきた。
▼その2へつづく▼
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