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エッセイ 世界地図は変わってゆく

 子どもの頃から、世界地図を見るのが好きだった。世界のほとんどの国名を覚え、大体は首都名と国旗も覚え、主要都市がだいたいどこにあるかも覚えた。例外はカリブ海とオセアニアの小さい島国くらいだった。
 これは一生の財産となって、海外の小説や映画を楽しむ時にも、国際問題からスポーツまでのニュースを見る時にも、歴史の勉強をする時にも、およそありとあらゆる場面で、ベースとなる知識として僕を支えてくれた。

 いつ頃からだろうか。両親をはじめ周りの大人たちが、世界の地理について、小学生である自分より全然知識が少ないことを意識するようになった。
 ただ僕は物語だけでなく色々な本をよく読む子どもであったため、大人の知らないことを自分が知っているということには慣れていた。それでたまに少々の優越感を抱く以外には、さほど問題はなかった。時々目にしたり耳にしたりした「特にアフリカは良く分からない」という大人たちの言葉は、少しばかり印象に残っていた。

 1990年代、世界は大きく変わった。ソヴィエト連邦が崩壊し、ユーゴスラビア連邦は構成国同士での戦争に発展した。他の東欧の国々でも、社会主義体制を示す「人民共和国」が国名から外されたり、国旗から社会主義のシンボルが取り除かれたりした。
 ソ連が崩壊した1991年から2021年までの30年間で、国の分裂、独立、少数だが統合があり、体制の変化や名称の見直しに伴う国名や国旗の変更、遷都があり、以前から存在していた国を日本が承認して国扱いするケースもあった。

 そしてある時、気づいたのだ。自分はカザフスタンの首都がアルマトイかタシケントかわからない、と。日本での名称がグルジアからジョージアに変わった国の首都がトビリシなのはかろうじて認識しているけれど、アルメニアとアゼルバイジャンの首都はわからない。国旗もわからない。旧ユーゴスラビアだと、セルビアとクロアチアの首都は分かるけれど、他4か国は覚えていない。
 子どもの頃のようにはいろいろな物事を覚えられないという、当たり前の事実が目の前に突き付けられる。そう、これらの自分の知らない知識は、全く目にしたことがないわけではなく、何度も目にしながら頭の中に残らなかった知識なのだ。

 そして、はたと思い当たる。「特にアフリカは良く分からない」という大人たちの言葉。
 1960年は「アフリカの年」と呼ばれる。この年、アフリカではソ連とユーゴスラヴィアの構成国と同じくらいの数の国々が独立した。そしてアフリカではその後も西欧諸国の植民地が独立国として新たに歩み始めていった。
 つまりそれ以前に学校教育を終えている当時の大人たちにとって、アフリカは大人になってからできた国ばかりだったのだ。

 「ザ・カンニング IQ=0」というフランスのコメディ映画の中で、退職後に向学心に燃えて大学受験を目指し、舞台となる予備校に通うようになる老人が登場する。彼は登場人物の中で唯一真面目に勉強する生徒だが、予備校の講師に怒られてしまう。「ベルギー領コンゴはもうありません。もっと新しい参考書を使いなさい」と。
 このくだり、今となってはもの悲しくなりこそすれ、少しも笑える気がしない。

 小学生の頃の自分を省みて、当時優越感をもって見ていた大人たちに、申し訳ない気になったりもする。

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