自由研究は本当の勉強の入り口

 ご注意・この文章は僕の主観的な内容です。強い表現もありますので、場合によってはご不快にしてしまうこともあるかもしれません。

 本日、娘が自由研究のまとめ方がわからないと、うんうん唸っておりました。自由研究は苦手だと頭を抱える娘に「大学になったら、全部が自由研究だぞ」と言ったら、悲鳴をあげました。

 小学校の自由研究は、僕が小学生の頃には何だかよくわからないめんどくさいもの、という認識でした。親にしても自由研究が大事、という認識はなかったと思います。今から三十年余り前にはその意義が過小評価されていた自由研究ですが、今の学校での扱いはどうなっているのでしょうか。
 大学4年の過程を終え、その後も二十年以上が経過した今になって思うのは、自由研究は当時思っていたのより、ずっと大事な勉強だったのだなということです。以前「歴史は面白い?つまらない?」という記事にも書きましたが、一問一答で答えられる勉強というのは、本当の勉強をするための準備に過ぎないと感じています。自分でテーマを見つけ、それに必要な調べものをして、テーマに沿った結論を導く。それを他の人に伝えるため構成を考え、表現を工夫する。それは大学での発表だけでなく、社会に出て仕事をしていく上でも必要な技術です。このことについて無自覚だと、一生懸命勉強しているのに報われないということになりかねません。現に「大学に入るための勉強」と大学での勉強の違いに対応できずに、大学に来なくなってしまった人もいました。
 あさりよしとお氏の漫画「なつのロケット」には、実験や実習ばかりで座学をしない理科教師に反発する生徒が登場します。彼は教科書を使わない授業に「受験の時に困る」と反発し、夏休みの前には自由研究の用意を強調する教師に、「それってどうしてもやらなきゃだめなんですか」とくってかかります。
 漫画ではない現実、それも受験戦争と言われた僕の時代ではなく現代で、このような点数を過剰に重視する人がどの程度いるかはわかりません。ですが一定数存在するだろうとは思います。それに大学受験が近い高校生や予備校生は、模試の点数以外考える余裕がないかもしれませんが、保護者や教師がテストの点数だけを見ていたら、これは危険だと思います。
 大学で道を見失ってドロップアウトするのはこういう「受験勉強」しかしてこなかった人なのではないかと思えるからです。そして「良い大学」とされる大学であるほど、大学に入るための勉強と大学での勉強にギャップが大きいでしょう。

 僕は極論、自分の子どもたちには「受験勉強なんかするな。勉強をしろ」と言いたいです。しかし実際には入試の問題にはコツがあったりするので、そこまで思いきったことは言えません。でもできるなら大学入学を目的にしてしまうことのないよう、何のために大学に行き、大学で何を学ぶのかを少しだけでも意識しながら勉強を進めてほしいと思います。

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