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『どくヤン!』第6話「共通の話題」振り返り

令和最初にしておそらく最後の読書×ヤンキーギャグマンガ『どくヤン!』の協力・仲真による各話振り返りテキスト第六弾です。

「そもそもどういうマンガ?」という方への『どくヤン!』紹介記事
コミックDAYS『どくヤン!』第6話リンク
(ブラウザからは有料公開になっていますが、コミックDAYSのスマートフォンアプリなら無料チケットでご覧いただけます)
・過去の振り返り:第1話「どくヤン」第2話「こころ」第3話「ドッカン」第4話「派閥」第5話「箴言狩り」
・『どくヤン!』単行本リンク:第1巻第2巻
第3巻(電子のみ)

『どくヤン!』は、入試フリーでお金もかからず、本さえ読んでいればどんな不良でも存在を許される私立毘武輪凰(ビブリオ)高校を舞台にするギャグマンガ。

小銭をかぞえる

今回は、そんな学校と知らずに入ってしまった読書好きではない地味な少年・野辺雷蔵(のべ・らいぞう)と私小説をこよなく愛する私小説ヤンキー・獅翔雪太(ししょう・せつた)が二人で下校するシーンから始まります。

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野辺の何気ない一言にテンションが上がる獅翔。しかし……

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シャバ僧野辺に伝わるはずもなし……! 

二人目登場!

ところが、二人の話に耳をそばだてていた謎の男が……!

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前回のノリで言うと、後ろから襲いかかってくるところですが、そこにいたのは、どうも獅翔に好意的な様子の私小説ヤンキー・域狭間刻(いきざま・きざむ)であった!

後で触れますが、「根が私小説好きにできててよ」は西村賢太オマージュです。っていうか、1ジャンル1ヤンキーじゃなかったんだ感……。質量保存の法則はどうなっているんだ!

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あと、「どこで負ったの?」みたいな傷跡を持つキャラクターがいるのはヤンキーマンガあるあるですが、域狭間を改めて見てみると獣害事件本ヤンキーみもありますね。

そして翌日、早速意気投合している二人を見かける野辺。仲よさげな二人の様子に戸惑いを覚える野辺。

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獅翔はこれでミーハーなところがあったりする高校生なので、私小説の話ができる友ができた勢いで野辺に無茶な質問を。『小銭をかぞえる』がわからないやつにする質問じゃない!

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当然答えられるはずもない野辺に憤る域狭間。「会話が濁る」って凄いですよね。私は「こんなこと言われるくらいなら人とコミュニケートしたくない!」と思うくらい強烈な一言だなと思いました。

あと、濁る境界線が気になりますね。ヤングマガジン系ヤンキーマンガの話で盛り上がっているところに「俺もヤンキーマンガ好きなんだよね!」とチャンピオン系ヤンキーマンガの話題で割り込んだら……とか。まあ、このくらいの話だと、受け取る側の感じ方に依る部分が大きいか。

自らの甘えに気づく野辺

ともあれ、その後も獅翔に話しかけようとしても域狭間のオールコートマンツーマンプレスに阻まれ孤立する野辺。

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しかし、彼はふと気づきます。そもそも“読書上等”の高校に入りながら、ロクに本を読んでいない自分が孤立していないことが特別であったことに!

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獅翔が私小説好きなことをわかっていながら、西村賢太作品も上林暁作品も(多分)読んでいなかった己を恥じた野辺は、獅翔のためにできることはないかと考えます。

そんな野辺の目に飛び込んできたのは……

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「速読研究会」! そして、その主は読沢翼(よみざわ・つばさ)!! 無意志的記憶に導かれし強いヒキです。

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「秒速で1億冊読む男」(?)読沢にかかれば、プルースト『失われた時を求めて』――作中で読まれているのは全13巻の集英社文庫版――も秒殺。

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この感想……間違いなく読めてますね。

しかし3万円はジョークなのか本気なのか。文庫化されている西村賢太作品全部買えそうな金額だけど。ちなみに、『失われた時を求めて』の集英社文庫版を全巻買うと約1万5千円。角田光代・芳川泰久編訳の『失われた時を求めて 全一冊』という本もあったりします。

あと、今回第6話を見返して気になったのが、上画像左下の獅翔と域狭間のパーソナルスペースもクソもないゼロ距離トークっぷり。夫婦同士・パートナー同士のアーティストのジャケットでももう少し距離開いてると思う。

そんな仲睦まじい二人に割って入る男が……!

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その正体はもちろん野辺。

サイクロン読書術

速読術を身につけたことで、まだ読んでいない本であってもその場で語れる――という恐ろしいライフハック!

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上手くいけば……の話ですが。

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ということで、野辺の速読術の結末はコミックDAYSでご覧ください! スマートフォンアプリをご利用いただければ、待てば無料のチケット制で無料でお読みいただけます。

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「今週の一冊」は、ここまで紹介したシーンには未登場の田山花袋の『蒲団』。青空文庫でも公開中。同作がオチに使われております。

第6話余談①

この話はかなりドッカン(読書感想文)……ならぬ突貫でつくられたものでした。

この後、第7話と第8話で、毘武輪凰高校内の購買と“裏購買”なるヤバいゾーンを舞台にしたエピソードが展開されますが、本来この2話が6・7話となる予定であったのです。

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左近さんの第6話シナリオ初稿(現第7話)。

すでに6話(購買編)の原稿も完成し、7話(裏購買編)のシナリオもネームになり、くらいの時期だったか、カミムラさんより「野辺と獅翔の友情が深まるような回を先にしたい」という相談が。そんな話をやりたい、という話自体は前からあって、第8話としてシナリオはできていた――くらいのタイミングだったかと思います。

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左近さんの第8話シナリオ初稿(これが第6話に)。域狭間の名字がこの時点では「域佐間」。

裏購買編がかなりおかしい「よほど絆が深くないとここまで付き合わないだろう」的な内容で、この頃は進行に余裕があったこともあり、左近さんも私も、たしかにこのエピソードが先のほうがいい、と納得して現在の話順になりました。

第6話余談②

第8話を第6話として公開する、となると、このエピソード自体の制作スケジュールはタイトに。

実はこのエピソード、野辺と獅翔にブロマンスみというか、ちゃんと絆がある感じというか、そんな話にすることに加えて、元々は「私小説の話をする」という目的もありました。

『どくヤン!』を全話お読みいただいている方は、初の“ジャンル回”とでもいうエピソードは第11話「SF警察」だと思われているかもしれません(下記Twitterでも公開中)。

しかし、野辺を除くと、読書ヤンキーの中では主人公格の獅翔を取り上げるのが先ではないかと、カミムラさんが親しんでいるSF回もいつかやるつもりではありましたが、ここで私小説回的な内容で、なおかつ野辺との絆を深めるような回にしたいと考えていました。

その際に、カミムラさんは小谷野敦さんの『私小説のすすめ』を読んで使えそうなポイントをまとめてくれたりも。

その後、『どくやん!』第2巻を小谷野さんが読んでくださり、Amazonレビューを書いてくださったのは、厳しい内容でしたが嬉しかった。ご指摘の内容はその通りですし。

左近さんも私も私小説ネタを調べてみて、個人的には、通俗小説を書くようになった宮内寒弥が、酔った中山義秀に白刃を振りかざしながら「私小説を書いていたくせになぜ通俗小説を書くようになった!」とキレられ、「食えないから」と答えたら「食えないなら死ねばいい!」と言われたというエピソードが非常に刺さり、作中に取り入れたい思いがありました。私自身、ギャグマンガという売れにくいジャンルと、私小説を重ねて見ているところもあったりして。

カミムラさんがまとめてくださった内容も興味深く、もう少し余裕があればそれらを練り込んで、傍目に「私小説回」と呼ばれる内容になっていた可能性もあると思うのですが、『小銭をかぞえる』と『蒲団』の話がすでにあった左近さんのシナリオ初稿も面白かったため、それをほぼ活かした私小説ネタベースの友情回、的な現在の形に落ち着きました。

第6話余談③

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速読研究会の読沢翼はシナリオ初稿からこの名前。元ネタは言うまでもなく与沢翼さんです。

左近さんとしては、「秒で1億冊読む」感からの命名でビジュアル等は特に意識していなかったそうなのですが、最終的に(こう言っては失礼だが)怪しさ満点だった頃の与沢さんをイメージしたビジュアルになりました。

昔は知っていて、最近の与沢さんは知らない、という方も結構いると思うのですが、与沢さんは一度会社を潰してから、投資家として復活し、今はジムで体を鍛える生活で健康的なビジュアルになっています(今は下の写真よりは大分肉付きがいいけど主に筋肉での増量と見ます)。

この体型だと怪しさが出ない気がするので、カミムラさんは太めの読沢にしたのだと思われます。

その上で、カミムラさんがシナリオではなかった部分として加えたのが、

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野辺の最終決戦への同行でした。シナリオ段階では、サイクロン速読術を速読研究会内で指南し、野辺は一人で獅翔と域狭間の元に向かっていた。

しかし、太らせておいてなんですが、そのままでは読沢翼があまりにも情報商材ビジネスの人っぽい。そこでカミムラさんは、野辺に同行する形にしてネームを切ったのでした。こうなると、たとえ3万円はとっていたとしても、面倒見のよさが感じられ、少なくとも単なる詐欺師ではない感じが出る。第26話「本代がかさむ問題」(まだコミックDAYSでは未公開。10月15日に有料公開予定)でまさかの再登場を果たした読沢ですが、この変更がなかったら、26話でその姿を見ることもなかった気がします。

“あらゆる書物を称揚する”(前回振り返り参照)『どくヤン!』にとっては速読本も立派な本。速読術を与えた野辺のアフターケアをしていなかったら、その愛好者の好感度が下がるだけ、という描写になっていたかもしれないので、非常に良い変更だったのではないでしょうか。ちなみに第26回では、前回振り返りで触れたビジネス書ヤンキーもまさかのリボーンを果たしています。

note版「今週の一冊」その6
『どうで死ぬ身の一踊り』

元々私小説回を意識していたこともあり、左近さんが愛する西村賢太作品『小銭をかぞえる』が冒頭から登場する今回。『どうで死ぬ身の一踊り』はそんな西村賢太の第一作品集で、単行本と最初の文庫化は『どくヤン!』と同じ講談社。上記リンクは昨年3度目の復刊となったKADOKAWA版のページです。

私が持っているのは多分講談社文庫版。しかし、なんとなく同作について書こうと思ってはいたものの、本の整理がまったくできておらず、自分のを探すのは大変なので図書館で流し読みしてきたら、己の記憶のいい加減さに驚くことになりました。ファーストインパクトとして私の中に刻まれていた西村ムーヴは、「女の発言に切れてナポリタンを壁に投げつける」のはずであった。ところが、タイトル作「どうで死ぬ身の一踊り」を久々に見てみると、カツカレーだし、壁に投げてないし……。自分の記憶力のなさに絶望。

食べかけのカツカレーを流しに捨てて、鍋の中にあったカレーも全部捨てる。そこでカレーがはねたのか、同棲相手に「壁紙がシミになる」と早く始末しろと切れるシーンがあるので、壁に投げるというイメージはここから来ている模様。ナポリタンは、流しに捨てる前にチキンライスを彼女が作るシーンからケチャップ繋がりでの連想、あと、氏の日記『一私小説書きの日乗』シリーズから来ているのだろうか。西村ファンにはおなじみの鶯谷「信濃路」は左近さんと一緒に行ったことも何度かあり、ナポリタンを食べたこともあります。

ともあれ、そんなカツカレーの場面は紛うかたなきDVシーンだけれども、自分がカツカレーを食べる様子が「豚みたい」と言われたら、流しにカレーを捨てたり、相手に手を出すかどうかはともかく(その少し前に出ていった彼女を訪ねてもう暴力は振るわないと言った後――その約束とカツカレーDVの間にも1回殴っている――の暴力なんだけど……)、怒りはするのではないか。西村作品はよく「クズ」だとか言われるものだが、そのクズっぷりがなんとなく理解できてしまう気がしてしまう自分がいます。

前回のnote版今週の一冊『人間失格』で、葉蔵を自分とは思えないところがあると書きました。それに比べると、自分の心根は貫多(「どうで死ぬ身の一踊り」では「私」であり「北町貫多」ではないけれど)に近いものがあるのでは……と思ったりします。私が葉蔵のような人生や、貫多のような人生を送ることはないだろう。ただ、そのような場面に放り込まれたとして、同じような振る舞いをする想像がよりしやすいのが貫多、というか。私自身は自分で言うのもなんですが暴力とは無縁の人生を送っています。ただ、前提として人と濃密に関わろうとしないで生きていることがある。同棲とかして相手に腹が立つことがあったとき、暴力に訴えないと言い切れるほど己が立派な人間かと言えば、何とも言えないものが。

まあ、実際には自分と貫多は全然違う人間であるようにも思えるし、それは西村賢太の文章力によってそう思わされているのかもしれない。また、私が女性だったらまた読後感もまったく違ってくるようにも思うのだけれど、確実に言えるのは、とにかく自分という人間が読む分にはどうにも貫多を嫌いになりきれないということ(近くにいたらキツいけど読む分には、みたいなところもあるか)。酷いシーンなのに笑ってしまうところも多いですね。

あと、西村賢太は自分のクズな部分を理解している。理解していれば許される、という話ではありませんが、左近さんもネタにした、氏が自らの特徴を捉えて描写する「根が~にできてる」が私は非常に好きである。「どうで死ぬ身の一踊り」だけでこれだけ出てくる。

・根が未練にできてる私
・根がペシミストにできてる私
・根が虫のつくほど青臭い文学青年にできてる私
・根がテレクラ嫌いにできてるだけに
・根がきわめて姑息にできてる私
・根が狷介にできてるだけに
・根が狡猾にできてる私
・根が甘ったれにできてる私
・根が苦労性にできてる私


根がテレクラ嫌いにできてるとどうなるのかというと、女性と付き合うために友人知人に若い女性の知り合いはいないかと紹介を頼んだり、たまさか女性と触れ合う機会を得ようものなら、あせった震え声で「ぼくとおつき合いして頂けませんか?」と言う等の“正攻法”を目指すそう。

まあ、理解しているならやるなよ、と言いたい気持ちもあるけれど、自覚していれば何でも防げるようなら世界の犯罪率は激減しているに違いない。自分を甘やかすような感覚で、「私」や貫多を許してしまいそうになる。人を選ぶ部分はあると思いますが、私は西村作品が好きです。

ちなみに、西村賢太は稲垣潤一の大ファン。氏が宝酒造の焼酎やサウナを愛好するのは作品のイメージにピッタリで何ら意外性がないのだけれど、この事実を知ったときは驚いた。そんな稲垣潤一は、新潮文庫版の『どうで死ぬ身の一踊り』の解説を書いているらしい。これは読んでみなければ。

ということで、根が不精にできてる私の更新ペースが遅いことと行ったらないのですが、本編の最終回が発表されたことですし、もう少しペースを上げていければと思っている次第です。それではまた次回の振り返りで。

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