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成長のヒントを与える聖書の言葉

人間的に成長したいと考えることはあるでしょうか。それは、どのくらい本気でしょうか。

使徒ペテロは、このように書いています。

私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。

(2ペテロ3:18 新改訳第3版)

「成長しなさい」とペテロが言うのは、植物が育つのとは違い、人間の成長には自分の意志が大きく関わっているからです。

その意志があり、本気で成長したいと思う方のために、クリスチャンとして霊的に成長していくためのヒントとなる聖句を紹介します。


栄養(御言葉)と運動(実践)

体の成長には栄養と運動が必要であるように、魂の成長には御言葉とその実践が必要です。

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

(1ペテロ2:2 新改訳第3版)

御言葉はミルクであり、「固い食物」であり(ヘブル5:14)、私たちの魂が成長するために必要な栄養です。

ただ口に入れるだけではなく、味わいながらよく噛むことで、魂に消化吸収されていきます。

そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。

(ヤコブ1:22-24)

聖書を読むことは、自分の魂を鏡に映しているようなもので、変わるべきところが見えてきます。

しかし、鏡を見ても、自分の髪型や身なりを整えることをしないなら意味がないように、聖書の言葉も、それを実践しないなら成長にはつながりません。

栄養と運動以外にも、成長の助けとなるものはあります。

明確な目標

わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り・・。

(ピリピ3:13-14)

すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。・・わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。

(1コリント9:25-26)

やみくもに進むのではなく、はっきりした目標がある方が成長できます。

また、目標を達成するには、いくらかの節制が必要になるかもしれませんが、それは私たちの本気度を示すものでもあります。

模範となる人

聖書の言葉を実践していて、模範となるような他のクリスチャンがいると、成長する上で助けになります。

兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。

(ピリピ3:17)

訓練としての試練

わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。・・すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

(ヘブル12:5, 11)

あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。

(ヤコブ1:2-3)

私たちが成長できるように、神は訓練として試練を送られることがあります。

それはあまり喜ばしく思えないかもしれませんが、それこそが「成長の場」なので、アスリートのように、その有益な機会をぜひ活かすようにしたいものです。

意志があっても変われない時

使徒パウロは、「肉」(生まれながらの自分)が邪魔をするので、「善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がない」と告白しています。(ローマ7:17-25

意志があっても、成長し、変わるのは簡単ではありません。

でも、私たちを真に成長させるのは、「肉」の努力ではなく、御霊の働きです。

御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制・・。

(ガラテヤ5:22-23)

「変わりたくても変われない」とか「表面的なレベルでしか変われない」と感じるなら、霊的成長は聖霊の結ぶ実であることを思い出して、魂のレベルで成長し変われるよう、祈りましょう。

神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。

(詩篇51:10)



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