逆境の日には考えよ
聖書で伝道の書(コヘレトの言葉)を初めて読んだ時、特に印象に残った言葉があります。
人生は順境(物事が具合よく運んでいる状態)ばかりではなく、必ず何かしらの逆境(物事が思い通りに行かない状態)もありますが、そんな人生の日々をどう過ごせば良いのかを教えてくれる言葉です。
順境の日と逆境の日
「彼とこれ」とは、順境の日と逆境の日のことです。
順境の日には、それを神の祝福としてありがたく受け止め、神に感謝して楽しむなら、神もそれを喜んでくださることでしょう。
そして、「順境の日には楽しめ」の続きは「逆境の日には悲しめ」ではなく、「考えよ」です。いくらか悲しみ、涙を流すこともあるかもしれませんが、それで終わりにせず、「考える」ことは大切です。
この聖句の別の翻訳を読みながら、どんなことを考えればいいのか見ていきたいと思います。
心の耳を開く
たとえその逆境を引き起こしたのが自分自身だったとしても、ただくよくよ思い悩んで後悔するよりも、反省して考える時間を取るなら、逆境は無駄にならず、尊い学びの機会となります。
また、自分のせいではなかったとしても、その逆境をきっかけとして、私たちが心の耳を開き、神からのメッセージに注意を払うなら、何か大切なことが示されるかもしれません。
その逆境がなければ、私たちは悪い方向に進み続け、さらに大きな問題を引き起こしていたかもしれません。逆境は私たちを救い、人生を見つめ直させる手段となる場合もあるのです。
ありのままに受け止める
リビングバイブルは、読みやすくするために意訳部分が多いのですが、参考になるかと思います。
この訳し方は、かなりの逆境を耐え抜いたヨブの言葉を思い出させます。
神はいつも私たちへの愛ゆえに、さまざまなことが人生に起こるのを許されるし、時には、私たちを真の意味で救うために逆境を送られることもあります。
逆境をありのままに受けとめ、神が最善をご存知だと信じて前進する時、より賢く、より謙虚で、より幸せで、同じような逆境の中にある他者を思いやれる人に成長していくことができます。
神を信頼し、一日一日を大切に生きる
神が私たちに将来のことをはっきりと教えてくださらないのは、私たちが「明日のことを思いわずらう」のではなく(マタイ6:34)、未来をすでにご存知である神に信頼して生きるようにです。
もし順境の時ばかりなら、人は感謝することを忘れ、高慢になり、神のことでさえ忘れてしまうかもしれません。もし逆境の時ばかりなら、人は神を恨み、絶望してしまうかもしれません。
神がその両方の時を絶妙なバランスで、愛をもって与えてくださると信じること、それぞれを大事に受け止め、感謝を込めて生きること、そして逆境の日には、やがて訪れる順境の日への希望を持ち続けることが、真に豊かな人生を送る鍵であるようです。
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