見出し画像

『大きな赤ら顔』

 お耳汚しを失礼致します。
 私の統計では、稲川淳二さんの『大きな赤い顔』と云う怪談をご存知の方は稀だと思うのですが、要約すると『人情沙汰を引き起こしたり巻き込まれる様な事象の前触れとして、大きな顔を見る或いは見られる。』と云った内容のお話でした。トイレの小窓目一杯の大きな顔が、外から中を覗いて居たと云うのです。

 そこで私は、どのくらいの大男か想像してみました。
 前提条件として、トイレの小窓のサイズをW600*H700mmと仮定して、日本人男性の平均身長を1,700mmの6頭身だと仮定すると、恐らく身長3,400mmを優に超える巨人であると分かりました。


 これは私が幼少期に初めて体験した不思議な思い出話なのですが…。
 私は物心ついた頃から小学2年生まで、枚方市内のとある団地に住んで居りました。母方の祖父が管理人をして居り、同じ棟に住む私は祖父母の所へよく通って居りましたので、祖父には「じいちゃん所の養子になるか?」と、言われる程よく可愛がって貰って居りました。
 小学校に上がる前の年の、夏も終わりに差し掛かった或る夜の事、2K6畳間の和室に両親と川の字になって寝て居りました。朝方少し冷え始めて居た事もあり、寝床はゴザから薄めの敷布に変わり、タオルケットの腹掛けから薄めの掛け布団に変わったタイミングでした。

 朝晩が冷えると言っても、窓を閉め切って寝て居るとやはりまだ暑く、掛け布団を剥いで寝て居ると、ふと誰かに呼ばれた気がして目が覚めました。
 夜中なので、当然室内は真っ暗なはずなのですが、室内が薄ら明るく「ぼ〜っ」と何かで赤く照らされて居る様でした。それは補助灯よりもずっと暗い灯で、例えるなら室外を走る遠くの車のブレーキランプが厚いカーテン越しに室内を照らして居る様な明るさでした。
 しかし、光源は室外ではなく室内にある様で、見渡してみると頭上の『天袋』の隙間から漏れ出た灯りだったのです。私は、「あぁ。少し空いてるなぁ。」と思いながら、寝ぼけた眼で眺めて居ると、その隙間から『鷹の爪』が3本出て来たと思うや否や、「スス〜ッ」と引き戸が開き出したのでした。

 暗順応は30分〜60分程度と言いますから、目が慣れるまで暫く眺めて居たのだと思います。中途半端に開かれた引き戸の縁でユラユラと蠢く『鷹の爪』をノイズ混じりの視界の中心に捉え、動きに合わせて変化する赤い光芒(こうぼう)を眺めて居たのですが、何が起きて居るのか理解できず、唯々赤と黒にノイズが乗った景色に見入って居たのです。

 ゆっくりと引き戸が半分くらい開いた頃、『天袋』の奥で重みの在る何かがズルッと動いたのを感じ取り、急に恐ろしげな気持ちに襲われました。手足がピンと硬直する感覚を覚え、直感的に「引き戸が開き切ったら、とんでもない事が起きる。」と云う恐怖に怯えて居ると、『天袋』の奥から、赤黒く『てかる』大きな肉の塊が「ギュ〜ッ」と突っ張って出て来ようとして居る様に見えました。
 肢体はしなやかで『筋骨隆々』。肌の表面には赤黒い塊が混じって、滑りを帯びた肩らしい部分や背中の僧帽筋の様な部分が、ズルッと蠢いて天袋から出たそうにして居ます。
 このまま勢い余って、引き戸が「パン!」と音を立てて開いてくれれば、両親が起きて助けてくれるかも知れないと期待するのですが、引き戸はジワジワとしか開かず焦らされます。

 私の両足は爪先までピンと伸び、両の手は「ギュ〜っ」とパジャマのズボンを握って居ます。腹筋が痙攣するのが分かるくらい客観的に自分の体を認識して居ました。

 暫くすると背中の様に見えて居た部分がヌルッと向きを変え、今度は赤い大きな顔が現れて大きな目で室内をギョロギョロとねめ回すのです。滑った皮膚で天袋の内側から滑り出ようとするのですが、何かに阻まれて出られないで居る様でした。私が目を背けたと同時に、引き戸の縁に触れて居た赤くてかった頬が、到頭引き戸の縁を押し開けて「タン!」と音を立てて開ききったのです。
 「よし。」と思ったのも束の間、期待とは裏腹に、両親は目を覚ましません。その時、またくぐもった男の声でうめく様に名前を呼ばれた気がしました。

 私は、目が離せずその顔を凝視して居ると、大きな目玉が「す〜っ」と、こちらに向いて、目と目が合った所で意識が途切れました。その後、何が合ったのか、無かったのか、分かりません。


 今思い返しても、翌朝その記憶が残って居た訳では無く、普段通りに朝食を摂って、保育所に通ったと思います。
 それから数ヶ月が過ぎた頃、祖父母の所でお泊まりをする事になりました。夏にお泊まり保育を経験した事で気持ちが大きくなって居たのかも知れません。

 年寄り時間ですので、20時には床に着き、祖父の昔話を聞きながら寝るのですが、2幕構成で挿入歌付きの『桃太郎・金太郎・浦島太郎』を何度もねだって、やっと寝るので、祖父も大変だったと思います。時々、『舌切り雀・かぐや姫・一寸法師』も語ってくれましたが、これらは挿入歌無しで、ねだると『はとぽっぽ』等の童謡を差し込んで来れました。
 この日は初めてのお泊まりで目が冴えて居り、十八番の3作以外に『一寸法師』をねだって寝る事になりました。
 「お椀の小船で小川を下り、ドンブラコ、ドンブラコ、京の都に向かいました。やんごとなきお姫さんを攫った赤鬼とチャンチャンバラバラ、めでたしめでたし。」

 「もう寝らんね。」と首元の隙間を毛布でぎゅっと閉じて、「じぃは寝るけんな。」と背を向けます。
 私は「分かった。」と言いながらスルスルと布団を這い出します。
 祖父が「どけ行くか?」と言うと、私は「じいちゃん熱いからばあちゃんと寝る。」と、隣で寝る祖母の布団に潜り込みます。
 「風邪ひかすんなよ。」と祖父が祖母に小さく言い、直ぐに高イビキが聞こえ始めました。

 暫くは目がランランと冴えて居りましたので、昔話の興奮覚めやらぬまま、いつもとは少し違う天井をノイズ混じりの視界で眺めて居りました。敷居の傍の天袋を眺めて居ると、両親の部屋と同じ間取り、同じ向きで寝て居る事もあり、一寸法師の赤鬼と天袋のヌタついた赤ら顔の大男のイメージとが連想ゲームの様にリアリティを持って繋がりました。

 急激な恐怖の波に身を削られそうになりながら、私は祖母に聞きました。「ここには大きな赤い人は居らん?」勿論祖母は何の事か分からず、「何ね。お泊まり怖かとか?大丈夫やけん。寝らんね。」と宥めるのですが、そうじゃないと言葉足らずに説明するのですが、保育所の年長さん程度の抽象的な訴えが伝わるはずも無く、天井の角を指差して、押し入れに赤い大きな人が居る。名前を呼ばれるから怖い。天袋を開けて確認して…。等と言うものですから、祖父が目を覚まし「まだ早かったとやろ。気味の悪かこと言いよるけん、連れて帰れ。」と祖母に言う物ですが、「違う。ウチに居るから帰りたくない。でもここには居らん?」とグズって居ると、アレよアレよと言う間にドテラを羽織らされ毛布に包まれて、冬の凍える深夜に家へ連れ帰られてしまいました。

 母曰く、「お泊まりに行ったと思ったら、その日の内に毛布でグルグル巻きにされて、寒いのにばあちゃんは寝巻きだけであんた抱えて帰って来たから何事かとびっくりしたわ。」と笑って居りました。


 この赤い大男が何者なのか?見識の或る方にお伺いしたいのですが、私なりに幼少期の拙い脳みそで考察を行った処、ゲゲゲの鬼太郎に出て来る『釣瓶落とし』や『朱の盆』『赤頭』『大かむろ』と云った妖怪、或いは現象なのではと考えました。
 しかし、パーツが頭だけの『釣瓶落とし』や3等身くらいの顔芸で脅かすだけの『朱の盆』、それに大きな猿に驚愕し、話に背鰭尾鰭の付いたとされる『赤頭』、『大かむろ』に至っては『※推移律(すいいりつ)[xRy,yRz⟹xRz]』を使った言葉遊びでしかなく、私のイメージとは大きく掛け離れて居りました。
 私のイメージでは、仁王様が雑技団の様なパフォーマンスをして居る様な感じなのです。

※因みに『推移律(すいいりつ)』とは、空でない集合『X』上の二項関係『R』について、『x,y,z∈X』が『xRy,yRz』を共に満たす時、常に『xRz』も満たすなら,二項関係『R』は「推移律を満たす」と云います。

 Wikipedia調べですと、江戸時代に『速水春暁斎(はやみ しゅんぎょうさい)』によって描かれた『絵本小夜時雨(えほんさよしぐれ)』と云う書物の四巻に、古狸が巨大な顔に化けて人を脅かす様子が在り、『大入道』として述べられて居るそうです。水木しげる氏は、これを参考にして『大かむろ』を描いた様です。 唯、柳田國男の『妖怪名彙』や日野巌(ひのいわお)の『日本妖怪変化語彙』と云った伝承妖怪の資料類に『大かむろ』という伝承妖怪の記載は無く、伝承地なども明らかにされて居ないそうです。 また、鳥山石燕の描いている『大禿(おおかぶろ)』と、速水春暁斎(はやみ しゅんぎょうさい)の『大かむろ』とは別物だそうですが、石燕は江戸中期、春暁斎は江戸後期なので、元ネタは石燕だと思われます。

 禿(かむろ)と云うのは、広義では児童期の髪型を意味して居り、狭義では『遊女見習いの少女』の2つの意味が在り、読み方によっては『禿(はげ)』と云う意味にもなります。 石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれて居る『大禿(おおかぶろ)』は屏風より背の高い菊模様の振袖を着た、肩で髪を切り揃えられた少女の絵が描かれて居ます。
 そこに添えられた文言を要約すると、「中国には菊の葉の露を飲んで若い姿で不老不死に成った『彭祖(ほうそ)』と云う仙人が居て、その仙人は『菊慈童(きくじどう)』と云う名で知られており、齢(よわい)七百歳以上の外見が子供の仙人なのだそうですが、この仙人の事を妖怪『大禿(=背の高い少女妖怪)』と云うのだろうか。
 それとも、日本の那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)にも髪の毛や歯が抜け落ちた外見が老人の仙人が居たとされるが、この仙人こそ子供の妖怪『大禿』と言えるのだろうか。」
 と書かれて居ります。

 『大禿(おおかぶろ)』も『大かむろ』も私のイメージとは大きく違う様です。江戸時代から『推移律(すいいりつ)[xRy,yRz⟹xRz]』の様な洒落が合ったのかと感心しつつ、 ダジャレの解説には顔が赤らむのでこの辺にさせて頂きます。


 私の祖父の世代は昔気質の家父長制で、かなり偏った方が多い様に思うのですが、「気味の悪かけん連れて帰れ。」と云うのは酷くないですか?

 以上、『大きな赤ら顔』と云うお話でした。
 ご静聴ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?