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日本にとってなぜ令和哲学カフェが必要なのか



開催が始まり、一ヶ月以上になる令和哲学カフェ
令和哲学とは、日本オリジナルの心、哲学を学ぶ、新感覚の教育です。

いろんな意味で、このカフェにはほんとにほんとに癒される日々ですが、今日は、日本にとってなぜ令和哲学カフェが必要なのかについて書きたいと思います。

日本にとって、令和哲学カフェが必要な理由はたくさんあります。


まず一番大きいのは、
自分の考えを持てるようになる。
自分の表現をできるようになる。
ということ。
というより、自分はそれが出来るんだということに気付くことができる。

今までは暗記した知識だから、自分のものにならないし、自信も持てない。
それが、自分オリジナルの考えを持つことができるようになる。

令和哲学カフェは可能性に溢れてます。

それは、
日本の心を回復する。
ということにもつながります。


本来、日本は悠久の歴史と文化に育まれてきた国。

・・しかし。


それ自体、そんなに関心ない人が多いんじゃないかなと思ったり。
なぜなら、自分自身日本の教育を受けてきて、関心なかった一人だから。

日本には今、哲学がなく、そもそも自分のアイデンティティが育たない。アイデンティティが揺らぐというのは、自分にとってはかなりの苦しみです。

かつての日本にはあらゆるところに教育が根ざしていました。


例えば、てらこや。 
読み書きそろばん、武道、人としての素養を育てる場があった。地域ぐるみで大人が子どもを育てる環境がありました。

今はそれがない。

で、


令和哲学カフェがまさに現代のその現場なんです。


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日本の基軸、ひいては、世界の基軸となる教育、考えの根本を学ぶことができる。それが、令和哲学カフェの場なんです。


また、かつて日本には講談がありました。


・・講談?


現代日本人知っている人は稀だと思います。
親世代も知らないですから。

あの講談社、の講談?

そう、講談社は、元々講談から来ているそう。


私がその存在を知ったのは、ご縁あって靖国神社で行われた、講談の場に足を運んだのがきっかけです。


その場で感じたもの、がすごかった。

講談で、私が何を感じたのか、一言で表現すると、


「日本はこれを失ったのか・・・」


というもの。

それは、講談という中に凝縮された日本の心そのものでした。


講談のお話の素晴らしさだけでななく、日本の心を至るところに感じられる場で。


「アメリカは、これを恐れたのか・・」

日本の伝統、歴史、文化、教育、横のつながり、その深さ、DNA、そこに根ざした全てのもの。

講談の場で、私が肌で感じ取った感動というのは、
Noh Jesuさんという日本の魂が帰る場所を教えてくれた人がいますが、Nohさんが語る、底知れぬ日本、をそこでまざまざと感じ取りました。


講釈師が自ら壇上から降りて受付から雑事から何から何までこなし、その身の低さ、休憩中に配られる、ようかん、ビール、そして、バザーの催事まで。
地域密着型の憩いの場。自然な教養、交流の場。子どもたちも遊びまわりながらその場からいろんなものを吸収していく。交友の場。
人が育まれる土台が詰まっていました。

小さい頃から、武勇伝、偉人伝、人情者、軍記物、わびさびの心、が語られる環境。人としての教育を、日本人としての誇りを自然にまといながら育つ。

かつて、日本には自然にあったこと。

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今でも形は残っていますよね。周りを大事にする文化、自分より他人から出発する文化。


現代人は、孤独で溢れています。
人とのつながりも薄く、「子ども一人育てるには、一つの村が必要だ」というアフリカのことわざがありますが、現代の核家族化された子育てには限界があります。


現代人、ざっとこんな感じではないでしょうか・・

・人の話が聞けない。
・自分はおろか、人が何を感じているかも察することが出来ない。
というか、興味すらもてない。自分のことで精一杯。
・建前。
・心の中は不安、恐怖。


そうなってしまう原因は、日本オリジナルの令和哲学の不在にあります。


令和哲学のある環境。
それを子どものころから空気のようにまといながら育つ子ども―

かつて、世界トップだった日本の識字率に象徴されるように、教育による人間の可能性を花開かせてきた寺子屋。
元々子どもは天才で生まれてきますから、令和哲学が、これからの子どもから大人までを育てる道具であり環境、教育となると思います。


令和哲学カフェは、老若男女が集い学び合える場。

東京裁判を機に、それまでの日本が培ってきたプライド誇りは一点に封じ込められました。日本の誇り、気高さ、主義主張、日本の心、わびさび感覚、つながり、絆あらゆるものが葬られました。


令和哲学によって、
自分の主義主張を回復し、人との関係性を回復し、日本を回復する。


令和哲学は日本オリジナル。

日本オリジナルの教育を世界は待っているし、世界を教育していく日本を今ここから始めていくことができる。
日本が希望そのもの、若者が未来が希望で溢れるその日本の回復に令和哲学がとっても不可欠です。


令和は、心のふるさと、日本の心。
この上なく美しい調和。
日本に令和という元号が降り立ち、新しい時代の幕が開ける。

そこから始まる新しい日本のあり方。
令和哲学を共に楽しんで育んでいけたら最高だなと思います。


お読みいただきありがとうございます。
それではまた明日(^^)


※一部写真:令和哲学カフェHPから引用


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