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仏教僧 弁栄上人のユニークな執筆態度

文章を書くということ

 noteを始めその他のSNS・ブログなどで文章を書く理由といえば、その目的は誰かに読んでもらって評価を得たいとか、ただ何となく書いてみたなど各人様々であろうかと思う。目的は様々であるが、大抵は何れも発表をする前提であることには相違がないと伺える。現にnoteやSNS・ブログには多くの文章が公開されていることは実際に見て取れる。例外として、私的な日記帳においては全くその限りではないであろうと思うが。 

 さて、ここに明治〜大正時代にかけて活躍した浄土宗僧侶・山崎弁栄上人の執筆におけるユニークな行動を紹介したい。弁栄上人は今でこそ多くの体系的な遺稿集が遺っているが本人は出版されるかどうかなど全く気にしていなかったらしい。原稿のほとんどは上人の遷化後に出版されている。その書籍は後の引用でも出てくるが、大型本で一冊あたり数百ページという膨大な著作量である。

 前述したように私もそうだが、今このnoteを公開しているように日記のようなものは別にしても文章を書くことはある種の発表を前提とした行為がほとんどであろう考えられるが、弁栄上人という人はそのようなことを気にかけずに文章を書き続けていたと信徒の見聞が残っている。

 いづこででも、またいつでもの事であるが、少しの余暇にも筆を走らして、ありあわせの紙に、自解内証の法門をお書きになった。かさなる文章の紙をコヨリで綴じて、丁づけはない。上人が行脚中持たるるものは頭陀袋の小箱一つで、その中には当座必要の本も、用具も、お椀まではいっている事もあるので、書き積まれるものを持って諸国を歩かれる訳にはいかぬ。そこで書かれた所々に、「保存して置け」ともなんとも注意なさらずに、書いた原稿を置き去りにして行かれる。あとで心ある人は保存する。それもその子の代にもなれば大切にもしない。
 あとで出版になるわけならば、つぎつぎの連絡のしるしぐらいはあり、かつ保存の注意はあるはずであるが、それもない。本にならなくてよい文としては、あまりに出版の下地が完備している。
 できあがることはいかに邪魔してもできあがり、なり立たぬことは、いかに勤めてもなりたたぬ。如来の帰趣を信じあてにするものの強さ、因縁に任すものの気楽さ。
 ご遷化後、ミオヤのひかり社にて全国よりやっと拾い集めたご文章のいく千ページは、皆かくして、あひるの卵のように産みっぱなしになった光るご文章であった。
 その原稿には書き直した所がほとんどない。定中にあって、はたらく心の、いかに整っているものであるかをよく示している。

『日本の光―弁栄上人伝―』田中木叉〔著〕光明修養会 昭和44年第3版 307~308頁

 上記の伝記が記すように弁栄上人は全国を布教に周っておられ、その宿泊先では常に筆を走らせて書きものをしておられたのであるが、出立する時には原稿は全てその場に置いていくという奇行(失礼!)をされている。その内容は日記のような私的なものではなく、体系的な宗教書を前提としたものであったと記録されている。
 自分の原稿が表に出るかどうかは縁に任せて、自身はその時に書けることを書くだけだという磊落な態度である。

 私はこの態度を見習いたいと思う。noteを書くときでも、弁栄上人に倣い、先ずは書くことを第一義として、公開する・しないは第二義して、思い立った時下書きに気づいたことでも何でも書いておけばよいのである。
 私自身は日頃から「Google keep」にメモでも何でも書いておいて、後で見返して加筆訂正したり、2つのメモを合わせてまとめて、noteに入れて公開させたりしている。もちろん「Google keep」ではなくnoteの下書きを活用すれば問題ない。
 ともかくnoteだけではないが、文章でも音楽でもその時その時に稚拙であっても残しておけば良いと思うのである。後に何かの時に書いた自分の文章なりを読んでみて公開したければすればいいし、下書きのままにしておきたければそのままにすればいい。時間を経て公開したくなるかもしれないが、   弁栄上人が「因縁に任すものの気楽さ」(弁栄上人の場合は仏任せ。神任せ、人任せと考えても各々の自由)の態度でいればいいのである。この態度に倣って肩ひじ張らずに、読まれる文章とか整った文章とか考えずに、先ずはメモでもいいから書けばいいというのが私の文章の書き方である。その裡に弁栄上人のように書き直さなくてもバランスの取れた文章になるはずである。
 最後にただ一点踏まえておきたいことは、弁栄上人の読書量は厖大で実地経験値も布教などで多かったらしく、文章を書くにはインプットが非常に重要で読書や経験を大切にしていくことだと思っている。

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