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この一枚 #11 『ROMANTIQUE』 大貫妙子(1980)

シュガー・ベイブ解散後の1976年ソロに転じた大貫妙子。今ではシティポップの名盤と評される作品を連発したが、セールスは低迷した。一時は活動を休止するが、2年のブランクを経て1980年に復活し、その後はセールスも上向きとなり人気を確立する。
その分岐点となる作品『ROMANTIQUE(ロマンティーク)』を紹介。

ヨーロッパ3部作の第1弾

『ROMANTIQUE(ロマンティーク)』は1980年7月21日リリースの大貫妙子の4枚目のアルバム。
ヨーロピアン・サウンドをコンセプトに制作された"ヨーロッパ3部作"の第1弾で、まだ世間的には無名だった彼女が一気に世に知られるきっかけとなった記念碑的な作品です。

写真撮影は鋤田正義

クリアイエローヴァイナルで再復刻されたので、早速購入しました。
坂本龍一加藤和彦という巨頭がA/B面に分かれてアレンジャーとして参加、その他YMOがプレーヤーとして演奏にも参加した話題作です。

Art DirectionはYMOを手掛けた奥村靫正

シティポップの代名詞『SUNSHOWER』

今ではシティポップブームの先駆けになったデビュー後の3作品が人気だが、当時セールス的に成功したのは"ヨーロッパ3部作"からでした。
特に大貫妙子と言うと2作目の『SUNSHOWER』がシティポップの代名詞と現在では語られます。
しかし、1977年発売当時はセールス的に惨敗し、世に埋もれたのです。

2017年8月に放送されたテレビ番組『YOUは何しに日本へ?』がシティポップ・ファンの間で話題になったことがあります。
あるアメリカ人が大貫妙子のレコードを探すために日本へやってきたというエピソードでしたが、その際、西新宿のレコード店で熱望し入手したのが『SUNSHOWER』のアナログでした。

今や7千万回の再生回数を誇る4:00A.M. を収録した次作『MIGNONNE』(1978年)もセールス的には惨敗。
じゃじゃ馬娘横顔海と少年と名曲揃いなのに、今の評価と比べると「なんで?」と言う感じです。
海と少年は結成前夜のYMOの3人がバックを固めた名演です。

彼女は自信喪失し1979年には活動休止に追い込まれたのです。その間はCM音楽や山下達郎のバックコーラスで生計を立てて凌いでいたと言います。

活動休止後の復活作

大貫は当時は振り返り、

本当に(笑)。2年間何も自分の音楽活動はしなかったです。でも山下達郎さんに「暇だったら手伝って」と言われ(笑)、ツアーのバックコーラスをしたり、とか。

Otonano

とインタビューで答えています。

既に26歳となったが、暇にしていた大貫。
それを見兼ねたのが牧村憲一氏。
大滝詠一をCM作家として発掘し、シュガー・ベイブのマネージメントとプロモーションをする会社“アワ・ハウス”を起業した名物プロデューサー。
今は作家として「ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989」などを発刊し、ラジオDJとしても活躍している生き字引的な存在。
彼がヨーロッパというコンセプトを授けて大貫を説得し、1980年本作で復活を遂げたのです。
牧村氏は彼女にヨーロッパ関連の資料を多量に渡したと言います。

ニューシネマ、ヌーヴェル・ヴァーグ等の映画、『ニューヨーカー』誌の短編集や図鑑、写真集、そして当然レコードです。例えばフランソワーズ・アルディ、ピエール・バルー主宰のサラヴァ・レコードのブリジット・フォンテーヌ、ピエール・バルーの盟友であるフランシス・レイやフランソワ・ド・ルーベ、ジョルジュ・ドルリュー、ミシェル・ルグランのレコードなど、これらの音楽はいずれも極めてヨーロッパ的な響きを持つものでした。

牧村 憲一. 「ヒットソング」の作りかた

1980年と言う年

当時大学生の自分はアメリカンロックに飽き、YMOに感化されたテクノ少年に転身していました。
自分のいたミーハー系の私大でもシングルカットされたCARNAVAL(A-1)は、音楽通の友人の間では人気でした。

自分もこの気怠いボーカルとこれぞYMOと言うサウンドにやられて、大貫妙子という女性シンガーを知り、虜になっていったのです。
矢野顕子と共に、今尚現役で年齢を感じさせない、日本の女性シンガーの中では傑出した存在ではないでしょうか。
YMO旋風が吹き荒れた1980年ですが、他方大貫と共にシュガー・ベイブの同僚だった山下達郎も飛躍。同年5月に発売されたシングルRIDE ON TIMEが大ヒットするのです。
アンダーグラウンドにいた日本の音楽界の主役達が表舞台に登場したのが1980年だったのです。

YMOが総出で参加したCARNAVAL

編曲は坂本龍一
参加メンバーは
Bass : 細野晴臣
Drums : 高橋幸宏
Rhodes Piano, Prophet 5 : 坂本龍一
Guitar : 大村憲司
Computer programmed :松武秀樹
矢野顕子以外のYMOツアーメンバーが顔を揃えて、YMOをバックに大貫妙子が歌うという贅沢な編成となっています。
1980年と言うと、2月に「PUBLIC PRESSURE」が1位、6月リリースの「増殖」も1位とYMOブームの真っ只中。YMOでも聴けないような、坂本龍一の超絶シンセソロが3回も繰り返されます。

本作以前に第三者の意向で、YMOをバックにモータウン的なアルバムをリリースしようという企画があり、3曲録音したが、テクノサウンド過ぎて大貫本人に却下されてお蔵入りしたそうです。
この曲はその名残かもしれません。
本人は『バグルスとか、スパークスなどの曲が好きで、そういうのをやってみたいなとは思ったんですが、イエローでやったらイエロー・サウンドになってしまうだろう。それでは自分の個性が無くなるし、しかし、あの時、彼らがああいう音を作らしたら、一番日本で乗っているから、彼らと一緒にやって、しかも、イエローにならないだろうかと考えた末に出来たのが「カルナヴァル」という曲なんですが。』と語る。

本人は嫌だったようですが、牧村氏の強い薦めで収録され、本作はCARNAVAL効果で本人としては初のチャート入りを果たしたしたのです。
勿論、自分もCARNAVALを聴いてアルバムを買ったものの、YMO系はこの一曲のみで、他の曲には自分には大人びていて違和感を感じたものです。

本作のプロデュースは牧村氏がクレジットされ、彼の人脈を総動員した当時の日本のトップミュージシャンが退去して参加しました。
YMOの3人に大村憲司加藤和彦清水信之田中章弘上原裕向井滋春ムーライダーズ岡田徹白井良明鈴木博文橿渕哲郎など。

今改めて聴くとCARNAVALはテクノ色が強過ぎて、浮いて聞こえるから不思議です。かえって、地味目に感じた他の曲が、シティポップを経た自分には心地よく聴こえるのです。

高橋幸宏のドラムを堪能

続く、ディケイド・ナイト(A-2)もYMO+大村憲司がバックですが、テクノ色は無く、通常運転の細野&高橋のリズムセクションが聴かれます。
前作や前々作に収録されても違和感ないシティポップの秀作。

ティンパンから離れた細野はこの頃高橋とのコンビで多くのセッションに参加し、同時期には南佳孝の「Montage」にも参加。坂本編曲のこのアルバムでも味のあるプレイを聴かせています。

『ROMANTIQUE』では一年前に惜しくも亡くなった高橋幸宏が叩いた曲が6曲と、彼の味のあるドラミングが堪能できるのも嬉しいポイント。

高橋の最後のレコーディングは、21年10月27日に行われた大貫の曲ふたりの星をさがそうのドラマーとしての収録だそうです。

BOHEMIAN

サイドAは全て坂本龍一アレンジの曲。

若き日の望楼(A-4)はアコースティックのライブ映像を紹介します。
これもアルバムはYMO+大村憲司です。
テクノポップ→シンセポップと来たA面のこの曲辺りから、詩と曲調がヨーロッパ風味になって来ます。

A面最後のBOHEMIAN(A-5)もYMO+大村憲司。
細野晴臣の饒舌なベースが曲を支配。ジャズピアノ風に弾く坂本龍一のピアノがソロが響きます。

YMOの3人の演奏が聴ける高橋ユキヒロのソロ「Saravah!」にも通じるヨーロッパ風味を感じます。
Saravah!については、以下の拙文を参照ください。

加藤和彦とヨーロッパ

B面は加藤和彦が大半のアレンジを担当する。
そのうちの2曲はムーンライダーズから4人が参加しました。
ふたり(B-2)には故人となった岡田徹(Key)、橿渕哲郎(Dr)に白井義明(G)、鈴木博文(B)がムーンライダーズから、さらには加藤自身とコーラスには佐藤奈々子までが参加する豪華版。

ゴダールの映画と同名の軽蔑も加藤+ムーンライダースの4人で、大貫には珍しいニューウェーブ的なロックチューンでムーンライダーズ色の強い作品。

79年の「パパ・ヘミングウェイ」でヨーロッパに開眼した加藤和彦
ROMANTIQUE」を挟んで1980年9月に『うたかたのオペラ』(ドイツ録音)をリリース。その後もヨーロッパ路線をひた走り『ヨーロッパ三部作』を展開するのです。
アメリカかUKという二項対立のシーンの中で、ヨーロッパ大陸に目を向けた大貫と加藤の2人の先見性は突出していました。

大貫は当時を回想して
『加藤さんの家に呼ばれて・・カチカチに緊張して。ター坊ちゃんの歌詞は素晴らしいからず~っと音楽続けなさいって言われて・・「はいっ!」って。』と加藤の妻、安井かずみに言われたと語る。

その加藤和彦の音楽ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」が5月公開されます。
これは楽しみです。

坂本龍一について書かれた曲

B面では新しいシャツのみYMO大村憲司が演奏を担当。新しいシャツはかつて同棲もし、恋人同士だった坂本との別れを書いた曲。

「さよならの時に穏やかでいられる そんな私が嫌い 涙も見せない 嘘吐きな芝居をして」
なんて、痛切な思いが詩からは伝わります。

坂本によると
「当時、大貫さんが発表したのが新しいシャツで、この曲の歌詞を聴くとつい泣いてしまう。でも、泣いてしまうのは自分だけじゃなくて、2人のコンサートでぼくができるだけ感情を抑えながらこの曲のイントロを弾き始めると、なぜか客席からも嗚咽が聞こえるんですね。きっと、ぼくたちの昔の関係を知る人がいたのでしょう。だけど、あれから長い時間が経ち、今ではもう親戚のような付き合いになっていて、『UTAU』では大人のミュージシャン同士の新たな関係が築けたと思います。」

2人は恋愛関係から始まり、それが終わっても仕事のパートナーとして、そしてお互いに尊敬する人として最重要な関係性を築いていく。
坂本は大貫の作品に欠かせない編曲家となり、やがて大貫妙子 & 坂本龍一 名義で「UTAU」を2010年にリリースする。

大貫は坂本の行う社会活動「おやすみなさい柏崎刈羽 署名プロジェクト」にも賛同し署名します。
そして2023年3月5日、坂本の番組「RADIO SAKAMOTO」が最終回を迎えたが、がん療養中の坂本に代わり大貫が代役を務めました。
その後間もなく3月28日に坂本は逝去します。

日本を代表するギタープレイヤーだった大村憲司のリードギターも名演ですが、彼も1998年にこの世を去りました。
93年のライブからの映像を貼りました。

シュガー・ベイブの再演

蜃気楼の街シュガー・ベイブのセルフカバー。ドラムスをシュガー・ベイブの同僚、上原裕が担当。原曲はCSN風のコーラスワークでアメリカンですが、こちらは加藤和彦が編曲でボサノヴァ風味です。
「もう一度シュガー・ベイブの時の歌を入れることで、ここから始まりであり、ここまで来たという事の分岐点みたいなものもありました」
まさに原点を再確認し今までの総決算と共に、新たなスタートを切ったわけです。

『ROMANTIQUE』から『Cliché』 へ

ROMANTIQUE』はセールス的に惨敗した過去作に比べて、初めてチャート圏内となり72位を記録、そして3部作最後の1982年発売の『Cliché』は15位まで上昇。
大貫妙子が飛翔するきっかけとなったのです。

Cliché

翌年の『SIGNIFIE』はチャート6位と最大のヒットとなり、TBS系金曜ドラマ『夏に恋する女たち』の主題歌夏に恋する女たちもシングルヒット。
その後も安定的にヒット作を連発するのです。

最後に40th Anniversary Concertの映像を紹介して終わります。
CARNAVAL、新しいシャツ、蜃気楼の街と本作よりも3曲がチョイスされました。テクノ色を抑えてツインドラムとダブル・ベースでクールにしたCARNAVALが良いですね。




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