この一枚 #17 『So』 ピーター・ガブリエル(1986)
2023年末に久々のアルバム『i/o』をリリースしたピーター・ガブリエル。堂々の英国1位となり衰えぬ創作意欲に感服したものです。
そして今回はジェネシスを脱退して10年後の1986年に大ブレイクした、Sledgehammerを含む『So』を深掘りします。同時にトニー・レヴィンやケイト・ブッシュなど多彩な彼の人脈をもフォローします。
『So』
この連載もまた80年代が続き、後半に突入。
前回の1985年から1年経過した1986年。
4月にはチェルノブイリ原発で原発史上最悪の事故が発生しましたが、その後の5月に発売されたのがピーター・ガブリエル(PeterGabriel)の『So』。
ガブリエルなのかゲイブリエルか、どちらでしょうか?
イギリス人のピーター・バラカンさんは「ゲイブリエル」としか発音しない、と言うのですが、ここでは不本意ながら日本の表記に従いましょう。
昨年末に21年ぶりのオリジナル・アルバムを『i/o』をリリースして健在ぶりを示したピーター・ガブリエルですが、彼の代表作『So』を深掘りします。
彼にとっての最大のヒット・アルバムで、英国ではチャート1位、特にそれまでセールスが低調だった全米でも2位に輝き、売上は5×プラチナに達しました。まさに質量共に80年代において屈指の名盤と言えます。
ポップで売れ筋でありつつも、先進性、メッセージ性も抜群のロック史に刻まれる名盤です。
Sledgehammerの大ヒット
1986年4月、Sledgehammer(スレッジハンマー)はアルバムのリードシングルとしてリリースされ、全米チャートでガブリエルの最初でかつ唯一のNo.1となります。さらに古巣であるジェネシスのInvisible Touchを首位の座から引きづり下ろしたのです。
MTVで最も再生されたミュージックビデオと言われるこの曲のビデオ、1987年に9つのMTVビデオミュージックアワードを受賞し、この1位獲得を大きく後押ししました。
そしてロックとダンス、双方のチャートでNo.1となった唯一の楽曲でもあります。
NYでピーター・ガブリエルと遭遇
自分はガブリエルのライブを2度観ていますが、1度目は本当にラッキーな出会いでした。
1986年になり徹夜続きに明け暮れる広告業界のブラックな職場とオサラバして、自分探しのために暫く休暇を取りアメリカへバッグパック旅行に出かけました。
とりあえず、グレイハウンドの周遊チケットを手に入れて、2ヶ月間バスで北米周遊の旅に出たのです。
サンフランシスコから大陸に入り、陸路シカゴ、カナダを経由して、アメリカ入りしてから約3週間、深夜バスでNYに到着しました。
当時のNYは治安が悪く、危険度を散々聞かされて、ビビりながら街を歩いたものでした。
宿に荷物を預けて、まずはお上りさん感覚でエンパイアビルに上り、そこから当てもなく30分ほど歩くと川沿いの国連本部に辿り着きました。
大音量に導かれて歩くと、多くの観衆がいて野外のフリーライブが開催されていました。遠目で誰かは確認できませんでしたが、曲を聴くとそれはガブリエルの「So」からの曲でした。 Steven Van ZandtやYoussou N’Dourもいたようで、最後には皆でSun Cityが演奏されたのです。
ネット上の記録によると国際平和デーのためのLiveで、1986年9月16日のことでした。
Sun Cityはアパルトヘイトへの反対をメッセージした楽曲で、ガブリエルのBikoと言う曲に触発されたSteven Van Zandtを中心としたプロジェクトによるものです。
Biko
Bikoはガブリエルにより1980年にリリースされた、南アフリカの反アパルトヘイト活動家スティーブ・ビコに捧げられた追悼曲です。
ピーター・ガブリエルは1975年ジェネシスを脱退します。
理由は長女が、難病に侵されツアーなどを続けられなくなったからでした。
そして2年後1977年にデビュー・アルバムをリリースします。
そこからのSolsbury Hillは全英13位と好調な出だしとなります。本作にはロバート・フリップが参加し、長きのパートナーとなるベーシストのトニー・レヴィンもここからの付き合いとなるのです。
そして1980年の3作目がBikoを収録した「Peter Gabriel Ⅲ」ですが、初の全英チャート1位となるのです。
ここにはガブリエルの脱退後、ジェネシスのボーカルに後釜として収まったフィル・コリンズも参加して、Bikoでは民族打楽器surdoを叩いています。
余談ですが、80年代を席巻したゲートリヴァーヴと呼ばれるドラムサウンドは、本作の参加時にヒントを得たコリンズにより広まります。
そして同年ジェネシスの『Duke』も全英チャート1位となり、全米でも11位とコリンズのポップ感覚は人気となり、その後も両者のアメリカでの差は開くのです。
ガブリエルは2021年に「Playing For Change」と提携し、世界各地のアーティストらとBikoをコラボしました。ヨーヨー・マ、アンジェリーク・キジョー、ミシェル・ンデゲオチェロ、など世界から多数のアーティストが参加しています。
ガブリエルによりBikoの名前は広く知られ、Bikoを題材とした映画「遠い夜明け」もデンゼル・ワシントン主演で制作されたのです。
トニー・レヴィンの貢献
さて横道に外れましたが、「So」に話を戻しましょう。ここで大きく貢献しているのは盟友のベーシストのトニー・レヴィン(Tony Levin)です。
Sledgehammerに続いてヒットし、全米8位となったBig Time(B-3)のパーカッシブなベースは驚異的です。
この映像のレヴィンを注目してください。ファンクフィンガーと呼ばれるスティクを手につけて演奏しています。
Big Timeの録音時では、彼が左手のフィンガリングを行い、ドラマーのジェリー・マロッタがストリングスの上でドラムを叩いて音を出していました。これをツアーでどうやって再現するか模索していた所、ガブリエルの“ドラムスティックを2本指にはめて演奏してみたら?”と言うヒントによりファンクフィンガーは発明されたのです。
またガブリエルのデビュー作でフリップと出会ったのをきっかけにレヴィンは1981年からキングクリムゾンに参加することになり、現時点もメンバーです。レヴィンとガブリエルに大いなる縁を感じるのです。
「ピーターと一緒に演奏することで、僕はまったく違う、より優れたミュージシャンになれたと思うんだ」ともレヴィンは語ります。
強力なドラマーたち
本作では3人の強力なドラマーが参加しています。
一人目はBig Timeで叩いたポリスのスチュワート・コープランド。そしてオープニングのRed Rain(A-1)のハイハットも彼のワークだが、ハイハットのみで実際のドラムセットはジェリー・マロッタ。
マロッタは著名なドラマーであるリック・マロッタが兄。
自分の好きなバンドでもある西海岸のオーリアンズに1976年に参加し、脱退後は正反対のガブリエルのバンドに翌年から参加します。
同時期にはホール&オーツのバンドにも参加し、Private Eyesなどのヒット作に貢献しました。
そして本作でマロッタと入れ替わるように参加し、その後のガブリエルバンドのレギュラーとなるのが、マヌ・カチェ。
父親はコートジボワール出身のアフリカ系のフランス人。
Sledgehammer(A-2)からはカチェが登場。レヴィンとカチェのリズムセクションに支えられたSledgehammerのライブ映像は見ものです。
オーティス・レディングへのリスペクト
ガブリエルが元々ドラマーだったのは最近知った事実です。
若き日にオーティス・レディングの「観客として人生最高のギグ」と語るLIVEを観て感化され、レディングを輩出したアメリカ南部のレーベルスタックスに夢中になり、R&Bのカバー・バンドでドラムを叩くようになったといいます。
彼のリズムや打楽器へのこだわりはここにあります。
そして、レディングのステージでトランペットを吹いていた、メンフィスホーンズのウェイン・ジャクソンをSledgehammer(A-2)に起用しています。
ホーン使いなどサザンソウルへのオマージュとなっていますが、イントロの尺八など彼らしいヒネリも効いています。
プログレのイメージが濃厚な彼ですが、ルーツがソウルと聞いて納得できるこのサウンドです。フィル・コリンズがモータウンのカバーYou can't Hurry Loveで82年に全米1位になり、対抗するようにサザンソウル風で1位を獲得して意地を見せたのです。
Youssou N'Dour(ユッスー・ンドゥール)
In Your Eyes(B-1)では、セネガルのミュージシャンYoussou N'Dour(ユッスー・ンドゥール)が、最後の部分を母国語のウォロフ語で歌っています。
マヌ・カッチェがドラムとトーキング・ドラム、ジェリー・マロッタもドラムを追加しており、ガブリエルのドラムへのこだわりを感じます。
ガブリエルは1982年以来開催されているワールドミュージックのフェスティバルWOMADを企画し、アフリカ系のミュージシャンも支援してきました。
が、そのため自費を全てそこにつぎ込んだため多額の借金を抱えてしまったのです。
1989年にはワールドミュージックの専門レーベルリアル・ワールド・レコードを創設、ユッスー・ンドゥールの名作「The Lion」は、ガブリエルのプロデュースによりリアル・ワールドよりリリースされます。
ケイト・ブッシュ
英国で9位のヒットとなったDon't Give Up(A-3)にはケイト・ブッシュが参加しています。
ブッシュは前年の1985年「Hounds of Love」が英国のチャートでトップになり、新たな最盛期を迎えていました。
(本作収録のRunning Up That HillはNetflix「ストレンジャー・シングス」で使われリバイバルし、2022年7月に3位に達します。アルバム「Hounds of Love」も米国で12位にチャートインするリバイバルとなったのです)
ガブリエルはルーツ音楽志向で曲を書き、カントリーのドリー・パートンを検討していました。しかし、パートンは断ったので、旧知のブッシュが代役をしました。
ブッシュは「ピーター・ガブリエルIII」にも参加していました。
後半にリチャード・ティーのピアノが聴こえてくると、ゴスペル感が醸し出されます。
そしておむつで弦を湿らせて、短くてゴツゴツした音にしたトニー・レヴィンのベースソロで最後が締まります。
ミュージックビデオはゴドリー&クリームが制作しています。
そして貴重なシニード・オコナーとのデュエット。
ダニエル・ラノワ
このアルバムのプロデューサーは、ブライアン・イーノの弟子筋に当たるダニエル・ラノワです。後に2人はU2の「The Joshua Tree」を手掛けるのですが、ダニエル・ラノワも単独でも名プロデューサーとして知られ、ディランの『Time Out of Mind』、ネヴィル・ブラザーズの『Yellow Moon』などの名作のプロデューサーともなります。
彼は「ピーター・ガブリエルは、曲が完全に形成されていないかもしれないが、スタジオを作曲の場として使用している偉大なアーティストの一例だと思います」と称賛しています。
彼の強みの 1 つはプロデューサー兼ミュージシャンでバックコーラスも数多く担当し、In Your Eyesのコーラスのフックを12 弦ギターで演奏しています。
1989年にはソロアルバム「Acadie」をリリース、名盤としても知られます。
Human Rights Now!
さて話は2年後の1988年に進みます。2度目に観たガブリエルのLIVEは、その年の9月に東京ドームで開催されたHuman RightsNow!でした。
人権擁護団体「アムネスティ・インターナショナル」を支援するために開催されたチャリティLiveで、 1988年に6週間にわたって世界ツアーを敢行した慈善プロジェクトでした。
ブルース・スプリングスティーン、ピーター・ガブリエル、トレイシー・チャップマン、ユッスー・ンドゥールに加え、開催国からのゲストが出演し、日本では竜童組が参加しました。
(このLiveのメインスポンサーはリーボック。80年代エアロビクスブームで売上を拡大し、1988年に公開された『ワーキングガール』でも通勤にリーボックを履いて、オフィスで履き替える姿が話題になりました。日本でも皆真似っ子してました)
もちろん、ドームでのSledgehammerでは観客総立ちの大盛り上がり。
その後ピーター・ガブリエルは1992年、人権侵害を監視する非営利組織「WITNESS」を立ち上げるのです。
そして、2006年にはノーベル平和賞受賞者のサミットにおいて、名誉ある〈マン・オブ・ピース〉(平和に貢献した人)の称号を授与されたのです。
表向きではなく、筋金入りの平和のために行動する人ですね。
『i/o』
そして2023年12月にリリースされた最新アルバム『i/o』(アイ/オー)は本作『So』以来、37年ぶりの全英チャート1位を達成したのです。
トニー・レヴィン、マヌ・カチェ、デヴィッド・ローズといった『So』に参加したミュージシャン、さらにブライアン・イーノも参加して2021年9月から数ヶ月にわたりレコーディングして完成。
「年齢を重ねるにつれて、たぶんこれ以上賢くなることはないだろうが、耳を傾け、観察することを心がけて、いくつかのことを学んだ。私は、すべてのものが相互に関連しているということを本当に語ろうとしているのだと思う。
私たちが生き残れるかどうかは、気候危機に対処する新たな方法を生み出し、私たちを生んでくれた自然界と再びつながることができるかどうかにかかっていると思う」
とリリースに際して語る彼の問題意識は衰えることを知りません。
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