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非常事態時に気持ちの傾向に気付く

日に日に緊張度が増し、街や公共交通機関から人がどんどん減ってきたロンドン。先週後半には英国は集団免疫の作戦で行くと言っていたのもの、週明け月曜日には、高リスク対象者は完全自主隔離、その他の人たちも、外出したり、人と会ったり、仕事に行ったり、公共交通機関を利用したり、するのは出来る限り控える人ようにというアドバイス(まだ強制ではなく、学校も閉鎖されていない)が政府から発表された。

そんな中、私は夕方のヨガの個人指導を終え、カフェで暫し時間を潰した後、毎週とても楽しみにしている先生のバレエレッスンがあるスタジオへ。ところが着く直前に、スタジオから全クラスキャンセルのメールが届いた。

「なんでこんな直前に?もっと早く連絡してくれれば、カフェで時間潰しなんてしないで(つまり余計なお金を使わないで)家に帰ったのに」というスタジオの対応の遅さに対する怒りと責めたい気持ち、ストレスフルな情勢のなかいつも以上に楽しみにしていたバレエが出来なくなったことへの悔しさ、まあこの状況じゃしょうがないじゃないかという理性、そして、行き場をなくしたもやもや感が、3周くらい頭の中を駆け巡った。

そしてふと。

ああ、誰かを責めたくなるときのパターンはこれか!と気付く。

思い通りに行かなかったとき、それを誰かのちょっとした不手際に漬け込んで、憤りの矛先を向けるというパターン。世の中に溢れる理不尽なクレームのほとんどは、往往にしてそういう仕組みでできているのかもしれない。

* * *

ここまでを書いたのが昨日の夜。

そして今日。去年の秋からずっと楽しみにしていたロイヤルバレエ団の「白鳥の湖」の公演がキャンセルになったと英国ロイヤルオペラハウスからメールが届き、施術枠をぎりぎりまでオープンにしていたのにも関わらず、ここ数年で初めてエージェント経由からも1件も仕事が入らなかった。静かにほんの少しずつ、でも確実にゴーストタウン化して行く感じはなかなかどうして背筋が凍りつく気分だし、ひとり自転車操業状態で仕事をしている身としては、家賃の支払いとか、ゆくゆくは食べ物を買うお金だとかの心配はしてもし足りない経済危機状況なのだけれど、生身の人に会って触れて成り立つ仕事をしているので、こればっかりは本当にどうしようもない。

今は、私の魂がこの今を経験することを望んでここにいることと宇宙の愛を信じて、人に、自分に優しく。

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