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それを踊りと呼べるまで⑤ 出会いを踊りと呼べるまで

記録的に短い梅雨が明け、本格的な夏の日差しが照り始めた7月。
私は再び愛知県 豊橋市を訪れた。

6月に穂の国とよはし芸術劇場PLATで開催された「PLAT ダンス・レジデンス作品集」で、私のソロダンス作品『カイロー』を見てくれた地元の中学生たちと、ワークショップを行うためだ。

コンテンポラリーダンスの公演を、授業の一環として二つの中学校が見学し、更にその出演者が学校にワークショップをしに行くという、レアなケースを実現出来る公共劇場は、日本全国探しても、なかなか無い。

この一連の流れは、地元に密着しながら、小中高校へのアウトリーチや、高校生とプロが共に創作する機会、ワークショップのファシリテーター養成など、様々な形で「劇場を開く」事業を続けて来た、PLATだからこそ実現したプログラムと言える。

穂の国とよはし芸術劇場PLAT

勿論、今回のワークショップは、アウトリーチ事業担当の塩見さんをはじめとしたPLATの皆さんと、「生徒たちにワークショップを受けさせたい!」と手を挙げてくれた中学校の先生方のお陰で実現したのだが、それ以外にも、当日アシスタントをしてくれた田原さん、コーディネーターをしてくださった山本さんのお陰で実現した機会だった。この場を借りて感謝を伝えたい。

今回、山本さんが打ち合わせの時に、「ワークをやるだけでなく、子供たちに直接、公演の感想を言ってもらう時間を作ってみたらどうか?」という提案をしてくれた。
PLATが主催するワークショップファシリテーター養成講座の卒業生であり、この学年の生徒たちを小学生の時から見て来た、山本さんならではの提案を受けて私は、いつも「身体を動かしてみること」からスタートするワークショップを「言葉を交わすこと」から始めてみることにした。

ワークショップ当日、初めは様子をうかがっていた生徒たちも、徐々に打ち解け、結局は時間に収まらない程、話は盛り上がった。
結果的に、今回のスタートは、公演という特殊な時間を共有した者同士が、再び言葉を通して「出会い直す」ような、熱量の高いものになった。

<様々な「出会い」と「出会い直し」>

今回訪れた学校は郊外の、地方ではありがちな、保育園から中学校まで、同じメンバーで進級するような、ある種、隔離された地域にあった。
現在、私が住んでいる兵庫県神河町も同じで、下手をすると高卒で町に就職し、生涯、同じメンバーと共に町から出ずに過ごす人もいるぐらいだ。
そんな地域だからこその良さも勿論あるが、だからこそ、外部からの新しい「出会い」がとても重要な意味を持ってくる。

今まで見たこともない舞台を見て、更にそのアーティストのワークショップを受ける。それだけでもかなり大きな「出会い」にはなるが、このコロナ禍でアーティストに直接会って、言葉を交わせることの意義は、私が考えているよりも、更に大きかったようだ。
お陰で私も、「言葉」や「出会い」の大切さを、改めて知る良い機会となった。

そして今回私は、そんな学校だからこそ、生徒たちとの「出会い方」に、更に工夫を凝らすことにした。

事前に生徒一人一人に自分の名前ではなく、「自分が呼んで欲しい名前、ニックネーム」をテープに書いて胸に貼ってもらったのだ。

これは昨年、私が一年間、豊岡で担当した高校生の授業で、年間を通して行っていた仕掛けで、とても簡単な仕掛けだが、普段の自分のキャラクターや人間関係、立ち位置やパワーバランスを、軽くリセットする作用がある。

長年変わらない生徒同士が、いつもと違う名前で呼び合うだけで、「出会い直す」チャンスが生まれるのだ。
そしてそれは、生徒同士に限らず、初対面の私との会話の糸口にもなっていった。

更に今回は、私のソロダンスの中にも登場し、生徒たちが最も興味を持ち、質問も多かった「デタラメ語」のワークも行った。

デタラメ語 講座 初級編 簡単な文章を「デタラメ語化」する

いつもは日本語で話す友人同士が、デタラメ語で話すことによって、その「出会い方」は大きく変わる。
普段饒舌な子が言いよどんだり、目立たない子が一気に話し始めたり、その作用は人それぞれだが、普段のコミュニケーションに、ある種の「異物」を差し挟むことによって、生徒同士が、他者として「出会い直す」機会を作ることが出来たのではないかと思う。

そして今回の中学生の様子を見ていて、私が改めて感じたのは「コミュニケーションの根幹にあるものは、人類みな同じなんだな」ということだった。

デタラメ語のペアワーク

私はこのワークを様々な国のダンサー・俳優と共に行ってきたが、デタラメ語の文法を学び、簡単な文章をデタラメ語化することから始まり、自分の気持ちや意見を、デタラメ語で言えるところまで持っていき、更にそれを人に伝える。
新しい言語をどう獲得し、自分のものにして工夫し、どう聞き取ろうとし、互いに歩み寄るか?その成長過程は、年齢、性別、人種、国籍、文化的背景も経験も問わず、ほぼ同じような行程を辿るということに、私は改めて感動を覚えた。

1人の聞き手に自分の思いを伝えようとする「コンペティション」

そして、デタラメ語に挑戦する生徒たちの姿から、「コミュニケーションの根幹にある問題も、人類みな似通っているのかもしれない」と感じた。

実は豊橋市は移民が多く、クラスに外国籍の生徒が何人かいる学校もあるので、豊橋の子供たちは、もしかしたら他の地域より、「違いを受け入れる力」を持っているのかもしれない。
しかし逆に、長年ずっと同じメンバーで一緒にいるからこそ、フラットな関係性に戻って「出会い直す」ということが難しいということが、このワークを通じてよくわかった。

思わぬところで、長年やっている「デタラメ語」のワークが、更に深まっていったのは、私にとっても、大きな収穫だった。
そんな中、育児と日々の忙しさで、久しく眠っていた私の創作意欲も、いつの間にか掻き立てられていくのを感じた。

豊橋に来るといつも、何かしらの「出会い」があり、何かしらの「出会い直し」が起こる。
私にとって豊橋は「恩恵の町」である。

豊橋の恩恵の一つ「マッターホーン本店」のモーニングセット

<私と創作との「出会い直し」>

ここで話は少し飛んで、今年6月の「PLAT ダンス・レジデンス作品集」公演直後に遡る。

この公演には、2014年に名古屋で『カイロー』を踊った時に、その企画を立て、私を呼んでくれた、名古屋の同世代ダンサーや、演出家が沢山見に来てくれた。
公演後、彼らとロビーで話している時に、「8年前と今回とで、大分変わった印象を受けたが、本人の中ではどんな変化があったのか?」という質問に、私はこう答えた。

「以前は、観客全員死ね!と思っていないと舞台に立っていられなかったが、今は大分、観客を信じられるようになった。」

6月の公演、ロビーで会えた、ダンスカンパニーafterimage演出家のトリエ ユウスケくんと、今回の中学校のワークショップアシスタントを務めてくれた田原綾姫さん

観客に一方的に投げつける表現ではなく、客席にいる一人一人とコミュニケーションをとるような表現でなければ、自分にとっては、やる意味がないということを、今回のソロ作品は改めて私に気づかせてくれた。
それはある意味、私と観客との「出会い直し」であり、私と創作との「出会い直し」でもあったのだと思う。

<恩恵と共に踊る>

こう書いてみると改めて、6月の公演と7月のワークショップで恩恵を受けたのは、観客や中学生ではなく、私の方だったように思う。
なんだか申し訳ない気持ちでいたところ、先日、生徒たちから直筆のワークショップの感想をまとめた冊子が送られてきた。

ワークショップの時のニックネーム「ゴクさん」が漢字になると、かなりイカツイ
「立つ」「寝る」というシンプルな動きのワークも好評だった
「デタラメ語」で感想をくれた男子

こういうことがあるから、やめられない。
様々な「出会い直し」と創作意欲に加えて、更にこんな素敵な感想を貰い、私はまたこれからも日々、踊り続けて行く事が出来そうだ。

そして私は、またいつの日かどこかで、この生徒たちと出会った時に、胸を張っていられるように、これからも日々の出会いと、出会い直しを大事に、精進して行きたいと思う。



京極朋彦の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/mf4d89e6e7111


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