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おいしいはつくれる

いただいたシャインマスカットを惜しげもなく並べた
ぶどうの実がツルツルと滑らないよう中身は柔らかめのカスタードにしてあるので、口の中で果実によくまとい、タルト生地のサクサク感と相まっていい仕上がりだったと思う
ただ、使っている小麦粉やカスタードの原料があまり良いものではないので、生果実の芳香と旨味ばかりが目立つ
シャインマスカットの一人勝ち感は否めない
たしか三房もいただいたので、一房だけタルトにして残りは生で食べた
やっぱり生もおいしかった
洗って冷蔵庫にしまっておいて、好きなときに好きなだけつまむのだ
冷蔵庫がキラキラしていた、開けるのが楽しみだった、本当においしかった
シャインマスカットの一人勝ちだ

何かひとつだけ人より抜きん出てていることがあったとしたら、それはとてもいいことだ
けれども、まわりとの兼ね合いみたいなもので悩むことがある
得意に走れば角が立ち、抑えてみれば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい
そういうとき自分は日本人なんだなと思う一方で、こんな退屈な日本に誰がしたとタルトをほおばる
漱石先生、日本は住みやすい国になりました

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大好きなかぼちゃのタルト
かぼちゃは皮と種を除いて茹で、丁寧に裏ごししたもの
まわりのタルト生地は砂糖を入れずに、小麦粉・オリーブオイル・塩・水だけをこねたもの
素朴な味が好きなので、アメリカの田舎のおばあちゃんがササッと手軽に作るようなイメージで焼いた
無骨な生地となめらかなかぼちゃフィリングの相性は良く、フィリングと生地の間の少し水分を含んだやわらかい部分がうまい

素朴な田舎暮らしを想像して、東京から三重に越してきた
里山に囲まれた静かな土地に住んでいるけれど、田舎は田舎で問題がないわけではない
だから都会も田舎もどっちもどっちだと思うようにしている
少なくとも、遠慮することなく、いつでも稽古ができる自分らの劇場が家のとなりにある、この一点において、わたしたちはかけがえのない活動ができている
それは間違いないのだが、その活動自体を批評する機会にまだめぐり会っていない気もする
わたしたちは何者でどこに向かっているのか
単純な話、そういうことになる

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フランスの郷土菓子ガトーバスク
これはちょっと手間がかかる
中身のカスタードクリームにはラム酒と自家製ラムレーズンをまぜてある
側部分のサブレは絞り用の袋に詰めて絞り出し、型の底にしきつめて成形していく
弾力のあるタルト生地と違い、手ごねができない生地なのでややデリケートな扱いになる
これを作っているときだけ顔がパティシエっぽくなる

ディテールはこだわるほど時間がかかる
でも時間には限りがあるので、速さを求められる
「短時間での細かなディテールの成立」
仕事できる感じの言葉の羅列に酔いそうだ
つまるところは、速度
速度との距離感が時間感覚を変える
あっという間、淡々とした流れ、悠久の時、
一定に流れることのない、お気に入りの時間を体現しよう
それが舞台芸術の魅力の一つだとしたら、時計を見ない日をつくるのもいいかもしれない
でも締切は守ろう

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夏に食べたくなるレモンクリームのタルト
上にのっているのは卵白のクリームなので、レモン独特のややきつめの酸味を穏やかに包んでくれる
タルト生地は甘さ控えめにしてあるので、全体の後味は爽やかだ
最後にバーナーで卵白を炙ると茶色の焦げ目がついておもしろい色味になるが、
この時はバーナーを持っていなかった

包みこむような存在、
そんな人になれたらいろいろとうまくいく気がする
でも包んだものはどうなってしまうのか
包み隠さず吐いてしまいたい時がいつかはくる気がする、オエっと
包む包まれると言ってるうちは、けっきょくお互いに相いれませんよと言ってるようなもので、
本当に一緒になりたいなら、包む皮も残らないくらいごちゃまぜになって、彼我の区別がつかないくらいがちょうどいいはずなのだ
たぶん

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オーソドックスなベイクドチーズケーキ
ベイクドの場合、外側をこんがりと焦がすくらいの方が、しっとりした中身との味のギャップが出てうまい
見た目もおいしそうだ
分厚いタルトのほうが食べ応えがあるけれど、薄型の方が火の通りが均一になるし出来上がりも早い
このタルトとホットコーヒーの組み合わせは間違いない

「人は見た目が9割」という新書がむかし流行っていた
本の内容は9割忘れた
でもタイトルにはおおむね納得できる
ぼくは人の心というものをあまり信じてないけど、人の挙動から現れるものにはだいぶ信頼をおいている
心というものがあったとしても、常にうつり変わるから、そういうのはむりに言語化せずにそっとしておいた方がいい
それに人の心がわかってしまったら、相手のことを想い悩み葛藤する価値をわたしたちは失うことになる
心はわからなくても、人の挙動はそのままその人を現すから、わかりやすく伝わりやすい
演じる技術(演技)は見た目が9割、というのは大げさではないと思う

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シナモン風味のリンゴのタルト
中のフィリングは細かく刻んだリンゴと小麦粉とバターを混ぜてシナモンをきかせながら煮たもの
上に並べた薄切りのリンゴは火を通したものを敷いている
甘いものが好きだけど、甘ったるいのはきらい
なので、中身もタルト生地もレシピから3〜4割砂糖を減らして作っている
かといってあまり減らしすぎるとおいしく感じない
どっちだよ、っていうくらいがちょうどおいしい

中道をいくのを良しとするときもあれば、
毒にも薬にもならない話に嫌気がさすときもある
この橋渡るべからずと言われても、そんなとんちにつき合う義理はないと返せてしまうのが現代の慣わしなのだろう
「うっせぇうっせぇ」の叫びには相手がいない
私は他者を必要としませんと宣言する人に、ぼくは「うっせぇわ」と応えることができるだろうか

もし、無人島に生きていたらあなたは演劇をやっていますか?と聞かれたことがある
しゃべる相手がいないと言葉が必要なくなるので、演劇はやらないと思いますと答えた
あと、おいしいを言う相手もいないので、料理は単純で退屈なものになりますね、とも答えた

そんな世界はやっぱりいやだなと思う

小菅紘史



小菅紘史の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/m1775a83400f9


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